No.98 リリーちゃん


「エリッサ様、そんな…だってお友達って……」


 青ざめるデジールにエリザベートは小首を傾げる。


「あら? リリーちゃんはお友達よ? 学友だったでしょう? 私達、リリーちゃんには随分とお世話になりましたもの。ですから最後にご挨拶をと思って」


「……最後?」


「いい? デジール、よく聞きなさい。貴族はね、落ちる時はとっても早いものなの。残念ながらマクニールはもう終わり。だから、もうリリーさんには会えなくなってしまうわ。だったら、やっぱりお友達としてご挨拶はしなくちゃいけないでしょう? 礼儀は大切だもの」


「礼儀、ですか……」


 エリザベートがマクニール邸の扉を叩くと、すぐに使用人が出てきた。使用人は首を傾げていたが、貴族院の制服姿のエリザベートが、リリーのお見舞いに来たのだと言うと、あっさり中へと通された。

 デジールは戸惑いながらエリザベートの後に続く。


 マクニールの屋敷は広かったが、人の気配は少なく、中は手入れが行き届かずに荒れていた。使用人も二人しかいない。


 使用人に案内されるまま、リリーの部屋の前で止まると、使用人は少し俯きながら声をひそめた。


「あの、お嬢様はいまだに傷は癒えず、会話もままならない状態です。できるだけ、お嬢様の刺激になるようなことは控えて下さい」


「ええ、勿論そのつもりです。それよりも、貴方達の仕事に対しての姿勢は素晴らしいですね。だって屋敷の主人は……」


「っ……それは」


「失礼。もし、今後、職に困ったらステイン家なんてどうかしら? きっと歓迎してくれるわよ。ねぇ? デジールさん」


「っあ、はい。そうですね」


「ステイン…家ですか?」


「ええ、今回の騒動に巻き込まれる前に、使用人達が不遇に合わないよう、大勢辞めさせたらしいの。ようやく落ち着いた今、人手不足らしいですよ? まぁ、それなりに審査はしているみたいですが、貴方達のような方はきっと歓迎されるでしょう」


「そう…でしょうか」


「えぇ、きっと。だってこうして主人の居なくなってしまった後でさえ、しっかりと仕事が出来る使用人は珍しいですからね。他の者は見切りをつけて去って行ったのでしょう? 貴方達はもっと良い場所で仕事ができるはずよ」


「ありがとうございます。そんなことを言って頂けるとは思いませんでした。あの失礼ですが……」


「あぁ、そうでした。ご挨拶が遅くなりましたね。わたくし、ヘレンと申します。隣にいるのはデジールです。私達、平民でしたが、特別枠で貴族院に通わせて頂いてました。その時リリー様にはとてもお世話になって。リリー様がお怪我をされてからすぐにでもお見舞いに来たかったのですが、貴族街も色々と大変でしたので……。ようやく騒動も落ちつき始めたので、貴族院でのお礼と、リリー様を少しでも勇気づけたくて……。でも、平民風情がおこがましいですよね。申し訳ありません」


