No.24 それはある日突然
王宮での食事会から一週間が経った。学院での生活にも慣れ始め、デジールのことは昼食以外、極力目の届く所に居るようにしていた。会話などはほとんどしていない。お手紙のやり取りをコッソリとする程度で微妙な距離感を保っている。
あまり話しかけたり仲良くしてしまうと、デジールが悪目立ちをしてしまうだろう。それは本意ではない。本当は休み時間の度に駆け寄りたい気持ちになるが、私はそれを堪えてデジールに接していた。
ただ、その甲斐あってか今のところデジールがリリーや、他の貴族にいじめられるという事は起きていなかった。デジール本人も私のおかげだと何度も言うけれど、何もしていない私にとっては複雑だ。まぁそれでも、このまま平穏に学園生活が遅れれば、それでいいのだけど。
次の日の休日、その日の朝は何やら慌ただしかった。浮かれた様子のカトリーヌが狩に行くのだと自慢げに私に話しかけてくる。どうやらカミール王子と一緒に狩りに出かけるらしい。
要するにデートだ。一日がかりで罠や弓を使いながらヴィックスという獣を狩るらしい。話によれば狐のような獣らしいけれど、実際にその獣を見た事がない私にはよく分からなかった。
「仕方がないから、帰ったら私が狩ったヴィックスを崇めさせてあげるわ。楽しみに待っていなさい」
出発前のカトリーヌが私に嬉しそうに言う。もはや台詞や態度が全てがチグハグになっている事に本人は気づいていないのだろう。
言っている事は傲慢なクセに、カミール王子に会える事がよほど嬉しいのか、合間に「変な所はない? 可愛い?」とやたら聞いてくる。まるでご主人様に会いに行く忠犬のようにも見えてきた。
浮かれまくるカトリーヌが心配になり何度も気をつけるように言う私は、もはや妹と言うより、姉か母にでもなった気分だ。
まぁ精神年齢的には完全に姉なんだけど……。
何度も狩りには行っているから大丈夫だと自慢げに話すカトリーヌは、無邪気に笑いながら屋敷を出発して行った。
彼女が屋敷を後にすると、周りが途端に静かになる。
私はカトリーヌの見送りついでに、そのままテラスで朝食を取る事にした。しばらくして、にこやかなデンゼンパパがやってくる。
「エリッサちゃん、エリッサちゃん、おはよう。こんな所で朝ごはん? 珍しいのぉ、あっ、わしも一緒に食べても良いかの?」
私はニッコリと微笑みを返しながら「ええ、はい、もちろんです」と答えた。
寧ろデンゼンパパが休日を屋敷で過ごす事の方が珍しい。それに何だかとても上機嫌に見える。カトリーヌといいパパといい、今日はご機嫌な朝だ。
「パパ、何か良いことでもありました?」
「ああ、分かるかい? エリッサちゃん」
「ええ、何だかとても嬉しそうに見えますから」
「そうか。そうか。そうなんじゃ、実はの、かねてから発掘をしていた鉱山から銀が発掘されたのじゃ。それがわしの領土で一、二を争うほどの発掘量になりそうでの。やはりあそこに銀が埋まっている目星をつけていた、わしの目に狂いはなかったぞ。ステイン家はまだまだ繁栄していける。まだまだこれからじゃ。更なる領土拡大も夢ではないぞ」
「それは、おめでとうございます。ステイン家は鉱山が主な領土なんですか?」
「何を言っておる。エリッサちゃん、ステイン家は金になる物は大体領土にしておるぞ。染物に用いる顔料になりそうな所を見つければ、いち早く買収し、そこに染物職人達を移住させ、染物を発展させる。麦がよくできる土地を見つけたなら、それも買収して農家を移住させたりと、エスターダ国の資源は満遍なく使う。それだけじゃない、国外の誰も手をつけていないような資源もいち早く見つけステイン家の財産にするぞ。
こうしてステイン家、並びにエスターダ国は繁栄しているのじゃ。
