第7話 王女の父との約束

「……いえ」


 短く答えると、お義父さんの目に一瞬だけ落胆の色が過り、「……そうか」力ない苦笑が浮かんだ。


「あの子が笑わないこと、当然君も知っているよね?」

「……はい」

「いつの日からか、美波は笑わなくなってしまった。なにをしても、なにを見せても、一切笑わないんだ。まるで笑う機能を失ってしまったかのように」


 缶コーヒーを持ったまま、お義父さんが地面を眺める。

 近くで鳴いていた蝉が、やたらと煩く感じた。


「カウセリングに診せても良くなることはなかった。医者は心因性のものだと……たぶん、私の行いのせいだろう。私が美波に過度のストレスを与えたから、ああなってしまった」


 違う――と、ここで言うことは簡単だが、僕は口をつぐむ。

 タイムリープを続けた末の影響だなんて説明しようがない。全容を明かせばそのことで心配をかけるし、大事になってしまう。そんなことは美波さんも望んでいない。


「収入が減った私では、私立高校への進学もさせてあげられなくなった。私はあの子から奪ってばかりだ」

「……そんなことは」

「気を遣うことはない。これは事実だよ」


 返答に窮すると、お義父さんは僕の方を向く。

 そこには、無機質ではない、弱々しくも温かい眼差しがあった。


「失礼だが、君も心因性の病気を患っていると美波から聞いている。それは本当だろうか」


 「無理に話せとは言わないから」お義父さんがすぐに付け足す。反応が遅れたことで僕が言い淀んだと勘違いしたらしい。

 もちろん、隠しておくつもりはない。


「はい。僕にも、そういう類の病があります」

「そうか……いや、だからなのだろうと思ってね。あの子が君を選んだのは、君が本当の気持ちを理解してくれる相手だったからじゃないかな、って」


 当たらずとも遠からずだが、鋭い指摘ではあった。

 能力者同士の僕たちは、互いの苦しみを分かち合うことができる。その共感が僕たちの絆をつないだと言っても過言ではない。


「なら、やっぱり。君以外には考えられない」


 お義父さんは前を向いたまますっと立ち上がった。


「私はね、ずっと考えていたんだ。あの子に何ができるのか、奪った分どうしたら幸せにしてあげられるのか……だけど君に初めて会った時、気づいたんだ。それは私の役目じゃないって」