「まぁ、そうでしたか。お嬢様が平民のあなた方を……そうですか。私もお嬢様の知らない一面が見れて凄く嬉しく思います。やはりお屋敷と学院では違うお顔でしたか」


「ええ、とっても親身になって下さいましたよ。貴族院でも貴族の方々と私達の間を取り持って頂きましたし、庇っても下さいました。本当にお優しい方です」


「そうですか……そうですよね。きっと本当のお嬢様はお優しい方なんですね。っさ、どうぞ、お入りください」


 エリザベートとデジールはリリーの部屋に入ったが、デジールはリリーの姿を目にうつした瞬間、思わず口をふさいでいた。


 ベットに横たわる彼女の顔は眠っていたが、針に刺された跡が残り、ブツブツだらけで、腫れが残っている。

 以前のリリーとは全く別人のような顔になっていた。


 エリザベートは優しく微笑みながらリリーをみつめている。


「お嬢様、貴族院でのご学友がお見舞いに参られました」


 使用人はそう言いながら、リリーのベットの隣に二脚の椅子を用意した。


「こちらへどうぞ」


 エリザベート達は用意された椅子に腰掛け、見届けた使用人は静かにリリーの部屋を後にした。


 暫く沈黙が流れた。リリーは目を閉じていて、起きる気配はない。


「お久しぶりですね、リリーさん」


 静かな寝息が響く中、エリザベートはそっとリリーに近づき耳元で繰り返す。すると、リリーの身体がピクリと反応し、ゆっくりとその瞼が開いた。


 エリザベートを確認した途端、その表情は顔色を変えた。


「……え……?」


 エリザベートはニッコリと微笑むと、デジールを見てリリーの方へと促した。デジールは慌てながらペコリとお辞儀をする。


「お久しぶりです。リリー嬢」


「……あ…あなた達……」


「今日はお見舞いに来ました。それとお別れを言いに」


「なぜ、ここに来たの……?」


「今言いましたよ? お見舞いと、お別れを言いにきたと」


「なによ、それ……まさか…私を……」


 リリーは怯えた目をしながら布団を握り締めた。


「ふふふ。そんな怖がらないで、リリーさん。私達はお見舞いに来たのですから、お話をしましょ? 最近どうです? 少しは元気になりました?」


「げんき……? 元気だなんて、貴女よくそんなこと言えるわね」


「あら? でもデジールさんは元気になりましたよ。ねぇ? デジール」


 エリザベートとリリーの話を傍観していたデジールは急にエリザベートに話を振られビクリと体を揺らした。


「は、はいっ、元気にしています」


「手も、治った?」


「ええ、はい。傷口は塞がりました。後遺症なのか、たまに少し痛みますが」


「そう、少し見せて?」


 デジールはエリザベートに言われるがまま、右手を出した。


「あら、デジール、この傷痕。これはもうずっと残ってしまいますね。可愛そうに……でも、この傷痕がリリーさんの残したものになるのですね。デジールが生きている限りずっと残りますね。ふふふ」


「……え」


「デジールありがとう。もういいわ」


「あ、はい」


 デジールは前に出していた右手を引っ込めながら左手でそっと傷を撫でた。


「リリー、私はね、貴女の友達として助言がしたいって思ったの。私もデジールも貴女には大変お・せ・わ・になりましたから、少しでもリリーの役に立ちたくって」


 リリーは小さく肩を震わせながら、エリザベートをギリリと睨んでいる。


「ふふふ、怖い顔して。でもリリー、このマクニール家はもう直ぐ取り潰しになるわ。だって、あの王妃と結託していてなお、当主は亡くなり不在。本来なら貴女も今頃、牢に入っていてもおかしくありません。ああ、貴女のお兄様ですか? 亡くなっていますよ。遠征先で同僚にでも殺されたんじゃなかったかしら。便りもなく、行方不明になっていたんでしょ? ふふふ、そりゃそうよ。だって死んでいるんだもの。勿論、偶然なんて言うつもりはないわよ。分かるでしょう? そして貴女はこのままだと、良くて平民か、奴隷になるでしょうね。貴女を守ってくれる者は誰もいないから、とっても大変でしょうね。それにその体、女として生きていくにも不憫よね。確か、噂では悪魔でしたっけ……? ふふふ、まずそんな貴女を嫁に取りたい男性はいないでしょう。そうね、多分きっと奴隷ね。貴女が蔑み、忌み嫌っていた平民以下の奴隷として貴女はこれから生きて行くのよ。残念だけど、この未来は貴女がどうあがいても変らないわ。そうね、もしそれがどうしても嫌なら自ら……あぁ、駄目駄目、命は大切にしなくちゃね? ふふふ。だからリリー、これからは、デジールの事もデジール様って呼ばなきゃダメなのよ? 分かった? あなたは奴隷ですから。前に散々言ってたものね? 身の程を、って、だから、これからは貴女が身の程を弁えなさい。ね? リリー」


