No.78 イデアは笑う


 夕方になるのを待って、ヴィルヘルム将軍の屋敷を後にした。


「それで? ジェフ、イデアには何処で会えるのかしら」


「劇場です」


「劇場? もしかしてそれって、チベンチャ?」


「ご存知でしたか。ええ、その通りです」


(チベンチャって……カトリーヌとデートに行ってグエン王子が亡くなったあの劇だ)

「あら随分と劇的で素敵ね。イデアに会える場所がグエンが死んだ劇だなんて。イデアもビックリするでしょう」


「ええ、それは勿論、驚かれるでしょうね」


「ねぇ、劇に役者として乱入は出来ないかしら?」


「いえ、流石にそれは出来ません。劇のど真ん中であれば包囲される可能性が高い。何かあった場合逃げ切れませんよ」


「あらそう、残念。せっかく劇的なシチュエーションですもの、演出も劇的にしたかったのだけど……」


「シュチュ……? コホンッ、エリザベート嬢、差し出がましいですが、もう少しご自身のお命を大切にして下さい。これでも十分危険な行為です。慎重に」


「命を大切に? あら、私は今とっても輝いているの。だったらそれで良いじゃない。劇的なんて素敵よ。超越した美貌を持つ可憐な私が、悪女イデアに立ち向かう。うふっ、なんて素敵なの。悪女の兵に包囲され、追い詰められる私。ああ、もう駄目、捕まってしまうわ。うふふ、素敵ね。なんて輝いているのかしら私」

(いやいやいや、妄想がおかしいよエリザベート、そもそも、あなたも悪女だから。もしかしたらイデアよりもあなたのほうが悪女だし。今の状況で輝いてるって……もう、本当どうかしてるよ)


「エリザベート嬢……不吉な事を仰らないで下さい。あまりに危険です。お止めください」


「ふーん。残念……。楽しめそうなのに」

(楽しんじゃだめだよ。危ないんだよ!?)


 ジェフはどこか諦めたような、呆れたような顔をして私を見ている。


「いやはや、エリザベート嬢は肝っ玉が座っておられる。そこら辺の兵士より、度胸がありますよ」


(ジェフさん、もっと強く言ってください。そして、お願いだからエリザベートが暴走したら止めて下さい。)

「ふふふ、私に度胸? ないわよ、そんなもの。ただ楽しいか楽しくないか、気持ち良いか気持ち悪いかの感覚だけ。ただ、今はイデアにどう死んでもらうかを考えるのがとっても楽しくて……ああ、本当早くイデアの死に顔が見たいわね」


 私はうっとりとした表情で空を見上げた。


(あー駄目だ。もうどうしようもない。

ジェフの顔も引きつってるし、マーティンはだいぶ距離を取って歩いてる。絶対目を合わさないようにしてるよね。

私痛い子じゃん。頭がトチ狂ってる痛い子じゃん)


 劇場近くに着くと、ジェフは飲食店のお店へと入って行った。私とマーティンも後に続く、座った席からはちょうど劇場が見える。ジェフは劇場を見ながら言った。


「劇はもう始まっています。終わるまでここで待ちましょう。劇が終わって、最初に劇場を後にするのは貴族です。必ず身分の高い者から出てきます。今は劇場の前に馬車は止まっていませんが、馬車が並び始めたら、劇がまもなく終わる合図です。

そのタイミングで動きましょう。

イデア王妃と会い、時間を見計らいながら、その後劇場から出てくる観客の人の流れに紛れて逃げる寸法です」


「あら、随分と入念ね」


「それはそうです。イデア王妃に直接会うなんて大それた事をするのです。そのぐらいは考えなくては」


「ねぇジェフ、イデアを暗殺しては駄目よ?」


「なっ!」


「だってそうでしょ? 貴方の言った計画はどう見ても暗殺を行う為の計画なんですもの。確かにイデアを殺さないと、ルイ殿下も私も命を狙われ続けるわ。でもね、殺すにはちゃん手順があるの。順序と方法を踏まえないと。だって私達は謀反人ではないのよ」


 ジェフは黙り込む。


(え? もしかして本当に暗殺する気だったの?)


「ジェフ、ルイ殿下は次の王になるのです。殿下に汚点があってはなりません。王妃殺しが次期王だなんて、絶対にあってはならないのです。王妃を殺すのはコルフェ陛下でなくては。そうでしょルイ殿下?」


「えっ僕は……」


「良いのですよ。殿下はただ首を縦に振っていれば……」


「エリザベート嬢!」


 ジェフが窘めるように私の名を呼ぶ。


「あら、ジェフ、私に説教ですか? 殿下に汚名を着せようとしていた貴方が私を咎めるの?」


(うわぁエリザベート……これじゃジェフが何も言えないよ)


 案の定ジェフとマーティンは何も言わずただ、テーブルを見つめていた。


「ふふっ、お二人ともそんなに落ち込まないで。私機嫌は良いのよ? だってこれからショーを始めるんですから、ふふふ」


 それから暫く、私はテーブルに頬杖をしながら、劇場を眺めていた。


 一時間は経っただろうか、馬車が劇場の前に止まり始める。


「さっ、いよいよね」


 マーティンは緊張と恐怖心が押し寄せてきたのか、私をビクビクとしながら見ていた。


「ぼぼぼ、僕も行かないと行けないの?」


「あら、殿下が宣戦布告をするのですよ? 王宮を貶したと貴方が言わなければ始まりません。大義名分とはそう言うものです。これから戦争をするのです。私は兵隊。殿下はお上。いいですね」


