笑わない王女の心を読んだら、なぜか僕にべた惚れしてました

伊乙式(いおしき)

第1部 僕と王女の謎と恋

第1話 王女の勧誘

 唐突だけど、僕は人の心が読める。

 始まりは十歳の頃だった。原因不明の高熱で意識不明の重体になった後、急に人の心が読めるようになっていた。

 親に内緒で色々試して、わかったことは――


 ① 対象の30センチ以内に近づくことで自動的に心が読める。

 ② 接近している限りずっと読める。

 ③ 離れても一分間程度なら心の声が聞こえ続ける。


 という、三点。

 始めは怖かったけど、検証を続けるうちに抵抗はなくなっていった。

 親の、友達の、教師の心を読むことは便利の一言に尽きる。関係は良好に保てるし、ゲームも負けなしだ。

 僕はこの読心能力でうまく立ち回っていく、つもりだった。


 ある日、僕は好きだった女子の心を読んだ。仲が良かったし、僕のことも好きなんじゃないかと淡い期待があった。

 結果、好きな相手は僕ではないと判明した。

 どころか、彼女の好きな相手は僕の親友で、彼女は僕を通して親友と仲良くなることを画策していた。話しかけやすそうだったから僕をクッション役に選んだだけで、僕のことをつまらない奴とバカにしていた。

 僕はショックを受けて彼女と距離を置いた。

 その体験が引き金となって、僕の中に疑心暗鬼が生まれる。

 本当はみんな、僕のことをどう思っているのだろう?

 仲良くしているのはうわべだけで、もっと冷たい感情があるんじゃないか?


 僕は、人の本心を知ってしまうことに怖気づいた。

 だけど僕の能力は能動的かつ受動的でもある。他人が僕に近付いただけでも心が読めてしまう。いくら気をつけても、近づいてきた誰かの心の声を読んでしまうことまでは避けられなかった。

 ある日、親友が僕を見下していると知ってしまった瞬間――限界が来た。

 僕は他人との距離を物理的に離すようになった。会話もせず、他人に近づかないように過ごし、誰かが寄ってくれば逃げた。

 どうしてと聞かれたときは、自分の態度に都合よく当てはまる『接触恐怖症』という病気のせいだと嘘をついてやり過ごした。

 おかげで腫れ物扱いされて孤独になったが、心の平穏は保つことができた。


 一人が苦にならなくなって時は過ぎ、僕は高校生になった。

 相変わらず誰とも喋らず過ごしている。

 でもそんな生活は、ある日を境に一変した。

 キッカケは、一人の少女の本心を知ってしまったことからだ。


 *******


(一体なにが起こってるんだ?)


 僕は目の前に立つ生徒を見ながら、そんなことを考えた。

 いつもは騒がしい教室が静まり、皆の視線は教室の隅の席――つまり椅子に座る僕と、僕の前に立つ生徒に注がれている。


「もう一度言います。生徒会の役員になってください、才賀孝明さいがこうめいくん」


 甘さと凜々しさの共存する声が僕の鼓膜を撫でていく。

 すらっとした鼻立ちに綺麗な柳眉、ボリュームのある睫毛。瞳は大きく、小顔なこともあって目はやたらとぱっちりしている。腰に届くかと思うほどの長い髪はよく手入れが行き届いて艶々だ。小柄で手足は細く、しかし出るべき部分はきっちり存在を主張していたりする。

