第11話 王女との逢瀬
生徒会の男子と女子がそれぞれの寝床に移動してすぐ消灯になった。
僕と次郎は談話室のカーペット敷の床で寝袋にくるまっている。部屋が暗くなると程なくしていびきが聞こえてきた。あれだけ寝付けるか心配していた次郎はもう爆睡しているようだった。疲れていた上に腹一杯だったので多少暑くても問題なかったのだろう。若干うなされている感じなのは怪談話のせいかもしれない。すまん次郎。
対する僕はどうにも寝付けなかった。疲れているのだが、自宅とは違う場所にそわそわして目が冴えてしまった。旅行中とか寝付けない体質が仇になった。
「ふぅ……」
なんとなく上半身を起こして、寝袋を抜け出る。
窓の外からは月明かりが差し込んでいた。その光が指す方向に誘導されるようにして、僕は談話室の外へ出た。
誰も居ない夜の学校を歩くのは不思議な気分だった。職員室には冬子先生が泊まっているので見つかった場合は怒られるのだが、今は好奇心のほうが勝っていた。
窓の外を眺めながらゆっくり進む。無人の校庭はちょっと不気味だったが、月光に煌々と照らされた光景は僕の好みだった。
夏の夜のぬるい空気を味わいながら歩いていくと、目の前に月光とは違う光が現れた。
廊下の先が明るい。誰かが部屋の明かりをつけている。
(生徒会室、か……?)
場所的には生徒会室で間違いない。でも女子メンバーは茶道部の和室で寝ているはずだ。となると冬子先生だろうか。
ここで回れ右をしてもよかったのだが、常とは違う浮足立った気分のせいか、少しくらい叱られても許容範囲のように思えた。それより誰が何をしているのかが気になる。
物音を立てずに生徒会室に近づく。ドアは半開きだったので、こっそりと覗けば誰がいるかは確認できた。
「……美波さん?」
思わず声をかけてしまう。窓の外を眺めていた美波さんが振り返った。
ジャージを着て髪を束ねている彼女は寝室に向かう前に見たままの格好だ。あの後に戻ってきたのだろうか。
「こーくん、どうしたんですか?」
「なんとなく寝付けなくて……美波さんこそ」
「私は、日中作業の片付けのために。気になると寝付けないタイプなんです」
「そっか」答えながら僕は室内に入る。
窓際に並ぶと、美波さんは僕の腕をぎゅっと抱きしめてきた。
『こんな風に出会うなんて、やっぱり私達は運命で結ばれてますね』
「大袈裟だなぁ」
『ふふ……ちょっとだけ、ズルしちゃいましょうか』
「……そだね」
ここで留まるのがまずいことはわかっている。しかし僕はこの偶然を無視することができない。美波さんも名残惜しくなってくれているのなら、嬉しい。
『やっぱりこーくんの隣は落ち着きますね』
美波さんは、熱いお茶を飲んだ後のようにほぅっと吐息を漏らす。
『仕方ないことですけど、今日は全然くっつけないですし』
「さっき僕の首裏にがっつりくっついてたじゃん」
『動的なくっつきと静的なくっつきがあるのをご存じないのですか。さっきのは前者です』
君独自の定義で文句を言われても。
「ところで怪談話は途中で終わっちゃったけど、美波さんはどういう話をするつもりだったの?」
『いいんですかここで語って? 寝付けなくなっても知りませんよ?』
「悪いけど姉貴に鍛えられてる。どんとこい」
「では」美波さんはこほんと咳払いする。
『とある全国模試のことです。そのテストはマークシート方式でした』
試験に関する怪談? なんだか斬新だな。美波さんらしくはあるけど。
『順調に解いていき、時間内に全ての問題を解き終えることができました。しかして後日、返ってきたテストはなんと、0点だったのです!』
「……ほう」
『満点に近い手応えだったにも関わらず0点。一体なぜなのか。得体のしれない恐怖で震えながら確認すると、なんと!』
「……はい」
『マークシートの解答欄が一個ずつズレていたのです!』
ババーン、という効果音が尽きそうな程の、自信満々の声だった。
僕が無反応でいると『怖くないですか!?』美波さんが僕の腕を掴んでぶんぶん振り回す。
『マークシート方式の落とし穴ですよ! こんな単純ミスで将来を棒に振ってしまったのかと考えると、もう恐ろしくて恐ろしくて。私は卒倒しかけました』
「……披露しなくて正解だったね」
『ええ、そうかもしれません。希海も次郎さんも泡を吹いていたでしょう』
そっちの意味ではなかったのだが、これ以上のツッコミはさすがに野暮というものだ。
それから僕らは月夜を眺めて雑談を続ける。
テレパスを送ってくる美波さんの横顔を確認して、僕は内心でホッとしていた。
(いつも通りだな、美波さん)
そこには、あの日に見せたような変貌ぶりはない。
先日、僕はお義父さんとの約束を彼女に説明した。そのときは美波さんは驚くか、もしくは感動して涙ぐむくらいするかなと単純に考えていた。お義父さんが責任を感じていること、そして僕の気持ちを聞いた上で僕に託そうとしてくれている優しさには、さしもの彼女も心を揺り動かされるだろうと。
結果は、まったく違う反応だった。
――どうして、なんで今更、そんなこと……もう手遅れなのに、こんなところで言われたって、私は……!
