No.42 遊戯


 アイヴァンは目を見開いて驚いた顔をしていたが、エリザベートは気にせず、馬車に向かって歩いた。

 馬車のドアの手前で着ていた白のローブを、するりと脱ぐと、薄手のワンピースがふわりと揺れる。

「乗ってもいいかしら?」とエリザベートは小首を傾げながらアイヴァンを見つめた。


 ゴクリと息を呑み込んだのを自覚したアイヴァンは「ああ、いいぜ」そう言ってエリザベートが入りやすいように身をよじる。


「ありがとう、アイヴァン君。いいえ、アイヴァン様」


 アイヴァンはニヤニヤと怪しい笑みを浮かべながらエリザベートを馬車の中へと促した。

 腰を下ろしたエリザベートはそっと微笑み三人を見つめる。


「おい、いったい、どういう風の吹き回しだ?」


 クリフがエリザベートに尋ねるとエリザベートは少し俯き、ゆっくりと話し始めた。

 アイヴァン、クリフ、ギルはそのエリザベートの小さな声に耳を傾ける。


「私が今どのような状況下にあるか、お分かりでしょう? あなた方のような強い方に私を守ってもらいたいの。もちろん私も馬鹿ではありませんし、無償で……だなんて思っておりません。それなりの覚悟はしております」


 エリザベートはわざとらしく足を組むと、ふわりと揺れたスカートから、白い太ももがチラついて見えた。


 その仕草に三人の視線はエリザベートの太ももに釘付けになり、息を飲む。その時だった。



 ーーーーーーーガシッシャーーン!!


 突如、御者側の小窓が割られると、そこからマリアの手が伸び、その手にあったロープてアイヴァンの首を素早く絞めた。


 あまりに突然で素早い出来事に、アイヴァンはロープで締め付けられた自分の首を押さえることしか出来ない。


「ひぃっ」


 そんな悲鳴のような声が聞こえたが、誰の悲鳴だったのかは既に分からなかった。


 マリアが小窓を割った瞬間に、エリザベートは隠し持っていたナイフでクリフを刺し、そのまま何かに取り憑かれたかのように、何度も何度も、刺し続ける。エリザベートがナイフを引き抜く度に馬車の中で血の雨が降った。


「ふふふふっ。ふひっひひひ」


 血に濡れ、笑いながら、異常なまでにクリフの胸を刺し続けるエリザベートに、隣にいるギルも返り血を浴びながら、声にならない声を上げ、放心し、その場から動けずにいた。


 クリフはすでに息絶えていた。けれどもエリザベートが執拗に刺し続けるせいか、口から血をゴポゴポと溢れさせ、目は白目を向いたまま動かない。


 その光景は異様だった。


 一心不乱にクリフの胸を刺し続けていたエリザベートが、ようやく動きを止めると、次の獲物を見つけたと言わんばかりに血に濡れた唇をペロリと舐めるとギルに向かって、ニタリと笑った。


「や……やめろ………やめろ来るな!」


 真っ赤に染まった顔で近いてくるエリザベートに、ギルは、腰が抜け、思うように動かない。尻を引きずるように後退りをしながら、その手を前に出していた。首を振りながら「来るな、来るな」と、まるでうわ言のように何度も繰り返している。座席の端に追い込まれたクリフに、逃げ場はもうなかった。


 エリザベートは、そんなギルを楽しむかのようにニタニタと笑いながら近づいていく。真っ赤に染まったローブで、血に濡れた自分の手とナイフを拭き取ると、ナイフを握りしめ直してからギルに向けて振り下ろした。


 ギルは咄嗟に強く目を瞑り、「やめて!!」と叫ぶ。

 けれど、容赦なく振り下ろされたナイフはギルの手のひらの肉を破り、そのまま貫通した。


「うあ"ぁあぁぁぁぁ! 痛いっ!! イタイイタイイタイイタイ! いたい! 痛いよっ!!」


 ナイフが刺さった手を自分の方へと引き寄せたいのに、エリザベートはナイフの柄を持ったままグリグリと捻るように動かしていく。ギルはその激痛に耐えられず、泣き叫ぶ事しか出来なかった。


