No.95 所有物
バストーン邸から少し離れた町、アガスの町にある、すこしくたびれた宿の前で馬車は止まった。
「お嬢様、こちらの宿に侍女長がいらっしゃるみたいです」
ヘレンがそう言うと、エリザベートは小さく頷いた。エリザベートの脇を抱えたヘレンは、ゆっくりと馬車を下りる。
宿の戸を開けようと手を伸ばした瞬間、血相を変えたエルフレットがその戸から出てきた。
「お嬢様!!」
「エルフレット!?」
ヘレンが驚いて立ち止まると、エルフレットは「ヘレン、私が代わります。お嬢様をお運び致します。お嬢様、少々失礼致します」そう言ってエリザベートの身体を預かると、そのまま抱き上げ、宿へと入って行った。
「……エル……マリアは何処?」
抱き抱えられたエリザベートはエルフレットの胸元を掴み、か細い枯れた声を発する。
「お嬢様、マリアもいますが、まずはお嬢様のお体の方を……」
エリザベートの姿にエルフレットは辛そうに眉を顰める。ヘレンはエルフレットとエリザベートに気づかれないように顔を背けると、そっと涙を拭った。
「いい……エル。私は…マリアに、会いに来たの…会わせて…すぐ…に…」
「っ…か…畏まりました……」
「ふふ…ありがと…エル……」
「お嬢様…」
エリザベートはエルフレットに抱き抱えられたまま宿の二階に昇り、並ぶ扉の一室へと入る。
そこには、明らかに衰弱したマリアが眠っていた。
エルフレットはマリアのベッドの側にエリザベートをおろし、支えながら立たせると、顔を歪ませながら項垂れた。
「申し訳ありません、お嬢様。私がマリアを見つけた時にはすでに抜け殻のようでした。ひどい有様で……暴行されたような跡もあり、食事も取っていないようでした。声をかけても会話をする気もなく、自分から食事を取ろうという気さえない様で、私が無理やり与えてやっとです。マリアのこんな姿をお嬢様にお見せするのも辛く……どうか、もう少し時間を置き、エリザベートお嬢様も回復なさってーーー」
「うるさい……コレは、私の侍女…よ。マリア…と二人きりにして…」
「お嬢様…」
エリザベートはエルフレットに支えられ、やっと立ててる身体を自分から離し、ベッドへ両手をつける。けれども膝に力が入らず、そのままガクリと床へ落ちた。
「「お嬢様!!」」
エルフレットとヘレンがエリザベートの体を支えようと慌てて近寄るが「私にさわるな!」とエリザベートが枯れた声で叫び、二人は思わず動きを止めた。
エリザベートはベッドを支えに必死で立ち上がる。
エルフレットはエリザベートを支えようとしゃがみながら手を伸ばしたが、ヘレンはエルフレットの肩にそっと手を添えると、ゆっくりと首を振った。
エルフレットは困惑し一瞬悩んだが、ヘレンの涙に歪む顔を見て、エリザベートに伸ばした手を止める。立ち上がりながら、ヘレンに向けて小さく頷くと、涙を拭うヘレンの背を優しくさすりながら静かに部屋を出て行った。
パタリと扉が閉まる音を聞いたエリザベートは、シーツを握りしめながら、ベッドに這い上がり、マリアの顔を覗き見る。
「……マリア、起きて」
枯れた声が小さく響き、エリザベートはマリアに手を伸ばした。やつれ、少しこけたマリアの頬に触れる。
「マリア…起きなさい……」
その声にマリアの瞼がピクリと動きゆっくりと目を開けた。
「…お…じょ…さ…ま…?」
虚だったマリアの目にエリザベートの姿が映ると、驚きから目を見開いて行く。
エリザベートは、ふっと笑うとマリアの頬をそっと撫でた。
「マリア、お互い無様なものね……? ふふふ、二人してこんな死にかけているなんて……。ねぇ、マリア、もう一度言うわ。あなたは私のもの。誰がなんと言おうと私のものよ。だから、どこにも行かないで、分かるでしょ……? だって貴女がいないと私、こんなふうに死にかけてしまうわ。でも、マリア……貴女も私が居ないとやっぱりただの人形になってしまうのね。本当、馬鹿な子……」
マリアの瞳が大きく揺れると、涙が頬を伝いエリザベートの手を濡らした。
「いいのよ、私が悪かったわ。ごめんね、マリア。私を許して。戻って…きて……」
エリザベートはそう言うと、そのまま力尽きたように意識を失い、マリアの上にドサリと落ちた。
「……お…お嬢…様?」
全てをやり遂げたように、満足そうな顔をして眠るエリザベートを見たマリアの瞳に色が戻っていく。
「お嬢様……お嬢様っ!! 誰か! 誰かっ!!」
マリアは自分の体をエリザベートが落ちないようにゆっくり起こすと、自分が寝ていた場所にエリザベートを寝かせた。
ーーーーバタン!
