第2話 王女とは初対面のはず

 ドアのハンドルに手をかけて、僕は深呼吸をした。

 葛城美波に告げられた約束の時間になっている。表札のかかっていないこの部屋――生徒会室の奥に、彼女が待ち受けているのだろう。


(ああ、くそ……どうしてこんなことに)


 あまりにも唐突かつ理解不能な事態のせいで、僕は午前中からずっと混乱しっぱなしだった。ここに来るのにもかなりの勇気が必要だった。

 書記に勧誘されたのはまだいいとして(本当はよくないけど)、その誘い主が僕に好意を寄せていたという思春期の妄想みたいな展開が現実に起こった。

 そんなの十六年間の人生で初めての経験だ。しかも相手が生徒会長かつ学校一有名な美少女ときたら、冷静になれというのは無理すぎる。


 偶然聞いたとかなら少しは疑う余地もあったかもしれないが、幸か不効か、能力を通して知ったがために百パーセント本心なのだと断言できてしまう。

 ハンドルを握る手が汗ばんでいた。戸惑う。物凄く戸惑う。

 学校一有名な美少女が僕に惚れてたぞやったー!なんて素直に喜べる単細胞ならここまで悩まなかったろうけど、僕はどうやら複雑細胞らしいので疑念しか生まれない。

 なぜ僕なんかを好きになったのだろう、と。


 好きという感情はニワトリの卵みたいに朝起きたらぽんと出てくるような代物じゃない。それなりの理由があるはずだ。

 しかし彼女との接点は僕にはない。ゼロ。無。

 記憶の箱を引っくり返しても葛城美波の存在は出てこない。

 もしかすると引っ越してしまった幼馴染とか旅行先で出会った名も知らぬ女の子が葛城美波だったのかもしれないけれど、残念ながら僕にそんなキラキラした思い出はない。むしろ灰色の思い出を漁った副作用で死にそうだ。

 しかし逆に、僕が知らないだけで彼女との接点がどこかにある、という可能性はある。


 たとえば気づかない間に彼女の気を引くような行動を取っていたとか。

 雨の中捨てられた子犬にそっと歩み寄り「お前も一人か?」なんて寂しげに笑って抱き上げていた場面を覗き見ていた笑わない王女が思わずキュンとしちゃったとか。

 笑えよベ◯ータ。

 自分の発想が貧弱すぎる問題はさておき、僕が気づいていない間の出来事なら僕に覚えがあるはずはない。

 なら確かめる方法は一つ。本人に聞くことだけ。


 僕の能力なら、彼女がたとえ黙っていても知ることができる。

 やむを得ない。これは緊急事態だ。あの葛城美波が、あろうことかボッチで浮きまくっている僕なんかを好きになるなんてあまりに不自然すぎる。本人が一番信じられていないくらいだ。

 まずは理由を確かめなければいけない。それが納得できるかどうかはともかく、知らなければ次の行動も決めようがない。


 覚悟を決めて引き戸を引く。

 茜色に染められた室内には、スチール製のテーブルとパイプ椅子がいくつか、パソコンラック、そしてホワイトボードが置かれてあった。

 その椅子の一つに、葛城美波は座っていた。

 手に持つ文庫本に目を落としていた彼女は、僕の気配に気づいて顔を上げる。

 大きくて澄んだ瞳が僕を見据えた。口元は真一文字に引き結ばれている。

 感情の希薄さがもたらす得体のしれない雰囲気に、ドキリとする。


「お待ちしていました」

「……どうも」

「ではそちらにおかけください」


 葛城美波は文庫本をパタンと畳み、入り口近くの席を勧めてくる。

 彼女が座るのは部屋の奥、窓側の席だ。この距離では心が読めない。なんとか理由を作って接近しないと。

 と考えていたところで、テーブルの上に一枚の用紙が置かれていることに気づいた。紙は真っ白だが文字が透けて見える。裏返しにしてあるようだ。

 葛城美波はその紙を指差した。


「早速ですがそちらに記名してください」

「え、話は?」

「その後で」


 よくわからないが、僕は用紙をめくってみた。

 生徒会役員加入同意書と書かれてあった。


「書けるかぁ!」

「すみません」


 葛城美波が近くにあったボールペンを僕の方へ転がす。


「そういう意味じゃねぇ!」


 僕は転がってきたボールペンを転がし返す。

 受け取った葛城美波はかすかに眉根を寄せた。


「なぜです」

「順序! まず話を聞いて僕が納得してから書くものでしょこういうのは」

「どうせ入ることになるのですから早いほうがいいと思いますが」

「気遣いが間違ってる!」


 葛城美波は口を引き結ぶ。心外なのか驚いているのかどっちかわからない。

 話しかけられたときもそうだったが、葛城美波の前評判と目の前の女子が随分と食い違っているように思える。本当に才女なのだろうか。


「とにかく、僕はまだ入ると決めたわけじゃない。ちゃんと話を聞いて、自分なりに納得できて、メリットがあるなら要望を聞かないでもないです」

「妥当な言い分ですね。実にあなたらしいというか」


 まるで僕のことを知っている風な口ぶりだ。やっぱり前に出会ったことがあるのだろうか。思い出せないのがこんなに気持ち悪いとは。


「ではご説明しましょう。この大峰北高等学校の生徒会執行部は生徒会長、副会長を選挙で選抜し、役員は会長が指名した生徒を信任するシステムとなっています。選ばれる役職は会計、書記、庶務の三つ。このうち書記をあなたにお任せしたいのです」

「それは午前中にも聞きましたけど。どうして僕なんですか」

「才賀くんは、書記に必要な能力とはなんだと思います?」


 質問が返ってきて、僕は少し考え込む。


「字が綺麗とか、文章をまとめるのがうまいとか」

「前者はどちらでもいいのですが、後者は正解です。そしてもう一点は会話の聞き取り能力。議事録や口頭での会話をその場で記録することが得意な人が書記に向いています。もうおわかりと思いますが、同学年ではあなたしかいない」


 葛城美波は断言した。僕は自然に首をひねっていた。


「意味がわからない。僕がいつ得意だなんてアピールしましたか」

「情報の授業で行われたタイピング練習プログラムは才賀くんが学年一番でした。記録はPCを使いますから、操作に慣れていたほうが良い」

「ああ、それで? 確かにパソコンは使い慣れてるけど、そんなの僕だけじゃなく――」

「テープ起こしとデータ入力のバイトをしている経験も、書記の資質として相応しい」


 ひゅ、と喉で音が鳴った。

 いま彼女はなんと言った。テープ起こしとデータ入力、そう言ったのか。


(なんで、知ってる……?)


 確かに僕は、将来を憂いて在宅で可能な仕事を身につけようと考えた時期がある。テープ起こしもデータ入力のバイトもその一貫だ。


「それと現在はプログラミングを学んでいるのでしたね。立派です」


 今度こそ僕は絶句した。

 自分のバイト事情なんて誰にも説明していない。家族ですら具体的な内容は教えていない。

 なのになぜ、葛城美波がそれを把握してる?

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