No.94 マリアの居場所
王宮の地下牢にデンゼンは囚われていた。
エリザベートは薄暗い牢をコツコツと音を響かせ歩く。残念そうな顔なのは地下牢が綺麗すぎるからだった。深いため息を吐くと、デンゼンが入っている牢の扉の前に立った。
「随分と哀れな姿になったわね、デンゼン。でも、この牢は随分綺麗ですから過ごしやすかったでしょ?」
「その声は……」
デンゼンの顔は酷くやつれ、擦り傷があった。エリザベートの声に気づき、俯いていた顔をゆっくりと上げる。
全体的に汚れ、怪我をしているエリザベートの姿を見てデンゼンは目を見開いた。後ろには兵の姿も見える。
「エリッサちゃんや、すまぬ……エリッサちゃんまでこんな牢に入るはめになってしまったか……」
「確かに残念ね。こんな綺麗な牢は私の趣味ではないわ。私はね、こういう場所は汚くジメジメしていた方が好きなの。雰囲気あるでしょう? だから正直、こんな綺麗な牢は私の趣味じゃないの」
「そうか……エリッサちゃん、それで、カリーは?」
「カリー? 知らないわよ。今頃死んでるんじゃないの? それよりも、デンゼン、本当、良いザマね。兄妹揃って同じ牢に入れられるなんて。ジョゼが、この牢に入ったのは何年前だったかしら? そうね、せっかくだから、ジョゼの代わりに私が言ってあげるわ。デンゼン、ステインの家によくも泥を塗ってくれたわね。当主のくせに情けない」
デンゼンは辛そうに眉を寄せ、目を真っ赤に充血させていた。エリザベートは深いため息を吐き、呆れたように続ける。
「これで少しはあの頃のジョゼの気持ちも分かったんじゃないかしら? コルフェ陛下も瀕死だし……ほんとっ、男共って馬鹿ね」
「え、エリッサちゃん? 陛下が瀕死……? どういうことだ」
「どうって、そのまんまの意味よ。死にかけているの。毒を盛られたのよ」
「誰に?」
「ふふっ。あら、それは私に聞かないで他の人に聞いて頂戴。私はこれからバストーンに向いますから、後の事はステインの当主であるデンゼン、貴方がやって頂戴ね」
デンゼンは言葉の意味が理解出来ずに戸惑っていたが、そんな事はどうでも良いと言うようにエリザベートは続けた。
「デンゼン、良く聞いて。コルフェ陛下にステインの鞘、タネガシマの事について聞かれたら、はぐらかして頂戴。焦らせるだけ焦らした方が効果はあるわ。まぁでも、デンゼンはタネガシマを知りませんからね、はぐらかさなくても何も話せないでしょうから、上手に会話をかわすのね。それからルイ殿下についてですが、後見人はデンゼン、貴方がなりなさい。良いわね? 今後ステインはルイ殿下の下で力を蓄えます。なんせ今のステインは財産が殆どありませんから。まぁでも死ぬよりマシだったでしょう? それにデンゼンはお金集め、得意よね? 頼みましたよ」
「エリッサちゃん? 何を言っているのか分からない。エリッサちゃんはこの牢に入れられるわけじゃ無いのか?」
「違うわよ。私、デンゼンみたいに馬鹿じゃないもの。ここに来たのはデンゼンを牢から出すために来たの」
「何故?」
「何故って、はぁ、もう説明すら面倒だわ。とにかく、私はバストーンに行くから、後はお願いしたわよ。ステインの当主として後片付けしてくれれば良いから、頼んだわね」
「エリッサっちゃん!!?」
デンゼンは立ち上がりながら、エリザベートを呼ぶが、エリザベートは既に背を向けていた。
近くにいた兵士に合図を送ると、兵は鍵を開けるために扉に近づき、エリザベートはそのまま立ち去っていく。
「コルフェ陛下によろしくね。医師は手配しとくけど、頑張って陛下を長生きさせてね。流石に今亡くなられると混乱が長引いてしまうから。とりあえず、ルイ殿下がしっかりするまでよろしく」