わしはな、エリッサちゃん。この国の発展こそが、ステイン家の最大の幸福と思っているのじゃ、皆が豊かになり幸せになればなるほど、ステイン家の富も権力も大きくなる。だから資源はいくつあっても足らんのじゃ。人の欲望は無限じゃからな」
話を聞いていると、領主は領主でもデンゼンパパのやり方はまるで投資家みたいだ。領内の税収だけを管理しているだけではない。常に更なる発展を目指し、新しい物を見つける。そしてお金になりそうなものを管理して動かし回している。
なるほど、だからここまでの財力を得ているのね。
ただ強欲だけではなく人と物を動かす力がデンゼンパパにはあるのか。まぁそれでもお金になりそうな土地や物を見つける嗅覚は確かなんだろう。
「感銘いたしましたパパ、私もステイン家の繁栄の為に精進いたします」
「うんうん、エリッサちゃんは凄く賢い子だから、わしは安心じゃぞ。ステイン家は安泰じゃ」
デンゼンパパの満面の笑みがこぼれていた。
まぁ確かに私の脳内にはこの世界には有り得ない文明が詰まっているのは確かだ。何を実現化出来るのか、そんな事も考えたりもしたけれど、それはある種危険を伴う。大した事がないと思っていた物が時に世界をひっくり返す。なんて事もあるのだし。私は出来る限り目立たずひっそりと生きたい。ただでさえステイン家とこのエリザベートを抱えて生きていかなければならないのだから。安全第一は大事だ。
恋しくはあるけれど、今のところ日本の文化、文明は封印すべきだと思っている。
デンゼンパパとの朝食を終えた後、私は自室へと戻りゆっくりと休日を楽しんでいた。何をするでもなく何も考えず、あまりにも広すぎる自室で、窓の外の庭を眺めたり、紅茶を飲んだり、ひと時のリラックスタイムを満喫していた。
そして、ちょうど昼になる手前の時間。
ーーーーーコンコン
「失礼します。お嬢様、今よろしいですか?」
マリアの声が珍しく少し早口で焦ったような声だった。
「どうぞ、入って」
私がそう言うと、マリアがドアを開け入ってくる。マリアの表情は明らかに雲っていて、その目は今までに見た事がないくらいに険しかった。
「どうしたの? マリア」
「まだ、色々と不確定なのですが、出先でカミール殿下が意識を失い、目を覚まさないようです」
「え!? カミール王子が!? それで、お姉様は? お姉様は大丈夫なの?」
「まだ情報が不確かで申し訳ないのですが、カトリーヌお嬢様の話は何も入ってきていないので、恐らく無事だとは思いますが……」
自分の心がザワザワと一気に乱れていくのが分かる。
「いずれまた詳しい報告がきますので、もう少しお待ちください」
「ええ……わかったわ」
私は不安感を抑えきれず、思わず手を合わせて自然に祈っていた。
お願い二人とも無事でいて……カトリーヌお願いよ。
カミール王子、そしてカトリーヌも、私と長い年月を一緒に過ごしてきた訳ではない。思い出などたいしてない。それでも一日一日と濃い日々を過ごす私にとって、凄く大切な人になっていっている。
それは今、湧き上がるこの不安感と砂嵐のような胸のざわつきが何よりもの証明になっていた。
ドタンバタンと大きな音を立てながらデンゼンパパが血相を変えて私の部屋にやってくる。
「エリッサ、カトリーヌが!! わしは心配で心配で」
朝、あんなにも嬉しそうに笑っていたデンゼンパパも、今は不安そうな顔を隠す事なく、私の手を握っている。私も大きなその手をそっと手を握り返した。娘の安否をただ祈るパパは、ただの一人の親、そんな姿がそこにはあった。
不安に押しつぶされてしまいそうな、その丸まったデンゼンパパの背中を、少しでも落ち着くようにと摩りながら、二人でカトリーヌとカミール王子の無事をひたすら祈り続ける。
数時間後、カトリーヌは無事だと連絡が入った。
報告を聞いた私とデンゼンパパは胸を撫で下ろし、ほっとする。でも執事が告げたその報告には続きがあった。
「カミール殿下が亡くなりました」
ーーーーーーーーえ?