 一言で言えば、超美少女。そんな見目麗しい生徒が僕に話しかけている。


「いかがですか才賀くん。それとも勧誘の言葉が理解できていないのでしょうか」


 どこか咎めるような響きに僕は慌てて首を振る。趣旨はちゃんと理解している、つもりだ。どういう人間に話しかけられているのかも。

 彼女の名は葛城美波くずしろみなみ。僕の同級生で、今期の生徒会長で、学校一の有名人。

 容姿端麗で成績優秀、生徒会長選挙の投票率もぶっちぎりで一位だった。

 しかし彼女が有名な理由はそれだけではない。評するにあたって外せない特徴が一つある。

 葛城美波は、笑わない。

 彼女の笑顔を見た人は一人もいないと言われるほどに、終始無感情の真顔を貼り付けている。

 ついたあだ名が『笑わない王女』。童話と同じく、彼女を笑わせた者が彼氏として認められるんだというまことしやかな噂まで流れている。

 そんな普通とはまるで違うキャラクター性を持った異色の存在が、病気を装ってぼっち街道まっしぐらの僕に、生徒会役員になれと勧誘してきている。

 信じられるわけがない。


「あの、誰かと間違えてませんか」

「あなたは才賀孝明くんじゃない?」

「いえ、才賀孝明、ですけど」

「じゃあ大丈夫」


 全然大丈夫じゃないです。

 胸の奥がもやもやする。彼女とは当然のごとく会話した経験はない。僕を知っていたという事実ですら驚くぐらいだ。


「なぜ、僕なのでしょうか」

「書記に適任だと思ったからです。ご存じの通り、本校の生徒会役員は会長に任命権が与えられています。だからあなたに是非、と思って」


 理由になっていない。もう少しわかりやすく説明してくれ。

 僕だけでなく教室の全員が同意見であることは、この固唾を飲むような空気感が物語っていた。


「返答をください」


 葛城美波は考える暇すらくれない。待ってくれ、二つ返事ではいなんて言えるわけないだろ。

 むしろ考えれば考えるほど、この話は冗談じゃないかと思えてきた。


(そういう子には見えないけど、でも)


 僕は彼女との距離を確認する。この体は無意識に他人との距離を30センチ以上離すように出来上がっているし、この目は人との距離を目算できるように鍛えられている。彼女との距離は大体50センチ程度、といったところか。

 ここから少しでも近づけば、葛城美波の心が覗ける。勧誘が嘘か本当かすぐにわかる。

 もう二度と自分からはするまいと誓ったが、このときばかりは天秤がぐらついた。


「……すみません、突然すぎましたね」


 葛城美波がふぅと息を吐く。腰を浮かしかけていた瞬間だったので、ビクリと肩が震えた。


「でも私はあなたに頼みたいのです。だから放課後に生徒会室まで来てください。場を改めて話し合いましょう」

「いや、僕は――」

「心配いりません。大変な仕事ですけど、きっと気に入ると思います」


 彼女は何気なく、ほんとうに何気なく、一歩近付いて僕の肩を優しく叩いた。


「あっ」

「じゃあ、後で」


 葛城美波が踵を返す。ふわりと髪が舞ってシャンプーの良い香りが鼻孔をくすぐった。頬が熱くなる間に彼女はさっさと教室を出て行ってしまう。

 乾いた喉に唾を流したそのとき、声が聞こえた。


『危ない危ない、焦って返事を引き出しそうになってしまいました。でもなんとか話の段取りはつけられたし結果オーライでしょうか』


 頭の中で声が響いている。

 これは葛城美波の心の声だ。やっぱり近づかれたことで能力が発動している。離れても能力が続くから、一分程度は彼女の本心が聞こえるだろう。

 しかし怪我の功名というべきか、これで意図が読み取れるかもしれない。

 僕は罪悪感と嫌悪感を堪えつつ、なにを言われてもいいように心の準備をした。


『というか、放課後にこーくんと生徒会室で二人きりとか……どうしましょう妄想が止まりませんねふふふふふ。ああもう駄目、彼とっても尊いです。ちょうかわいい好き』


 準備がぶっ飛んだ。


「はぁ!?」


 椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がる。クラスメイトがギョッとしながら僕の方を見ていたが、僕は取り繕うこともできなかった。


(い、いまの、なんだ……!?)


 聞き間違えでなければ、彼女は僕のことを、好きと思ったのか?

 自失から我に返り、改めて心の声を聞こうとする。けれど一分はとうに過ぎていて、続きは聞けそうにない。

 僕はどうしていいかわからず、ホームルームが開始されるまでその場に立ち尽くした。

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