第7話 過保護な王女

 僕が書記になるためには、佐伯の出した課題をクリアすることが条件になった。

 期限は一週間。僕はその間に、かつての生徒会執行部が残した記録の整理と、各年度ごとの成果をまとめて提出しなければいけない。

 簡単な話ではないと思っていたが、蓋を開けてみればとんでもない作業量が僕の前に突きつけられた。

 テキストファイルに日付は入っていないし、似たデータが幾つもあるし、どれが正式な報告書か区別できないし、写真データが山のようにあるしで、仕分け作業は困難を極めた。

 夜遅くまで生徒会室に残ってようやくデータを整理し終えたときには、既に一週間の半分以上が過ぎていた。残すところ今日の金曜日を入れてあと三日。その三日間で各年度の成果をまとめなければいけない。十年分のデータに目を通して書類を作るのだ、この三日間で。


「できるかぼけぇ!」


 夕日が差し込む生徒会室に僕の声が虚しく反響した。

 がりがりと頭を掻いて壁時計を確認する。午後六時を回る頃だった。今日も夜までかかるかもしれない。三月に入り暖かくなってきたとはいえ、夜はさすがに冷え込む。本当なら一刻も早く帰りたい。

 それに今日中で終わらないなら、データを持ち帰って土日で仕上げることになる。貴重な休みが全て潰れると思うと気分はますます滅入る。


(はぁ。やりたくもない仕事のことで、何でこんなに苦労してるんだろ)


 葛城美波が僕を好きになった経緯を探るだけなら、別に書記という立場に拘らなくても良かった。

 でも、彼女の信頼の声を、どうしても裏切ることができなかった。

 それに大見得を切ってしまった手間、やっぱりできませんでしたとも言いたくない。佐伯の得意げな顔を想像するとちょっとむかつくし。

 反抗心と不安が胸中でせめぎ合っていると、腹の音が鳴った。


「……今のうちに飯でも買いに行くか」


 近くのコンビニを思い浮かべながら、僕は財布を握りしめて生徒会室のドアに向かった。スライド式のドアを開ける。


「どこへ行くのですか」


 美少女がいた。


「どわぁ!」


 慌てて後退したらパイプ椅子に思い切りぶち当たった。太ももが痛い。

 しゃがみこむと『こーくん!?』切羽詰まった声が脳に響いた。

 眉を寄せた葛城美波が小走りで近寄ってくる。


「大丈夫ですか才賀くん?」

『どうしようどうしよう……! 私のせいで!』


 僕は痛む箇所を押さえながら無理に笑ってみせた。葛城美波が自分を責め始めているので、ここは平気なふりをしておく。


「軽く当たっただけだから。心配ない」

「いけません。保健室へ行きましょう」

「大丈夫ですって。それにもう開いてないでしょ」

「あっ……そう、でした。すみません」


 素で間違えるとは、よほど慌てているらしい。けれど葛城美波の表情は相変わらず平然としたもので、心の声を読めなかったら冷たい印象に変わっていたかもしれない。

 笑わない王女と言われるだけあるが、感情豊かで個性的な部分まで隠れてしまうのはもったいない気がする。


『うう、心配です……いつも強がるんだから』


 一瞬、痛みが遠ざかった。


(いつも、だって?)


 そんな表現をされるほど過ごした時間は長くないし、強がっているところを見せた覚えもない。

 やっぱり僕と葛城美波は、どこかで出会っているのだろうか?

 こちらが困惑している間にも、葛城美波の心の声は途切れない。


『保健室が開いていないならここで強引に治療を始めたほうがよいかもしれませんね。嫌がったとしても二人きりですし。あ、鍵をかけておきましょう』


 葛城美波は僕の方を向いたまま静かに後ろへ進んで、ドアの鍵を閉めた。

 あの、もしもし?


『打撲の処置は患部を冷やして湿布を張ること。確か消毒液とガーゼは所持していたはずですが……湿布、は持っていませんね。仕方ありません、まずは濡らしたハンカチで患部を冷やすとして、その後に湿布、いえ冷却スプレーのほうがいいかも。今から買いに行きましょうか』


 冷静に判断しているようだが、消毒液とガーゼを携帯しているところが気になって仕方ない。そんな女子高校生聞いたことがないぞ。

 葛城美波は携帯電話を取り出してなにかを調べ始める。


『もし青あざになっていた場合は……ふむふむ、温熱療法や血液の循環を良くすることで消えるのが早くなる、ですか。まずはここに載っている軟膏とクリームと漢方を購入してこーくんに与えましょう』


 良かれと思ってペットに大量の餌を与える飼い主みたいな思考だぞ。

 っていうか、そんな効果が同じようなものを大量に買わないでほしい。


『もしそれで痛みが引かなかったら……か、考えたくないですが、骨に異常があるかもしれません……! 万が一のことを考えて救急車を呼ぼ――』

「あー! 痛みも引いてきた! 良かった良かった!」


 僕は咄嗟に屈伸運動をして大丈夫だとアピールをした。太腿を打っただけで救急車を呼ばれるなんて前代未聞だ。素でこんな大袈裟な選択肢を選ぼうものなら、むしろ彼女のほうが心配になってくる。

 スクワットをする僕を葛城美波が胡乱げに見てきた。


「我慢してませんか」

「し、してません」


 尚もじーっと見つめられる。離れたせいで心の声は聞こえなくなっていた。

 葛城美波はため息を吐くと、ドアの鍵を開けて廊下へ出ていった。

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