その言葉が私の頭の中で響く。
カミール王子の笑顔が走馬灯のように過ぎっていった。
亡くなったと聞いて、カミール王子が死んだのだと言葉で分かっても、あんなに賢く優しいカミール王子が、こんなに呆気なく亡くなるなんて事を、信じる事が出来なかった。理解することが出来なかった。
デンゼンパパはカトリーヌが無事であることに安堵していたけれど、カミール王子の死に肩を落とし、ぐったりとした趣で、執事と共に私の部屋を後にした。
夕方、憔悴しきったカトリーヌが屋敷に戻ってきた。散々泣いたのだろう、顔には涙の跡が残り、それでもその瞳はまだ揺れている。朝、あんなにも元気だったカトリーヌは見る影もない。
カトリーヌの姿を見た途端、私の足は自然と駆け寄っていき、その体を思いっきり、ぎゅっと抱き締めていた。カトリーヌから埃っぽさと一緒に何処かお線香のような香りがする。懐かしさと一緒に死を感じさせる匂いに、私の胸に悲しみが押し寄せた。
「心配したよ。本当に、本当に、カトリーヌが無事でよかった」
一瞬体を強張らせたカトリーヌはそのまま私にしがみつく様にしながら、ずるずると力を無くしていくかの様にしゃがみ込んでいった。
「ーーーっぅう……カミール王子がっ……カミールがっ」
私の肩で泣き崩れるカトリーヌが倒れてしまわないように、私は力を込めて強く彼女を抱き締め続けた。
嗚咽に混じる彼女の慟哭を聞いていると、信じたくないのに、信じられないのに、カミール王子の死をカトリーヌ越しに実感する。鼻の奥がツンとしてきて、私の目にもいつの間か自然に涙が溢れていた。
カトリーヌがあんなにも慕っていた男性を失ってしまったのだ。突然起こった残酷な現実を受け止めるのは難しいだろう。今はどうにも出来ない感情を、喪失感を、ただ泣いてやり過ごす事しかできない。
彼女に、一人じゃないのだと、一人にしないよ、と思いながら、ただずっと抱き締め続けていた。
ひとしきり泣き続けたカトリーヌが疲れきって呆然としている中、私は手を引きながら彼女を自室に連れて行く。繋いだ手は冷たくて震えていた。
ベッドに座らせ、マリアや他の侍女に温かい飲み物と着替えの指示をしていると、ポツリとカトリーヌが呟いた。
「……カミール王子はね、私の前で亡くなったの」
「え……?」
「突然咳き込んで……くっ、口から物凄い血を吐いて倒れたの。それで、それで、そのまま死んでいったの。私っ、私は、何も出来なかった。何が何だか、まったく分からなかったの。混乱して」
とっくに枯れ果ていそうな真っ赤な瞳はそれでも頬に涙を落としていく。カトリーヌの目はすでに虚だ。
「お医者様は、原因はまだ分からないって。私、あの光景がすごく怖くて……本当に、本当に突然だったの、だって、さっきまで笑っていたのに……」
「お姉様……」
ーーーーーーバンッ!!
勢いよくドアが開く音とほぼ同時にデンゼンパパが飛び込んできた。
「カトリーヌッ!!心配したぞ」
デンゼンパパは、カトリーヌが潰れてしまうんじゃないかってくらい、勢いよくカトリーヌを抱き締めていた。けれどその目にもうっすらと涙が見える。
「おとぉさまぁっ……」
「カトリーヌ、辛かったな。聞いておるぞ。じゃがお主が無事で本当に安心した。お主に何かあったらと、本当に心配じゃった。生きた心地がせんかった。本当に無事で良かった」
「パパっ、でもカミールがぁっ……っぅう」
「ああっ、ああ、そうじゃな、聞いておるぞ。残念じゃ」
ステイン家は色々と欠けていると思う。冷淡だったり、自己中心的だったり、強欲だったり、でも、それでも今私の目の前に在るのは、ただの一つの家族だ。そこにはちゃんと血の通った家族の愛が見えた。
デンゼンパパとカトリーヌ、二人が抱き合っているのを覆うように私はそっと二人を抱き締めた。
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