背を向けたまま、ひらひらと右手を振るエリザベートにデンゼンは格子を掴んだ。
「エリッサちゃん、待って、エリッサちゃん! 教えてくれ、何が何だか全く分からない。どうなっているんだ!? ルイ殿下はどこに!? 頼むから説明を!!」
デンゼンの慌てる言葉はエリザベートの耳には届いていたが、立ち止まる事はなく、そのまま牢を後にした。
デンゼンは牢が開いた瞬間、エリザベートを追おうとしたが、衰弱していたため、足がもつれてしまいそのまま倒れ込んだ。それを兵士達がが慌てて支える。
デンゼンは遠ざかって行くエリザベートをただただ見つめることしか出来なかった。
王宮から出たエリザベートは、一度ステインの屋敷へ向った。そこで、寝ているアシュトンに手紙を書き残すと、彼の部屋に置かれた薬を幾つか持ち去った。
エリザベートはビクビクしているマーティンに、イデアは囚われ全てが上手くいった事、後の処理は当主であるデンゼンが納める事を簡単に伝えた。一緒にいたジェフは細かな詳細を聞きたがっていたが、エリザベートは説明は他の者がすると言い、すぐに部屋を退室する。そしてそのまま急ぎ、侍女のヘレンを連れ馬車に乗った。
ステインの屋敷を後にし、馬車で王都を出る頃、エリザベートの顔色は酷くなっていた。
「お嬢様? 顔色が悪いように見えます。このままバストーンに向われるのですか? 一度お休みになられては?」
「いいえ、そのまま行きなさい。私が死んでも行くのよ。いいわね?」
「そ、そこまでしてカトリーヌお嬢様の所へ……」
「は? 何言ってるの? 違うわよ。あんな馬鹿女、生きようが死のうがどうでもいいわ。私はね奪われたものに対して怒っているのよ。奪われたものは絶対に取り返す。ようやく取り返せるの。これはあの女との戦い。涼しい顔しながら、本当酷いことしやがって」
「お、お嬢様? あの女とは?」
「ヘレンは知らなくていいのよ。でも、私このまま死んだって構わないと思うくらい怒っているの。だから取り戻すまで、絶対返す気ないのよ」
「私には仰っている意味が分かりませんが、でもお嬢様、お身体は大切にして頂きたいです。死んだって良いなど仰らないで下さいませ……」
「ヘレン、戦いは常に命懸けでなければ勝てないのよ? これは私とあの女との戦いなの。心配してくれてるのは嬉しいけど、でも今回は非情で構わない。良いですね、私が死んでも必ずバストーンに向いなさい。それと、私が意識を失いそうになったらこの薬を飲ませて。あと、これ」
エリザベートはそう言うと、ヘレンにアシュトンの部屋から持ち出した薬とヘレン宛の手紙を渡した。
ヘレンは自分宛の手紙に思わず首を傾げる。
「私宛の手紙ですか?」
「ええ。でもその手紙はバストーンに着いてから読みなさい。その後についての指示を書いてあるわ。それと、絶対に私を寝かせないでほしいの」
「え? バストーンまで何日も掛かるんですよ」
「ええ、知っているわ。でも今は寝れない。寝たら駄目なの。だから私を寝かさず、定期的にその薬を飲ませて。良いわね?」
「お嬢様……」
エリザベートは優しくヘレンに微笑んでいたが、その目は赤く充血し、狂気が宿っていた。
それから、休憩もほとんどせず、ニ日でエリザベートを乗せた馬車はバストーンのステインの焼跡地に着いた。
エリザベートの意識は朦朧とし、目には酷い隈ができている。そして、薬の副作用なのか、定期的に酷い痙攣を起こしていた。すでに一人で歩くことは出来ず、少し体を動かすだけで苦しそうな呼吸に変わっていた。
ヘレンに支えられながらエリザベートは焼けた屋敷の地下へと入って行く。
エリザベートの変わり果てた姿を見たジョゼフィーヌは、慌ててヘレンと一緒にエリザベートの体を支え、ベットへ運んだ。
