第31話 王女、小学生と喧嘩する
清掃ボランティアの翌日の日曜日――僕は朝五時から駅前に来ていた。
半円形のバスロータリーを遠巻きに眺められるベンチに座って、バス停に並ぶお客さんを観察する。
僕の予想が正しければ美波さんと足立少年はこのバスロータリーに来る。彼が心の中で呟いた大学病院という単語はおそらく、この街に唯一ある慈大付属病院のことを指している。学生二人がそこに行くには路線バスを使うのが一番手っ取り早い。
とはいえヒントは、日曜日と大学病院、という二点しかない。時間も待ち合わせ場所もわからない。
だから僕はこんな朝早くからバスロータリーで彼女らの姿を探している。
……自分の姿を客観的に捉えると虚しさがこみ上げてきた。ストーカーという単語が幾度もちらつく。
(別に放っときゃいいんだけどさぁ)
小学生と高校生のデートなんて万が一があるわけもない。適当に遊んで終わりだ。
それでも二人の動向が気になるのは、ひとえに美波さんの態度が原因だった。
多少常識ハズレのことをする彼女だが、そこにはちゃんとした理屈や理論がある。それが授業に参加させるためだけにデートの誘いに応じるのは、いくらなんでもやり過ぎというか、弱みでも握られているのかと思う短絡さだった。はっきり言って美波さんらしくない。
それに足立少年が思い浮かべていた大学病院というキーワードも気になる。デートでそんなところに行くわけがない。
なにもなければそれでいい。でも普通のデートではない怪しい雰囲気があるからこそ、不安になってしまう。
もしなにか妙なことに巻き込まれることがあったとして、そのとき彼女の近くにいるのといないのとでは雲泥の差だ。
(でも見つかったら……ドン引きされるだろうなぁ)
小学生とのデートが気になって後をつけていたとバレたらこれはもう幻滅必至だろう。千年の恋も冷めるやつだ。
でも仕方がない。重たいとか度量の狭い人間と評されても良い。
彼女のことはもう、僕の中の一部になってしまっているから。
ペットボトルの水を喉に流し込み時計を見る。五時半。まだ早すぎるが、待ち合わせ時間がわからないので開始時刻から待機するほかない。
一時間が経った。二人の姿はない。
また一時間が経ち、二時間が経ち、三時間が経った。
十時を過ぎる頃、休日ということもあって駅前は人で賑わい始めていた。僕は誰かと待ち合わせのふりをしてベンチに座り続けた。
十一時を回る。まだ来ない。
やっぱりか、と諦めの気持ちが台頭してくる。
日曜日は来週のことかもしれないし、大学病院にはタクシーで行ったかもしれないし、他の大学病院という可能性だってある。二人がここを使うことに賭けたけれど、正解している確率はいかほどのものだろうか。
立ち去るか迷っていた、そのとき。
「いいからついてきてよ!」
駅前に大声が響く。
声がした方向に向くと、そこには短パン半袖姿の少年と
「今日はデートなのでしょう? ならアーケードの方に行きましょう」
空色のワンピースを着た美少女がいた。
長い黒髪を結い上げ麦わらのカンカン帽子を被っている。爽やかで可愛らしく彼女に――美波さんによく似合っている。
(い、いたぁ!)
ぶるりと身震いした。的中させたことに運命を感じた。
しかしその感動はさざ波のように引いていく。二人の様子がおかしい。僕は急いでその場を離れ、二人には見つからず盗み聞きできる位置に身を潜める。
美波さんは足立少年の目線に合わせるようにしゃがみ込んでいた。
「だからデートってのは嘘なんだよ……俺、あんたに病院に来てほしいんだ」
「落ち着いて、足立くん」
美波さんが窘めるように、語気を強めて言う。
「デートを口実に私を病院に連れて行こうとしていることはわかりました。どうしてそんなことをするのですか」
「……騙したことは謝る。けど、どうしても会って欲しいやつがいるんだ。そいつの前で彼女のフリをしてほしい。頼むよ」
(か、彼女のふり……!?)
なんだそれは、フィクションの中でしか聞いたことないぞ。
なにやら複雑な事情がありそうだが、病院へ連れて行くというところも含めて全容がまったく掴めない。
「彼女のふり、というのはまた問題のありそうな提案ですね。それに病院で会うということは、どなたか入院されている人との面会ということでしょうか」
ふうと美波さんがため息を吐く。そして彼を真っ直ぐ見据えた。
「足立くん。どんな理由があるかは知りませんが、私とあなたは昨日知り合ったばかりの仲です。ましてや治療中の方になんらか影響を与えるかもしれない内容なら尚更、私は引き受けることはできません。なにかあったときの責任が取れない。そう判断してしまうくらい、あなたと私は他人なんです」
「……っ!」
容赦のない台詞に僕は軽く驚く。小学生相手にここまで手厳しく言うとは。
足立少年がうつむくと、美波さんは彼の腕を取った。
「ですが、お話を聞くくらいはできます。なにか事情があるのでしょう?」
「……」
「約束通りデートをするのもいいかもしれません。私では楽しくないかもしれませんが、それでも遊んでいれば気分も楽になるかも」
「だけど、あいつは……いま、苦しんでるんだよ。だから元気づけたいんだ」
「それは――」
美波さんはなぜかそこで言葉を句切り、目を伏せて告げた。
「別の方に、頼んでください」
「……わかったよ、それならもういいよ。来てくれて、ありがとな」
「そう言わず、もう少しお話ししませんか?」
「はぁ!? なんでだよ! やだよ!」
足立少年が掴まれた腕を振り解こうと暴れ始める。美波さんの華奢な腕はいいようにぶんぶんと揺れる。ただ高校生と小学生の腕力の差があって完全には振り解けない。
(な、なんで美波さんのほうが食い下がるんだ?)
帰ると言っているのだから帰ればいいのに。
すると、騒ぎのせいで周囲の大人達が反応し始めた。事によっては声をかけようかと身構えた雰囲気がある。
まずい、と思ったときには、僕は二人の前に飛び出していた。
「おいおい、なにお姉さんを困らせてんだよ」
今来たばかりという体を装って、僕は笑いながら二人に近づく。
「こっ……!?」
足立少年が呆気に取られるだけだった一方で、美波さんは驚愕に目を見開いていた。
「な、なぜあなたが?」
「偶然通りかかってさ。それよりどうしたの?」
「ちょうど良かった! デートなんてしたくないのにしようって言うんだ!」
いやお前から誘ったんだろがバカタレ。
しかしその言い方は大人たちの不信感を更に煽っている。ここは誤魔化さないと。
「馬鹿だなお前、美波さんがショタコンのわけないだろ? ねぇ?」
「は、はい。私は同年代かつちょっと不器用で人付き合いが苦手で自分を過小評価しがちなところもありますが実は凄く優しくて誠実で私のために一生懸命になってくれるとても格好良い人がタイプです」
完全に特定個人のことです。本当にありがとうございました。
だがその返事で足立少年の勢いが削がれた。チャンス!
「詳しい話は後でじっくり聞くからさ。暑いし、場所移動しよう」
僕は足立少年の身体をひょいと担ぎ上げる。
「あ、やめろ!」じたばた暴れているが、小学生を抑え込むなんて簡単だ。
「すいませんこの子近所に住んでる子なんです。たまに親に黙って遊びに行くから連れ帰るように頼まれてるんですよ」
僕は愛想笑いを作って周囲の大人たちに吹聴した。大人達は話しかけられた途端に我関せずと散っていく。まぁこんなものだろう。
「嘘だ! 離せくそ!」
『千晶を説得したかっただけなのに、なんでこんな……!』
「千晶、ね」
足立少年だけに聞こえるようにボソッと呟くと、彼はピタリと止まった。
「ど、どうして」
「さぁな。とりあえず移動しようか」
言いながら後ろを向くと、美波さんはワンピースのスカート部分をぎゅっと握りしめていた。若干、どころではなくはっきりと気まずげな表情をしている。
「美波さんも。いいですね」
観念したように、彼女は頷いていた。
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