「マリア!?」
「侍女長!!」
マリアの声でエルフレットとヘレンが急いで部屋に入ってくる。
マリアの姿にエルフレットが驚きに固まっていると、ヘレンはすぐにエリザベートに駆け寄った。
「お嬢様が!! 誰か医者を! 早くっ!!」
ヘレンは頷き、すぐに医師を呼びに行った。
「マ…マリア? 君の体は大丈夫なのか? 君の身体も痣だらけだと医師に聞いている。痛むだろう? 食事もそんなに取れてはいないし……。ヘレンが医師を呼んでくれている。お嬢様のことは私達が見るから、君も無理せず休んだほうがいい」
エルフレットが心配そうにマリアに声をかけたが、マリアは首を強く振った。
「いいえ、エルフレット。私がお嬢様のお世話をします。私はもう大丈夫です。自己管理も行えます。それよりも……お嬢様はこんなになるまで何故……。貴方達は何をしていたのですか。こんな…こんなお姿になられて……もう誰にも任せられません。私がお嬢様を見ます」
「あ…ああ……」
戸惑いはあったものの、つい先程までずっと人形のようだったマリアを見ていたエルフレットは、やっと魂を取り戻したかのような強い視線を向ける彼女の姿に心を安堵させ、思わず苦笑した。
「分かった。ただし、君が倒れたら、お嬢様の面倒は私とヘレンが見るからな」
「絶対に倒れませんよ。お嬢様も死なせません」
「よし。マリア、君を全面的にサポートしよう。私達に指示を、何をすればいい?」
*
ピチピチピチ……
鳥のさえずりだろうか? 優しい鳴き声に誘われるように私は目を開けた。少し眩しく感じる光に眉を顰めながら身体をゆっくり起こしていく、あまり身体に力が入らない。
っていうか、ここは……
「ベット?」
私はベットで寝ていた。清潔なシーツ、肌触りの良い服、自分の顔に手をやると肌はすべすべ。無意識に動かしていた左手を見ると、包帯はなかった。左手は少しピリピリとした違和感はあるものの、そう悪くもない。
部屋を見渡しても、見覚えはなかった。少し開いた窓からそっとカーテンを揺らす風が心地よく、差す太陽の光りが気持ち良い。
「ここは……何処だろう?」
私はベットから降りようしたが、思いのほか足に力が入らず、ドタンと音を立ててベッドから落ちた。
「いったぁ」
その音に誰かが気がついたのか、慌てるようなドタバタとした音がこちらに向かい、すぐにバタンと部屋の扉が開く。
「お嬢様!」
マリアが驚いた表情で慌てて私に駆け寄ってくる。
「お嬢様、お怪我はありませんか?」
「え…ええ」
……マリア?
「さっ、お嬢様、私が支えます。そのままベットに」
「…ぁ……え、ええ、ありがとう」
私はマリアに促されるまま、ベットに戻った。
いや、でも何でマリアがいるの?
そう思った瞬間ドクンと胸がなると、ギュゥっと心臓の辺りが締め付けられるような痛みに襲われた。
「うっ……」
視界がボヤける。ヤバい。
何? いったい何が……
「お嬢様!?」
マリアの慌てた声が遠くで響いた。
(全く、何はこっちの台詞よエリッサ……。ふぅん、やっぱり身体が死にそうだと私の声が聞こえるのかしらね)
エリザベート……?