美波さんは激しく動揺していた。いや、狼狽していたと言い換えられるかもしれない。それくらい美波さんは忙しなく視線をさまよわせ、神経質に指を噛み、息を荒げていた。
彼女らしくない冷静さを欠いた反応に僕が言葉を失っていると、美波さんは「……心の整理をつけさせてください」と言い残して帰ってしまった。
なにが起こったのか僕にはまったくわからなかった。お義父さんに対する複雑な感情の反動にしては、どうにも様子が違うように感じた。
まるで重大なミスが発覚した絶望――そんな反応だ。
黙っていたほうが良かったのだろうかと後悔を抱えながら一晩過ごした僕は、明くる日に事情を聞こうとした。
しかし次に会った美波さんはけろっとして「お騒がせしました、もう大丈夫です」なんて平然と言ってのける。相談に乗ると言っても「ちょっと驚いちゃっただけですから」なんて躱される始末だ。
だからその話題は宙ぶらりんになっている。中途半端になったフラストレーションのせいか、以前から美波さんに聞きたかったことも思い出してしまった。
不信感の種を吐き出してしまいたい自分と、この雰囲気を壊したくない自分がせめぎ合う。
『……どうしてでしょうね』美波さんが急にそんなことを言うものだから、思考が中断される。
『少し前はあなたと離れている時間の方が多かったのに。今の私は、こんなときですらあなたから離れがたくなってる……こんなに弱くなかったはずなのにな』
ぎゅっと袖を掴む美波さんの苦笑気味な声が、とても可愛らしかった。
『
「……大丈夫。君は笑えるようになって、そんなことをする必要もなくなる」
『もし叶わなかったとしても、もうあなたとは絶対に離れませんから』
美波さんの言葉には、頑固とも言えるような決意が溢れていた。
一心に僕を見つめる大きな瞳にぐっと吸い込まれる。
唇と唇が触れた瞬間、すっと離す。
『なんだか校内ですると、ドキドキしますね』
「そ、そうだね」
照れ笑いしながら周囲を見回す。誰もいないとは思うのだがつい確認してしまう。
「……ん?」
『どうしました?』
近くの棚をじっと見つめる。
午前中に比べて、物の配置が異なっている気がした。
「美波さん、そこの棚いじった?」
『? いえ、特には』
となると佐伯や星野が触ったのだろうか。
なんとなく手を伸ばしてみたが『あ、そろそろ戻らないと』美波さんの声に促されて中断した。僕らはそそくさと生徒会室を後にする。
結局、このときもタイミングを逸してしまったのが、心残りではあった。
***
生徒会夏合宿は無事に終了となり、残っていた夏休みも普通に消化した。
ごめん嘘です、本当は夏休み中に初体験を終えようとした美波さんが荒ぶってベットインして自爆するという話があったのだが、いろいろ生々しすぎるので割愛させて頂きたい。
そんなこんなで迎えた僕の二学期も普通どおりに始まる――ことはなかった。
「なぁ、これ才賀と生徒会長だろ?」
教室の席について早々、僕は話したこともないクラスメイトからそう声をかけられた。ほとんど接点もない人間に近寄られたことで僕は反射的に後ずさってしまったのだが、彼はただスマホを見せてきただけだった。
そこに映ってる画像を見た瞬間、時間が凍りつく。
映っていたのはジャージ姿の僕と美波さんが――キスをしようとしている姿だった。
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