第32話 王女、バグる
騒ぎの後、僕らは個人経営らしき喫茶店に入った。幸いなことに客がほとんどいなかったので、誰にも聞き耳をたてられない位置に座ることができた。
テーブルを挟んだ僕の対面には憮然とした足立少年と、無表情で唇を引き結ぶ美波さんが座っている。
ウエイターが水を置き去ったタイミングで切り出す。
「単刀直入に聞くけど。なんであそこで言い争ってたのかな」
「その前に、なぜ孝明くんがあそこにいたのか説明して欲しいのですが」
鋭く切り返してきた美波さんの声が岩のように硬い。
「それは、日曜だし。遊びに行く途中で」
「あんたのことストーキングしてたんじゃないの」足立少年が不機嫌そうに横槍を入れてきた。
「だってあんなタイミングで会うはずないっしょ? 昨日も俺がデートに誘ったことやたら気にしてたし。最初からあんたのこと探してたんだよ」
「そうなのですか?」
どうやら足立少年はさっきのことをだいぶ根に持っているらしい。
そして事実なので反論できない。しゃしゃり出る前にそれらしい言い訳を考えておくべきだった。
僕が冷や汗混じりに黙っていると、じーっと睨め付けるような視線を向けていた美波さんが、ため息を吐いた。
「迂闊でした。あなたの行動を計算しきれていなかったとは」
「……どういうこと」
「とにかく、さきほどは助かりました。その点はお礼を申し上げます。ですがここから先は私と彼の問題です。あなたはお引取りください」
露骨にはぐらかした彼女は、突き放すように言い放った。その物言いには足立少年も困惑した様子だった。
なぜ、という疑問と共に、胃の奥がむかむかしてくる。
「もう正直に聞く。なんでこうなってるのか、美波さんがなにを考えてるのか教えてほしい」
「どうしてです」
「心配だから」
「それはどうもありがとうございます。しかし気遣うというのなら、今はなにも聞かずに帰ってください」
返答になっていない。頑なな態度に違和感が膨れ上がる。
美波さんがなにかを隠しているのは確実だ。その怪しさもさることながら、すんなり引き下がれない理由が他にもある。
(美波さんは足立に触れている僕を見てもなにも言ってこなかった。やっぱり接触恐怖症が嘘だってこと、見抜いてるんだ)
僕は素で演技を忘れていたが、彼女も焦りからか指摘を忘れていたかもしれない。
いずれにせよ、接触恐怖症ではないとわかっていてなおここまで過保護になるのには、別の要因があるはずだ。
美波さんがなにを隠しているのか。そして彼女の思惑はどこにあるのか。
必ず確かめる。
なにより、美波さんをこのまま放っておきたくない。
「僕がいたら邪魔ってこと?」
「そうではありません。ただこの子のためにも、なによりあなたのためにもならない」
美波さんが足立少年を見ながら告げる。彼は眉をひそめた。
僕はテーブルに肘をついて少し身を乗り出す。
「ちゃんと説明してくれ。なんで僕がいちゃいけないのか」
「後日お話します」
「そう言って説明してくれた試しがないじゃないか。今日もはぐらかす気だろ」
美波さんは答えない。真っ直ぐ僕を見つめるだけだ。その瞳が揺れている。
急に険悪になった僕らに足立少年がおろおろし始めたが、構ってあげる余裕がない。
「これは僕のためって言ったけど、それも説明できない?」
「すみません。でも、あなたに悪意があったり、傷つけようとする意図はないです」
真摯な声には切実さも込められていた。彼女は本当に僕を気遣っているのだろう。それはこれまでの態度からも十分にわかっている。心の声は嘘をつかない。この頑固さも、隠し通そうという意思も、僕への好意が原因にある。
だからこそ僕は腹が立って仕方がない。
「……そっか。まぁ他人の事情も絡んでるもんな。この子には色々ありそうだし」
そう言うと足立少年の目に失望が過ぎった。僕が彼女を説得する、あるいは連れ帰ってくれる展開を期待していたのかもしれない。
美波さんは足立少年の肩に優しく手を置く。
「理解いただけて良かった。後は任せて――」
「でもその色々に美波さんが関ろうとするなら、僕は君を放っておくつもりはない。話してくれるまで帰らない」
美波さんは目を見開き、それから呆れたように言った。
「聞き分けのない子どもですかあなたは」
「そっちこそ。なんで強情になるかな」
「それは……とにかく帰ってください」
「嫌です」
「帰って」
「嫌だ」
「帰って」
「いや」
応酬を重ねて――彼女に変化が起きた。
美波さんは眉を吊り上げ頬を膨らまし「むううう」と僕を睨みつける。
あの笑わない王女が、怒っている。
「どうして言うことを聞いてくれないのですか? あなたは私の言うことが聞けないくらい、私のことが嫌いなのですか……!」
言うに事欠いて、そんな馬鹿なことを吐くのか、君は。
我慢の限界だ。
「その逆に決まってんだろ」
なぜ君は、僕が君と同じ気持ちだとわからない。
心配だから、傷ついて欲しくないから、そばにいたいとなぜわからない。
ただそれだけの、そして何よりも優先すべき理由だと、なぜわからない。
「好きだから放っておけないんだよ」
怒りの感情を剥き出しにした美波さんが、はたと止まる。
その瞬間に気づく。
僕はとんでもないことを口走っている、と。
しかし迸る感情は出口を求め勢いそのままに口から出てくる。
「美波さんが大変なことに巻き込まれてないか不安だし困っていたら助けたいし一人で抱え込ませたくないし僕は絶対帰らないし君のために動くから止めても無駄でし!」
最後に噛んだ。
唖然としていた足立少年が横を向いて笑いを堪えた。
なんという情けないシーンなのだろう。穴があったら入りたい。
だが、美波さんの方はピクリともしなかった。
怒りの感情がすっぽり抜け落ちた真顔のまま硬直している。
その口が徐々に半開きになり、白い肌がピンクから赤に染まっていく。
「え、ええ、え、ええ、え、えええええええっとあのあのあのあのあのこここ孝明くんそそそそそあばばばば」
美波さんがバグった。
彼女は呂律が回らなくなって手をあたふたと振っている。目もぐるぐると渦を巻いているようだった。明らかに冷静さを欠いている。
彼女の様子で急に現実味が増して全身が沸騰するようだった。「い、いやー今日は暑いねぇ!」などと意味不明な誤魔化しをしてグラスの中の水を一気飲みしてむせた。
「……ええと、じゃあ俺はこれで」
足立少年が席を立つ。
「待て行くな話は終わってないから!」去ろうとする足立少年を咄嗟に引き留めようとする。
そのとき、くいと袖を引っ張られた。
脳内に声が響いた。
『はぁもう。私の負けです、こーくん』
固まった僕を、足立少年が不審げに見つめた。
僕は錆びた人形のように振り返り、彼女と目を合わせる。
『強情は相変わらずですね……わかりました。お話します、今回のこと。そして、私の秘密も』
笑わない王女は真顔を維持したまま、僕の脳内に語りかけていた。
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