 クスクスと楽しそうに笑いながらナイフの柄を捻るエリザベートは、まるでオモチャで遊ぶ子供のように無邪気だ。


「アイヴァン! アイヴァン助けて、痛いっ痛いよ! 助けて!!」


 必死で助けを呼ぶけれど、アイヴァンは後からマリアに首を絞められ声を出す事も、身動きすらできなかった。抵抗しようと、動けば動くほどアイヴァンの意識は朦朧としてくる。


「アイヴァン助けて!」


「あらまぁ、煩い子ね。でも、確かあなた達は人の泣く姿を見るのが好きだったわよね? いたぶるのが大好きなのよね? 三人揃って、ずっとそうだったのでしょう? 私もね、いい趣味してるって思ったの。あなた達の気持ちも分かるわ。でも、残念ね」


 エリザベートはギルの手に刺していたナイフを一気に抜いた。血が弧を描いて飛び散る。


「ゔぁぁぁっ!! やめて、やめてっ、こないで!! 嫌だ、死にたくない。死にたくない!!」


「私、あなた達が今までしてきた事を、ちゃぁんと調べたのよ? とっても、下劣で醜くて、素敵だったわ。いい子だったら飼ってあげたいくらい。でも本当に残念。あなた達の失敗は、この私に楯突いたこと。だって、あなた達も散々言ってきたのでしょう? 身分は絶対だと、貴族である事を笠に着て散々人をいたぶって来たでしょう?

ならば、貴族の最高位であるステインを敵に回した罰は、貴族らしく甘んじて受けなさい」


「すまない。悪かった、悪かったから。許して」


「そうねぇ」


「………え?」


「それは、許されないわ」


 エリザベートはそう言いながら素早くギルの首にナイフを突き刺した。


「ぐぼぉっ」


 ギルの断末魔は小さく、血で溺れるような音がした。


「そう、いい子ね。そうやって黙っていればいいの。大人しく私に殺されなさい。ふふふ」


 エリザベートは既に骸となったギルの体を引きずるように横たえると、首からナイフを抜き去り、血を浴びながら、また何度も何度もギルの胸を刺し始めた。


「ふふふ、そうこの感覚………この感覚よ。ああ最高。今日はなんていい日なの。もっと私を楽しませて頂戴」


 ナイフの引き抜く音と刺していく音が交互に馬車の中で響き続ける。馬車の天井からは常に血が滴り落ちていた。


「あぁ、この錆びた鉄のような匂い。やっぱり若い男の血の匂いは刺激的ね。殺しがいがあるわね。ねぇマリア」


「はい、お嬢様」


「マリア、アイヴァンはまだ殺しちゃ駄目よ? これから楽しいことをするのですから」


エリザベートそう言って、マリアに合図を送ると、マリアは「畏まりました」そう小さく呟いて、アイヴァンの首を一気に締め上げた。


「アイヴァン。お休み。次目覚めた時にまた遊びましょうね」


 アイヴァンは薄れ行く意識の中、不気味に笑うエリザベートを見続けた。声を出したくても、出せず、吐きたくても吐けず。涙だけをボロボロと零しながら、最後まで真っ赤に染まる彼女を見続けた。


 エリザベートは気を失ったアイヴァンを確認すると、すぐに馬車を出すようマリアに指示を出す。マリアは慣れた手つきで馬を操り、すぐに馬車を走らせ始めた。その隣には既に死んでいる御者の男がぐったりと座っていた。