「僕に会って、ですか?」

「こんな父親でも、長年一緒に住んでるとわかるんだよ。美波は君と一緒にいるとき、とても嬉しそうだった。たとえ笑わなくとも」 


 ドキリとする。本人以外の人にそう言われると、くすぐったい感慨がこみ上げてくる。


「私にできることはなにもない。あっても、美波を自由にさせてあげるくらいだろう。だから孝明くん」


 そこでお義父さんは僕の方を向いて――いきなり、頭を下げた。


「美波のことを、頼む」


 ギョッとしてペットボトルを落としてしまう。「ち、ちょっと!」慌てて立ちあがり、お義父さんの前で手を振る。


「顔を上げてください……!」

『どうか、はいと言ってくれ』

「っ……!」


 切実な声が脳内に響く。能力が発動してしまっている。


「あの子は君の前でも笑わないだろう。愛想がなくて疲れるかもしれないし、何を考えているんだろうと不安になるかもしれない」

『でも、あの子は私の大切な一人娘なんだ』

「そんな娘にしてしまったのは私の責任だ。不満も怒りも私にぶつけてくれて構わない。その代わり、あの子のそばに居てやってくれないか」

『気持ち悪いと思うだろうな……しかし、私ではあの子を幸せにできない』


 頭を下げたままのお義父さんの声が染みこんでくる。

 切羽詰まった声は紛れもなく、本心からの叫びだった。


「あの子を、君に任せたい」

『はいと言ってくれ、頼む』


 ……腹黒だとか打算的だとか、美波さんはそう評していたけれど。

 結局、それすらも表層的な部分だった。

 なんのことはない、どこにでもいそうな普通の父親が、そこに居るだけだ。

 娘の嬉しそうな姿に安堵し、娘が傷つかないよう本人がいないところで頭を下げる……その姿を見ていると、僕は自分の母親を思い出す。

 母は美波さんの存在に救われているようだった。

 お義父さんにとってその存在が、僕ならば。


「はい」


 呆れ笑いしそうになる。

 そうならそうと早く言ってくれれば、安心させる言葉なんてすぐにかけられたというのに。

 こう言ってはなんだけど、本心を表に出さないポーカーフェイスという意味ではそっくりな親娘だ。


「僕は美波さんが好きです。誰よりも好きです。真剣に交際しています。なので、絶対に悲しませたりしません」


 お義父さんが顔を上げる。

 果たして僕は、自信ありげに笑えているだろうか。


「それに、美波さんと付き合うことに疲れたりなんかしません。いつだって楽しいです。彼女の考えてることだってよくわかりますから」


 能力を通して理解していることは、当たり前だが伏せておく。

 ……時々、なにを考えているのかわからないことがある、ということも。


『わかる、のか……思い込みでもなく、本当に』


 お義父さんはかすかに驚いた表情をしていた。

 信じられないのは当然だろう。だから僕は声に力を込める。


「なので、心配いりません」


 正直に言えば、不安になるときはある。

 それでも美波さんが僕を求め、好きと言ってくれる限り。

 僕が彼女から離れることは、絶対にない。


『……こうも一丁前に啖呵を切られるとは』


 呆けていたお義父さんは微苦笑して『生意気な奴だ』と僕を評価する。

 しまった、調子に乗りすぎたか?


『だが、こういう男は伸びる。任せることにするよ、理沙』

「ありがとう孝明くん。よろしく頼む」


 お義父さんがまた頭を下げたので僕も慌てて頭を下げる。「こ、こちらこそ」

 ……理沙というのは美波さんの母の名前だろうか。

 思いがけぬところでご両親の想いを背負ってしまった。

 とても重いが、存外に悪くはない。


「それでは遠慮なくお父さんと呼んでくれたまえ」

「――え?」


 顔を上げると、ニヤリと笑うお義父さんと目が合った。


「預けるからには、最終的なところまで行ってもらわないとこちらも安心できない。違うかね」

「……えーと」

「それともなにか? 君は美波を途中で放り投げるつもりなのか?」

「いや、そうではなく」

「だったら答えは一つではないのかね? ん?」

『せっかく美波が心を開いた男だ。確約してもらうぞ』


 なにを!? なにをさせるおつもりで!?

  

「君も覚悟を持って引き取ると言ったじゃないか」

「覚悟は持ってますけどそこまでは言ってないです」

「四捨五入すれば似たような感じだろう」

「そんな小さい部分じゃないです繰り上げすぎです!」

「お父さんと呼ばせてあげるから」

「別に熱望してないです!」

『ええい、うだうだと。仕方がない譲歩するか』


 そう思考したお義父さんは、片手をポケットに突っ込んで首を振る。


「いや、すまない。急なことを言い過ぎた」

「は、はは……」

「同棲資金を援助するから話に乗らないか」


 どこにもブレーキかかってねぇよ!


『さぁどうだ。言質を取る準備はできているぞ』


 僕は即座に後退る。ポケットにレコーダーかなにか仕込ませてるなこの親父!?


「どうしたんだい孝明くん。さぁ答えておくれ」


 凄みのある笑みでお義父さんがずんずんと近づいてくる。

 え? 僕って今日婚約するために来たんだっけ?


「なにをしてるんですか」


 聞き覚えのある声のあと「ぉぅ!」お義父さんが情けない声を出して前のめりに倒れる。お義父さーん!


「私を抜きに話を進めるとは、やってくれましたねあなた達」


 どこぞの宇宙の帝王のような台詞を告げたのは、腕組をする美波さんだった。

 彼女の目には極寒よりもなお冷たい光が宿っている。

 「あいたたた」腰を押さえたお義父さんは困惑顔で振り返る。


「父を足蹴にするとはどういうつもりなんだ美波」

「そうされておかしくないことをしたからでしょう」

「というか車はどうした。キーはこちらに……まさか!」

「自慢の愛車が盗まれたくなかったら早く戻ることですね」


 愕然としたお義父さんは「嘘だろおい!?」慌てて車の方へ駆け出した。


「ふん。いつまでも大人しい娘だと思ったら大間違いです」


 腕組みした美波さんは小馬鹿にしたように鼻を鳴らしていた。

 『それでこーくん』凍てつく波動の如き声音にビクリとなる。


『私を起こさずこそこそと話を始めて! どういうつもりですか!?』

「えーと、あの……ごめんね?」

『駄目です! 私はあなたの迂闊さに怒ってます! なにがあったか洗いざらい話してもらいますからね!』


 美波さん激おこ。

 はてさて、お義父さんとの話はどう伝えようか。たぶん最初は信じられないだろうなぁ。


『……あの子も変わっているんだな。良かった』


 一分間の持続時間があったおかげで、その嬉しそうな声は僕の頭に届いた。

 このことは僕だけの心に留めておこうと、なんとなくそう思った。

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