 リリーはシーツを強く握りしめる。嫌だと言うように首をふり、エリザベートを睨んでいた。しかしその目からは涙が溢れている。


「この、あくま……あんたは悪魔よ」


「私が悪魔? ふふふ、光栄だわ。でもならどう? リリー、貴女が言う悪魔に喧嘩を売った感想は?」


「死ねば良いのよ。皆んな死ねばいいわ。それと、あんた、あんたを呪ってやるわ。ずっと、ずっとね」


 そう呟いたリリーは黙り、ただひたすら涙を流し続けていた。


 エリザベートの横で会話を聞いていたデジールは口をポカンと開け、顔面蒼白になっている。


「デジール、よく見ておきなさい。これが貴族よ。所詮は立場だけの存在。平民も貴族も変わらない、ただの間抜けな生き物。絶対の立場なんてこの世には存在しないの。こんな不安定な立場で、驕り高ぶることが出来るなんて、本当にお馬鹿な存在よね」


「……っ…エリザベートッ!……」


「様よ? リリー、貴女は奴隷なの」


「エリッサ様……」


「デジール、これが本当の貴族の姿よ。醜く汚い存在を目に焼き付けておきなさい」


「そんな……」


「ふふふ、さて、そろそろ時間ね。あまり長居してはリリーの傷にさわるもの……ね? デジール、リリーさんに最後のお別れを」


「……え? 最後、なんですか? 何か、私達に何かできーーー」


「無いわ、何もない。出来る事なんてないのよ。仮にあったとしても、そんな愚かなことはしないわ。崖から落としたいくらいなのに」


「……そんな」


「あのね、デジール、人間はそう変らないの。貴族という立場を持って生まれた人間は特に。貴女を攻撃する人は、ずっと貴女を攻撃し続けるわ。それは例え立場が変っても変らない。やられたら、死ぬまで睨みなさい。殺されると思ったら殺される前に殺すの。貴族だろうが友達だろうが、隣人だろうが、やられたら殺すまで抵抗しなさい。この世の中、貴女みたいな優しい世界じゃないの。貴女みたいな子が生きづらい世界なのよ。長生きしたかったら、夜をゆっくり過ごし、安心して眠りにつきたいのなら、敵意を向けてきた者に同情しちゃ駄目。相手が死ぬまで睨み、警戒し、何なら自ら攻撃しなさい。

ここにいるリリーもそう、今更手を差し伸べてもこの腐った心は変らない。立場が変れば、また貴女や他の平民を搾取するわ。そして、搾取できるタイミングを狙い続けるの。そしてそれが貴族。だからここで、貴女はリリーに、さよならを言いなさい」


「……エリッサ様……私」


 涙を浮かべるデジールにエリザベートは優しく微笑んだ。


「貴族に罪悪感なんていらないわ。さっ」


「……リリー嬢、あのごめんなさい。私……ごめんなさい。これでお別れを申し上げます」


「上出来ね、デジール。それを一生覚えておきなさい。やられたら同情なんていらない。さよならよ」


「……はい」


「さて、リリー、私からもお別れを言いますね。あぁ、そうだ、もし楽になりたいなら、首を絞めるのはお勧めしないわ。そうね、確かお腹を刺すと、直ぐに逝けるらしいわよ。一瞬だって聞いたことがあたわ。でも命は大切にした方がいいと思うの。世の中何が起こるか分からないもの。ね?」


 リリーは肩を震わせ、ただボロボロと涙を流していた。自分の絶望的状況に、そして恨めしい女に敗北したことに。


「ほんと、笑えるくらい醜いわね。さっ、デジール挨拶も出来ましたし、行きましょうか」


 エリザベートとデジールは立ち上がると、リリーに一礼をする。デジールが部屋の扉を開けると同時にエリザベートはリリーにそっと耳打ちをした。


「リリー、最後に私から貴女への同情をあげる。お腹を刺す時にはね、躊躇ってはダメよ。一気に奥まで深く入れれば、何も感じず、すぐに楽になれるわ。きっと世間も貴女を憐れんでくれるしょう。貴女に宿った悪魔もろとも心中したなんて、悲劇の乙女としてリリー・マクニールの名は残るかもしれないわね。ではこれで、リリーさん、さようなら」


 パタリと部屋の扉が閉まり、リリーは一人になった。止まらない涙を拭うことなく、震える手で、自分のお腹をさすりながら呟いた。


「……おなか……」


 

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