(まぁいいわ。とにかく、エリッサ。次にマリアを私から離したら、本当にアンタを殺すから、覚悟なさい)
「ぐはっ!」
ググッと心臓が鷲掴みにされているような感覚に思わず胸を押さえる。息ができない。
(いい? こんな風に殺してやるわ。分かった?)
「わか…った……エリ…ザべー…ト…ごめん……」
(聞こえないわ)
「ごめん…なさい……ごめんなさい」
ふっと痛みが少し軽くなり、咳き込みながら酸素を吸った。「お嬢様! すぐに医師を!!」そう言って飛び出そうとしたマリアの服を掴み、私は首を振って大丈夫だと伝える。
(ふん、分かればいいわ。アンタのせいで寿命が縮んだのだから、せいぜい健康に気を使うことね)
「ちょっ、そ…それ、今私に言う?」
(あら、失礼。じゃぁね)
エリザベートの声はそれ以降聞こえず、一緒に胸の痛みも消えた。
「はぁ、はぁ、はぁ、いや、ほんと死ぬかと思った」
「あの、お嬢様、本当に大丈夫ですか? もしかしてエリザベートお嬢様が……?」
「ええ、エリザベートに貴女の事で怒られたわ。でも私は大丈夫よ」
「私の事、ですか?」
「そうよ。ごぼっ、ごほっ……ごめんなさい、ちょっとお水貰ってもいいかしら」
「すぐに」
そう言ったマリアはすぐにベッドサイドにあったコップに水を注ぐ。
私はそんなマリアの後姿を眺めながら、何故だか心がホッとしたような気持ちになった。人をなんとも思っていないようなエリザベートがマリアに見せる執着は少し……いや、だいぶ異常的なものかもしれない。それでも、ちゃんと人の心のようなモノが見えた気がしたから。
以前、エリザベートは私がこの身体に居る事で少しずつエリザベートと同化しているような事を言っていた。確かに私に人としての感情の一部が欠けてしまったような喪失感はある。
ただ、それでも、その代わりにエリザベートに少しでも優しさが芽生えたのなら、それはそれで良かったのかもしれない。
「お嬢様、お待たせしました。お水でございます」
「ありがとう、マリア」
私は水を受け取り、ゆっくりと飲んでからマリアの顔を見つめた。彼女の顔は明らかに痩せ、やつれている。
あの時、マリアを解雇した時の泣き顔と、私に縋ってきた姿を思い出し、胸がキュッと痛んだ。その痛みが、私の罪悪感からなのか、それともエリザベートのものなのか……。
ただ、私がマリアを傷つけたことには変わりない。
「あっ……あの、マリア」
「はい」
「ごめん。私、してはいけないことを貴女にしてしまったのね。ごめんなさい……」
「いえ、私は……」
「さっき…ね、エリザベートは私に釘を刺していったわ。私からマリアを絶対に離すなって、私、あの時、貴女を解雇した時はただ怖かった。だから貴女の話も全く聞かずに追い出した。貴女とエリザベートの絆、信頼関係がただ怖かったの。そして、知ろうともしなかったわ。本当にごめんなさい」
「いえ、お嬢様は何も」
「貴女は私にもちゃんと仕えてくれてたのに……。私は、私は主人としてまだ未熟だけれど、貴女をただ傷つけた、こんなどうしようもない私だけど、これからも仕えてくれる?」
「ええ、もちろんです。私はお嬢様にお仕えする事が何よりも幸せ。生きる意味なのです。ですから、どうかお側に」
「ありがとう。ねぇ、だったら、これからは私の事はエリッサと呼んで? マリア、貴女にとってお嬢様はエリザベートでしょう? この体にはまだエリザベートがちゃんと存在しているわ。だから私の時のにはエリッサと」
「…………」
「いや?」
「いっ…いいえ。ですが、私みたいな者がそのような呼び方を……」
「マリアは私の特別な侍女でしょう? 貴女を離せば体が勝手に私を殺そうとするんだもの。だから、自分を私なんかと卑下しないで。貴女は大切な家族だよマリア」
マリアは私の言葉に目を見開くと、大粒の涙を流した。
そして今まで見たことのないほどの満面の笑顔で私に頷いた。
「はい、エリッサ様」と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます