第28話 王女の秘密

「……でも、タイムリープ前も楽しかったんでしょ」

『あ、はい。それはもう。付き合う前の文化祭もすごくドキドキして――」

「そのドキドキは、僕の中にはない」


 怖じ気づく自分が、奥底に隠していた感情の奔流で押し流されていく。


「君がタイムリープしたことで大切な思い出は失われてしまった。君の中以外には」


 不安と焦燥と、一縷の望みに賭けようとする自分の願いのせいで、喋る速度が早くなっていく。


「でも、そのときの僕にとっては、かけがえのない記憶だったはずなんだ」

『……こーくん?』


 美波さんがそっと手を離した。彼女は唇を少し開き、揺れる瞳で僕を凝視する。


「美波さん。教えて欲しい」


 僕は彼女を静かに見据える。

 抱きしめたくなるほど、弱々しく戸惑う目つきだった。

 だけど僕はもう、ここから逃げられない。


「どうして嘘をついたの」

『……う、嘘ですか?』

「笑顔を取り戻すために能力を封印しようとしたっていう、タイムリープの理由がだよ」


 彼女は息を呑み、足を擦るように少しだけ後ずさった。


「違うってわかったんだ……僕は今まで、今の自分を基準に考えてた。でも、タイムリープ前の自分の立場で考えると、とてもじゃないけど賛成するとは思えない。だってそんなことをしたら、君に告白した記憶も付き合ってるときの大切な思い出も全部消えてしまう。たとえタイムリープ後に君と付き合えたとしても、やっぱり嫌だよ」

『そ、れは……でも、こうして私は、過去に戻って』

「じゃあそのとき僕となんて会話した?」


 美波さんの声が途絶える。狼狽えるように視線が泳いでいる。


「たぶん僕は、笑わなくてもずっとそばにいるって、好きでいるって約束したはず。君に真実を話してもらったときみたいに。ね、僕はそういう人間でしょ?」

『それは確かに…………あっ』


 美波さんが自分の口を押さえた。

 今のは肉声ではなく思考だが、つい本音が漏れてしまったようだ。

 彼女は慌てたように僕から距離を離す。

 僕は早足で彼女を追い掛ける。


「僕の反対を押し切ったり説得してるなら、説明できるはず。できないってことは、そもそも話すらしていない。そうでしょ」

『っ……!』


 美波さんの腕を掴んで引き留める。

 その目元が悲しげに歪んでいた。


(……やっぱり、か)


 美波さんが一大決心を僕に伝えないわけがない。無視して戻ることもない。

 もし話しているなら、どんなやり取りがあって僕を説得したのか、具体的に伝えられるだろう。

 できないということは、僕が引き止めた事実自体がなかった。そうとしか考えられない。

 ……そして、タイムリープの理由が嘘だと思った根拠はもう一つある。

 一年前に戻って能力を使えないようにするのが目的と言うが、そんなことをしなくても簡単に能力を封じる手段がある。

 。たったそれだけだ。


 彼女の能力は自分の日記帳に戻りたい日時を書くことで発動する。他の媒体では発動しないのも確認済み。

 だったら、日記帳を消去すれば能力は使えなくなると考えるのが普通だ。

 能力を失いたくないとか、そこまですることに尻込みするなら、一年間ほど手の届かないところに隠せばいい。


 今まで気づけなかった僕は大間抜けだが、美波さんにしてもらしくない稚拙さではある。もしかすると急遽こしらえた設定だったのかもしれないが、その辺りは今は置いておこう。

 重要なのは、美波さんが一年前に戻る理由がなかった、ということだ。

 じゃあ、なぜ戻ってきたのか?

 そして僕は何をしていたのか?

 こう考えれば辻褄が合う。、と。


「一月二十五日」


 口に出した途端、美波さんの肩がビクリと震えた。


「そこから戻ってきたって言ったよね。僕はそのとき、なにしてたの」

『…………』


 唇を引き結んだ彼女から声は聞こえてこない。器用に思考を閉ざしている。

 そういえばこういう特技を身につけた人だった。黙秘というわけだ。

 しかし僕も能力の扱いに長けている。なにを言えば思考させられるか引き出せるかを、熟知している。


「美波さん、僕はどうやら寝ているときでも声が聞こえるらしい」

『えっ……』


 呆気に取られた美波さんの、その目が理解を示すように見開かれていく。『それ、って』


「保健室で寝ていたとき、そばにいる君の声を聞いてた」

『うそ、そんなのうそです」

「嘘じゃない。君がどうして僕のことをそんなに心配してくれるのか、ようやくわかった。僕の傷つく姿が、君のトラウマだったからなんだって」

『………ゃ』

「それが、タイムリープの本当の理由なんだろ。笑顔を取り戻すためだなんて嘘をついたのは、真実を知られたくなかったからで――」

「いやっ!!」


 美波さんが暴れるように僕の手を振り解く。そして僕から離れ、背を向ける。


『いやだ、いやだ、いやだ、聞きたくない、聞きたくない……!』


 美波さんが両耳を手で塞いでいた。小さい身体が震えているのは、きっと寒さのせいではない。

 ……なにか妙だと感じた。糾弾しているような形になってしまったけど、ここまで拒否反応じみた態度になっているのが、解せない。

 一抹の不安はあったが、しかし僕は、淡々と事実を述べるしかなかった。


「一月二十五日から先、僕はこの世界に……いない」


 一分間が経過したせいで、彼女の心の声は聞こえない。

 遠くから聞こえる生徒たちの楽しげな声が、どこか遠い世界のように感じられた。


「君がタイムリープしてこれたのは、そもそも止める人間がいなかったから」


 美波さんは動かない。


「僕が居なくなった状況こそが、タイムリープの本当の理由だった。その真実を伝えれば僕を動揺させてしまうから、今まで嘘をついて隠していた」


 美波さんは動かない。


「僕は一体どうなるの、美波さん」


 美波さんは動かない。


「答えてくれ」


 耳を塞ぎ、口を閉ざし続けた美波さんが、のろのろとした動きで僕を見た。

 その目には光が、生気が失われていた。


「……美波さん?」


 なんだろう、彼女の様子がおかしい。

 胸騒ぎに背中を押されて、ゆっくりと近づく。

 美波さんは逃げることもなく、僕に腕を掴まれた。


『どうして、どうして、

どうしてどうしてどうしてどうしてどうして

どうしてどうしてどうしてどうしてどうして

間違えた気づかなかった油断していた検証しなかった

どうしてどうしてどうしてどうしてあああああ私は私は私は

私は、どうして』


 反射的に手を離す。

 聞こえてくる声は単調で酷薄で、まるで機械がエラーメッセージを吐いているようだった。

 異常をきたす状況に、僕はただ混乱した。

 これは、


 ――そうですか……私の詰めが甘かったのですね。しかしバレてしまっては仕方ありません。真実をお話しましょう。


 そんな風に諦観を滲ませつつも、冷静に受け答えしてくれると思っていた。

 だって、僕の予想通りなら、彼女は未来を変えるために、僕を助けるためにタイムリープしてきたはずなのだ。それを伝えなければいけなくなったとして、ここまで取り乱すだろうか?

 背筋を、冷たいものが流れていく。

 僕は、何かを間違えている。


「み、美波さん、落ち着いて……僕は怒ってないから。だって君は僕を救うために戻ってきてくれたんでしょ? 無闇に脅かしたくないから黙っていたんだよね?」


 自分の考えが正しいことを信じて、彼女にそうだと言ってもらいたくて、僕はそう聞いた。

 美波さんの顔から血の気が引いてく。

 いやいやをするように首を振り、後ずさる。しかし屋上は行き場がなくて、彼女は背中からフェンスに当たる。ガシャンと甲高い音が鳴った。


『ち、が……違うん、です……私は』


 美波さんが、怯えている。

 僕に、いや、僕の反応に恐怖し顔を引き攣らせている。


『…………救えなかった』


 か細く消え入るような声のあと、美波さんが叫ぶ。


「私は、私は……あなたの考えているようなことが、できなかった! できなかったんです……!」


 頭の奥で轟音が鳴り響いた。

 脳裏を過ぎるのは、足立少年の幼馴染の死。

 千晶少年はタイムリープ前も後も、まったく同じ日に亡くなった。そこで終わると予め決められているかのように。

 そして、過去に戻っても変えられないことの法則。

 一つは多人数が関わること。

 もう一つは、運命とも呼べるようなこと。

 もし一月二十五日が、運命に定められた日なら。


 タイムリープを持ってしても、僕の未来は変えられない。


 じゃあ、どうして美波さんは――


「なんで、一年も前に、タイムリープしてきたんだ」

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