第2話 王女との初体験? 下

「ち、ちょっと落ちつこうか」


 そう話しかけていると、近くを歩いていた大学生らしきカップルにジロジロ見られた。こんな一帯の道端で立ち止まっていたら怪しまれて当然だ。

 僕はすぐに美波さんの手を引っ張って近くの小道に入る。そこから先もなにやらいかがわしい店の看板があったが、奥に行きたいわけではないので自販機の横に隠れる。

 そろっと顔を出してみると、先程の大学生らしきカップルが今まさに休憩場所に入っていく瞬間だった。うわぁ入っちゃったよ。


『うわぁ入っていっちゃった……』


 興味津々で覗き見していた美波さんはハッと我に返りごしごしと口元を拭う。よだれ垂らしてたなこの王女。


『と、取り乱してしまいました。ごめんなさい』

「大丈夫、うん」


 そう言って笑ったが、自分の笑みがぎこちなくなっているのを自覚する。

 ここまで来ると緊張がピークに達している。さっきから手汗が凄い。心臓も猛スピードで動いていて口から飛び出しそうな勢いだ。

 沈黙が過ぎる。正確には『ぅぅぅ……』という美波さんの悩ましげな声が聞こえている。彼女もどうすればいいか計りかねている様子だ。


(じゃあ入ろっか? なんて軽く言えたらなぁ……)


 チャラ男っぽいのは嫌なのだが、そういう人種の行動力の高さを見習いたい心境ではある。

 そのときぎゅっと僕の腕に柔らかい感触がああああだめいまは刺激が強すぎ候。


『ええと、こーくん』

「はひ」


 上ずった声が出てしまう。そんな僕を美波さんが縋るように見てくる。


『こういう場所、使うのはですね。一応、未成年だと禁止されておりますので……』


 心の声なのにもごもごと言いづらそうに伝えてくる。

 『うう、ど、どうしましょう』迷いの呟きが漏れ聞こえる。戸惑いと抵抗感があるのだろう。

 でも決して、嫌だから言っているわけじゃないことくらい、僕でもわかる。

 ふぅと息を吐き、彼女に向き直る。

 どこか必死さと哀願を含む潤んだ瞳を前にすると、なんというか、征服欲が芽生える。


「僕は、帰りたくない」

『はぅ』

「問題があることはわかってるけど、押さえられない」

『はぅぅ』

「……行こう」

『こ、こーーーーーーーー!!』


 甲高い叫びを上げた美波さんが、凶弾に撃たれたようにのけぞった。にわとりかな?

 

『ど、どこまでも、ついていきます……!』


 ぐりんと戻った美波さんは口元を押さえ、ぷるぷると震えながら親指を上げる。

 ……まだ入ってもいないのにこんなに大袈裟なやり取りをしている自分達もどうかと思わないでもないが、今は置いておこう。

 僕が深呼吸すると美波さんもぎゅっと腕を強く抱きしめてくる。早鐘のような心臓の動きも伝わる。彼女も緊張しているのは、ちょっと安心した。


「ちなみにどこに入りたいとか、ありますか」

『……清潔なところなら、どこでも』

「じゃあ、あそこに見え――」

『あとシャワー室がガラス張りじゃくて照明ぴかぴかしない普通の感じでソファーとか落ち着けるスペースがあってベットに変な装置がなくて空調がちゃんと調節できてリーズナブルなお部屋なら』

「……」


 え、なんか、めっちゃ詳しくない?