「エリッサ……いったい何が? どうしたのです?」
ジョゼフィーヌの問いにエリザベートは力無く微笑むと、右手で小さくジョゼフィーヌを呼んだ。顔を寄せたジョゼフィーヌの耳元でエリザベートは小さく囁く。すでに声を出すのも辛うじてだった。
「……マリアは?」
「マリア? エルフレットが探し出したようですよ。近くの町に居ると……ただ……」
「連れてって……」
「今? その体で? 無理よ、ここで一度、体を休めなさい」
「ヘレン……」
エリザベートの呼びかけにヘレンがエリザベートの口元に耳を寄せる。
「ヘレン……私を連れて行って。今すぐマリアの所へ、でなければ私ここで死ぬわ」
「お嬢様……そんな、そこまでして」
ヘレンは堪えきれずポロポロと涙を溢しながら口もとを押さえた。
「いったいなんの騒ぎ? 何かあったの? ジョゼ叔母様」
聞き覚えのある懐かしい声に、ヘレンは思わず顔を上げた。そこにはコールに支えられながら、不器用に杖を使い、こちらへ向かって来るカトリーヌの姿があった。
「カ、カトリーヌお嬢様!?」
驚きのあまりヘレンは声を上げる。
ジョゼフィーヌは落ち着いた声で申し訳なさそうに答えた。
「エリッサがここを出てから直ぐにカリーの意識が戻ったの。でも知らせようにも、王都への知らせは流石に……ごめんなさいね」
カトリーヌの手足は痩せ、体を動かすのもやっとのようだったが、表情だけは明るかった。
「ヘレン!? じゃぁもしかして、そこにいるのはエリッサなの!?」
カトリーヌの言葉に、ヘレンは「えぇ」と頷くと、エリザベートが見えるように少し離れた。
エリザベートの変わり果てた姿を見たカトリーヌは驚きの声を上げながら、カコカコと杖の音を立てながら急いで近づいた。
「エリッサ!? どうしたの!? いったい何があったの!?」
エリザベートはパクパクと口を動かし、それを見たヘレンはカトリーヌに、耳を近づけるように言った。カトリーヌは長い髪を耳にかけると、エリザベートの口元に耳を近づける。
枯れた声がカトリーヌの耳に触れた。
「おい、カリー。お前の声はうるさい。私は今からマリアの所へ行く。邪魔をするなら殺すぞ」
カトリーヌは反射的にバッとエリザベートから離れ、彼女を見つめる。
「え、エリザベート……」
エリザベートは驚くカトリーヌをニタニタと笑いながら見つめていた。
「叔母様……エリザベートの言うとおりに……」
「カリー……?」
「い、今のエリザベートは何をしでかすか分からないわ。ヘレン……エリザベートをお願い」
「はい。畏まりました、お嬢様」
ヘレンはカトリーヌとジョゼフィーヌに一礼すると、エリザベートを抱き起こした。ジョゼフィーヌと一緒にエリザベートを抱えながら馬車に乗せる。
「エリッサ、死んではダメよ。絶対に……」
ジョゼフィーヌは涙を浮かべながら、赤く発疹が浮き出た手で、エリザベートの頬を優しくなでた。
エリザベートはそんなジョゼフィーヌを見ながら、ただ、ニタニタと笑い続けているだけだった。
ジョゼフィーヌは御者とヘレンにマリアの居場所を伝えると、そのまま馬車の扉を閉めて見送った。
少し離れた場所で遠ざかって行く馬車を、ダリアとコールに支えられながら、カトリーヌはずっと見つめ続けている。
「カトリーヌさま、エリザベートおじょーさまは、ちゃんと帰ってくるよね?」
ダリアが不安そうに呟いた。
「えぇ、ちゃんと…ちゃんと帰って来なければ私が許さないわよ。怪物のすることなんて、ほんと訳が分からないわ」
漠然とした不安を消すように、悪態をつくカトリーヌの瞳には涙が浮かび、真っ赤になっていた。
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