「そんなっ……」


「殿下は私が話を振ったら“そうだ!”と仰れば良いのです。ジェフ、殿下の身の安全を任せましたよ」


「それは無論です。ただ、申し訳ありません。私の身体も一つ、最悪の場合、エリザベート嬢、貴女様を見捨てても?」


「構いませんよ。いつの時代も兵隊はお上の為に死ぬものですからね。ふふふ」

(えぇっ!? そんな危険な目にあうの? 私ちょっと怖いよ)


 私の心の中の気持ちとは真逆に、身体は意気揚々と席を立ち、店を出た。


 後からジェフ、マーティンがついて来ていたが、馬車の物陰に立たせ、少し待つように指示をする。


 私は劇場入り口の一番近くに停車していた、豪勢な馬車を横切り、そこから馬車二台離れた所にあった馬車の前で立ち止まる。

 私は近くの御者の男にニッコリと笑いかけた。


「ねぇ、おじさん。このチベンチャってそんなに楽しい劇なの?」


「おや、可愛いらしいお嬢ちゃんは、チベンチャ見たことないのか? そりゃいかん。チベンチャ楽しいぞ。気持ちがスカッとする」


「そう。そんなに楽しいなら今度見にいこうかな」


「お嬢ちゃんは、ガーデンの出身かい?」


「いいえ、田舎者よ。物売りの父と一緒にこのガーデンに来たの」


「物売りかい、何を売っているんだね?」


 私は少し微笑む。


「ねぇ、おじさん買ってくれる?」


 御者の男は驚き少したじろいだ後、首を横に振った。


「駄目だ、今は仕事中だ。そう言う話なら他所へ行っておくれ」


「はーい」


 私は後手に組んだ手をはずませて、楽しそうにしながら馬車の周りを歩き始めた。

(ちょっ、信じられない。エリザベート、貴方まだ14歳の癖に意味分かって言っているの!?)


 少し離れた馬車の物陰で立っていたジェフとマーティンを横目で見ると、マーティンは怯えた様子で周囲をキョロキョロと見渡している。


「いちいち煩いわね。それにしても……ふふふ、あれがこの国の次の王になるなんて滑稽ね」


 小さく呟いた私は、マーティンとジェフの方へ向かって歩いた。ジェフと目が合うと首を傾げながら「先程の御者とはいったい何を?」と聞いてくる。


「あの馬車頂こうかと思ったのだけど、御者に断られてしまったわ。残念」

(いったい何するつもりだったの? まさか……)


「あの、エリザベート嬢、頼みますから騒ぎになるような事はくれぐれも」


「分かってるわよ。それよりも、殿下は随分と酷い顔色ね」


「だだだって、さっきから、心臓がドキドキしてて、どうしても怖いんだ。僕、やっぱり無理だよ」


「ねぇ殿下、貴方の無能な人生の一世一代の大舞台なのです。どうせ死ぬときは皆一瞬。そう怖い物でも無いですよ」

(いや、普通に怖いよ。痛いし苦しいよ。一度死んだ経験者として、断固否定したい)


 私は殿下の前に自分の右手を差し出した。


「もし死ぬようなことになったら私も一緒に死んで差し上げますから。さっ、一緒に行きましょ?」


 マーティンは挙動不審に周りを見た後、手をもじもじしながら恥ずかしげに呟く。


「僕は、一緒に死ぬならカトリーヌと死にたい」


「あら? 今ここで死にますか?」


「あっ、いやエリザベート嬢で大丈夫です」


「ふん、よろしい殿下。っさ」


 私が差し出した手をマーティンが握ると、一緒に劇場の出口へと向った。


「ねぇ、カリーの何処がいいの?」


 マーティンは小さな声で呟く。


「全部……」


「うわ、っきっ」

(エリザベート!)


「コホンッ」


 私は咳払いをしてニッコリ微笑む。


「きっとお姉様も喜びますね。その言葉を聴いたら、多分……」

(きっっしょ!!)


「そう、かな……? でも僕頑張るよ。カトリーヌの為に」


 私は呆れながらマーティンを見た後、出口付近で足を止めた。


 ーーーーガタン


 出口の扉が開き、使用人達が次々に出てくると、そこから二人の男女が現われた。


 イデアともう一人はコルフェ王ではなく、中年の男性貴族だ。


 私は一瞬目を見開き、ニタリと笑うと、マーティンを引っ張りながら、駆け足でイデアの方へと向った。


「っちょっと君達!」

「待ちなさい!」


 護衛や使用人がそう言って私達を止めようとするが、私はその手を振りほどき、叫ぶ。


「イデア!」


 私の声に振り向いたイデアは眉をひそめ、私達を見ると、一瞬凄く驚いた顔をした後、私と同じようにニタリと笑った。


 今まで、見てきた私の知っているイデアの笑顔と全くは違う。その笑みは不気味で、ギョロリと動いた目はまるで私達を捕食しようとしているかのような目だった。

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