「マリア、悪いけど、道を走らず草むらを通ってちょうだい。痕跡を残してしまうわ。私、少し楽しみ過ぎてしまったみたい」


「畏まりました」


「それから、着いたら、すぐにアイヴァンの制服を脱がせて綺麗に洗ってほしいの。頼んだわよ」


「はい」







 しばらくして、人気のない豚小屋の中、そこで酷い臭いと共にアイヴァンは目を覚ました。


 周りは真っ暗で夜だとすぐに理解した。暗闇の中、朝方起きた事は夢だったのかとアイヴァンは一瞬期待したが、自分の体の身動きが取れない事に、すぐに絶望感が押し寄せる。


「こっここは何処だ」


 周囲を見渡しても真っ暗で、何も見えず、全く身動きが取れない。自分の体を見てみると、手足が柔らかい布によって椅子に結びつけられていた。


「おい、誰かっ!! 俺を自由にしろ」


 アイヴァンが叫ぶと、真っ暗な小屋の中央から小さなランタンを手に持ったエリザベートが白く浮かぶようにアイヴァンのほうに向って歩いて来る。


「おはよう。アイヴァン」


「え……エリザベート」


「あらあら、まだ自分の立場が分からないようね。ふふっ」


「おっ、お前は何がしたいんだ。俺を殺しても何も変わらないぞ。お前の家は王子殺しで断罪されるんだ。そうだ! 死刑だ! お前もお前の家族も皆んな死刑になって死ぬ!! 一緒じゃないかっ! 変わらない!!」


「そう。それは、あなたの妄想?」


「妄想だと!? 事実だろ」


「ふふっ。本当あなたみたいなお馬鹿さんと居ると飽きないわね。男爵の家に生まれた、お馬鹿なお坊ちゃん。世の中はあなたの知らない事で満ちているのに、あなたはその小さな、物差しでしか物事を測れなかった、それを恨むのね」


「どういう意味だよ」


「そうね、一つ教えてあげるわ。あなたは私達ステイン家は皆、死刑になると言うけれど、ステイン家はこんな事で潰れたりはしないの。もともとね、ステインはこの国を潰せるほどの勢力を持っているの。それはどんな意味だか分かるかしら?」


「そっ、そんな、はったり通用するかよ」


「まぁ、そうよね。信じたくは、ないわよね。いいわ。どの道、あなたは、この先の未来を見る事は出来ない。あなたには関係のない事だものね」


 エリザベートは、手に持っていたランタンをアイヴァンの足元へとそっと置いた。

 小さな光によって浮かび上がったのは、見るも無残なクリフとギルの死体だった。


「………ゔわぁぁぁっぁ」


「そう驚かなくても、あなたも、これから彼らと同じようになるのですから。その覚悟もあるのでしょう?」


 エリザベートが「マリア」そう静かに呼ぶと、暗闇から「畏まりました」と小さな返事が聞こえ、すぐに壁に掛かる燭台に順に火が灯されていった。

 全部に火が灯る頃、豚小屋が薄暗く照らしだされる。

 

 アイヴァンの目の前に大きなテーブルが置かれ、その上にはナイフ、ナタ、ノコギリが並べられていた。


「さて、これからお楽しみタイムです。アイヴァンあなたには私から特別にプレゼント。この楽しい時間を特等席で、じっくり見て堪能して頂戴」


「な、何をするんだ」


「ふふふ、これから、こちらにいる可愛い豚さんの為に餌を作って差し上げるの」


 エリザベートはクリフの死体をテーブルの上に置くと、躊躇う事なくノコギリで首を切断し始めた。


「お……い、おい、おいおい。嘘だろ」


「あら、なぁに? なんで驚いているのかしら? 私はただ、豚の餌を作っているだけ、お料理と同じですよ」


「豚の餌って………り、料理?」


「残念ながら、彼らは愚かで馬鹿で何の価値のない貴族でしたから、少しでも世の中の為になってもらえたらと。こちらにいる豚さんの餌になってもらえば、少しはその無能な人生に報いることが出来ると思うのです」