『じ、事前に調べただけですからね! 行ったことはもちろんありませんから!』


 僕の心を読んだように美波さんが慌てて追加する。

 そうか下調べしてたのか。ふーん。ほーう。隅に置けないな王女も。


「でも、その条件は入ってみて部屋を選ぶ段階じゃないとわからないよ」

『うっ……そうですよね』

「とりあえずそこに入ってみない? いいのなさそうだったら出ればいいし」


 僕は先ほどの大学生らしきカップルが入っていった休憩場所を指さす。シティホテルっぽいデザインで外観は綺麗だ。


『は、入っちゃったらもう出るのは恥ずかしいです』

「そうは言ってもいつかは出なければならんのですが」

『……お部屋を選び回れるほどの度胸はありませんよぉ」

「じゃあ、もう少し歩いて外観から判断してみるとか」

『でも、時間が』

「うーむ」


 駄目だ、踏ん切りがつかない。うだうだしていると僕と彼女の中の勇気が折れてしまいそうだ。

 ええい、ここは男の役目か。

 僕は美波さんの両手を握りしめる。


「美波さん、あそこにします」

「あ、は、はい」

「怖かったら、全部僕が決めるから」

「……はい」

「じゃあ、行くよ」

「っ……!」

『ああああああ待って待って心の準備があああ強引なこーくんも好きぃぃ!』


 騒ぐ美波さんの手を引っ張り、僕は路地から飛び出す。周囲の人など気にもしない(風に見せかけて)休憩場所の入口までまっしぐらに進む。


「あれ? 美波か?」


 誰かが美波さんを呼んだ。

 僕らは入口に突っ込む直前でビクリと立ち止まる。


『こ、の声っ……!』


 美波さんが前を向いたまま狼狽える。その顔は青ざめていた。

 顔も見ず声だけで思い当たるということは、つまるところそれくらい身近な人物、ということ。

 ……まさかそんなベタな展開はないだろ頼む神様どうか間違いであってくれ。

 僕らは、二人同時にそろっと振り返る。


「こんなところでなにをしてるんだ」


 近づいてきたのは背の高い壮年の男性――美波父、だった。

 僕の脳内にゲームオーバーのBGMが流れた。


「っと、君は確か、美波に服を貸してくれたときの?」


 お義父さん(便宜上こう呼ぶことにする)は実の娘と、その手を繋ぐ男子の僕を見比べて目を眇める。

 休憩とでかでか書かれたパネルの前で、二人の高校生が精悍な顔つきの成人男性に睨まれている。どう見ても修羅場です本当にありがとうございました。

 何か言わなければいけないのはわかっているのだが、あまりにも最悪なシチュエーションすぎて頭が真っ白だ。むしろ意識が遠のきかけている。


「君が孝明君、だったよね」

「は、はい……その節は、お騒がせしました」


 掠れた声が出る。笑顔も引きつってしまう。あー駄目だこれめっちゃ怪しい。


『どうしようどうしようまずいなんでここにお父さんがやばいまずいやだこーくん助けなきゃでもどうしようどうしよう』


 さっきから美波さんも混乱のあまり思考がまとまっていない。目を泳がせる彼女にはとてもじゃないが頼れないだろう。


「うちの美波とお付き合いしている、その孝明君?」

「あっ……そ、そう、です。ご挨拶が、遅れまして……すみません」


 辛うじて頭を下げると「ふむ」呟いたお義父さんはちらと隣の建物を横目で確認する。能力は発動していないけれどなにを考えているのかは大体予想がつく。もういっそ殺してくれ。

 身構えていると、お義父さんはニコリと笑みを見せた。

 誓って言うがそこに親近感はない。営業スマイルだ。


「挨拶なんて気にしなくていいから。それより今日はデートだったのかな。すまないね、おじさんが急に邪魔してしまって。今もどこかに行くつもりだったんだろう?」


 嫌な汗が滝のように噴出する。絶対これ分かってて嫌らしく聞いてるやつだ静かに怒ってるやつだ。


「水族館の帰りに散歩していただけです」


 そのとき、美波さんが毅然とした態度で言い返した。


『奴のペースに乗せられてはいけない……!』


 どうやら美波さんが持ち直したようだが、親に向かって奴ってあんた。


「それよりお父さんこそどうしてここに? 今日はお仕事でしょう」

「ああ、この奥に入ったところにお得意さんの古美術店があってな。商談をまとめて駅に向かってた所なんだ」


 「そうだ」お義父さんはなにかに気づいたように胸ポケットに手を入れ、名刺ケースを取り出す。名刺一枚を僕に差し出してきた。


「前回は説明していなかったよね孝明君。私はこの通り輸出入品を扱う商売をしています。個人商社みたいなものかな」


 せっかく説明してくれても、名刺を受けとるので精一杯で一切興味を向けられない。名刺に書かれた情報も頭に入ってこない。


『すっかりビビっちゃってるな』


 ハッとして顔を上げると、キョトンとしたお義父さんと目が合う。

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