 エリザベートは言いながら、クリフの頭を胴体から切り離した。切断部分を食い入るように見つめながら「これが、脊髄? 動脈と静脈はこれかしら。あぁ、やっぱりそうよね。なるほど」と何やら独り言をブツブツ唱えながら指でほじくるように確認していく。


「マリア、この首は後で使いますから、綺麗に洗って袋に入れて置いて下さい」


「畏まりました」


「さて、お待たせしました、アイヴァン君。楽しい餌の製作の時間よ」


 エリザベートはナイフやナタ、ノコギリを使いながらアイヴァンの目の前でクリフの死体を手早く解体していった。

 時々、切断面や内臓を眺めては納得したように頷き。アイヴァンに説明していく。

 楽しそうに死体で遊ぶエリザベートを見ていたアイヴァンは吐き気を催し、そのまま嘔吐した。


「あら、アイヴァン、汚いわ。まだギルのも残っているのよ? ほら、これを見て」


 エリザベートはテーブルに並べるように置かれたクリフの肉片を柵の奥、豚の居る方へと投げ入れる。飢えていたように豚は勢いよく、その肉片を食べ始めた。


「美味しそうに食べるわね。あなたも同じように食べられるのよ。世の中の役に立ててよかったわね」


 エリザベートが向ける微笑に、アイヴァンは既に虚勢を張ることも出来なくなっていた。


「どうしたの? そんな顔しちゃって」


 アイヴァンの股の間から、じんわりと染みが広がっていき、ポタポタと落ちていく。その姿を見たエリザベートはニンマリと笑った。


「た……助けてくれ。おぉ俺が悪かった。なぁ、何でもいう事聞くから……」


「お馬鹿さんは言葉使いも知らないのね。私、あまりお馬鹿さんは好きではないのよ? 手元が狂ってしまうかもしれないわ」


 次にギルの死体を台に乗せたエリザベートはクリフと同じ手順で首を切断し始めた。


「お、お願いします。許してください。助けてください………お願いします」


「あら、さっきとは大違い。急にお利口さんになって、可愛い子」


 ナタを振り下ろす音や、骨がバキバキと砕ける音が響く中、すぐにギルの体は人の死体だと分からないくらいにバラバラにされていった。


「助けてください。俺が悪かったです。もう、逆らいませんから、絶対に、何でも言うこと聞きます。お願いです。助けてください。お願いします」


アイヴァンは目を瞑り、涙をボロボロと零しながらエリザベートに懇願していた。


「そうねぇ、そこまで頼まれたら。どうしましょう。マリアどうします?」


「お嬢様はお優しい方ですね。このような輩に情けをかけるなど、わたくし感銘いたしました。そうですね。では、一筆書いて頂くのはどうでしょう」


「ああ、そうね。それがいいわね。遺書を書いてもらいましょうか」


「い、遺書……?」


「そう、遺書を書いて欲しいの。あなたの字でね」


「い、嫌だ。遺書って俺が死ぬってことだろ」


「それは、あなた次第よ? 私の思うように書いてくれれば、あなたを生かしても良いと思っているの。遺書と言っても死体の見つからない死に方はいくらでもあるの。でも遺書が見つかれば、あなたは死んだことになる。だからこれは、あなたの為の遺書よ」


「ほっ本当に殺さないのか。俺を本当に殺さないのか?」


「あら? お口が疎かになっているわ」


「もっ、申し訳ありません。ほっ本当に助けてくれますか?」


「そうね。ええ、遺書さえ書いてくれれば、あなたを解放してあげる。でも、今後、二度と家には帰れない。遺書を書いたあなたは死んだことになるもの」


「かまいません!! 助かるなら、助かるなら何でもします」


「そう、良い子ね。なら書いてもらいましょう」


 エリザベートは真っ赤になった手をフキンで拭くと。アイヴァンに紙とペンを差し出した。


「皆様、リリー・マクニールをダーバァの儀式に使ったのは僕です。さぁ書いて……」


 エリザベートは優しくニッコリと笑いながらアイヴァンを見下ろした。

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