第26話 王女の評判
職員室の一角で、僕と星野は教師の反応をじっと待っていた。
白衣を着た妙齢の女性は手に持つ書類をゆっくりと読んでいる。これは割と珍しい光景でもあった。
大峰北高校の物理担当教師、
その人物像を一言で表すなら、面倒くさがり、に尽きる。
いつ見ても教員用ジャージに白衣という姿をしている。なぜなら選ぶのが面倒だから。
髪はぼさぼさで瞼は腫れぼったく、寝不足なのか気だるげな顔つきがデフォルトになっている。もちろん化粧もなし。なぜなら整えるのが面倒だから。
顔立ちが割と美人系なので女子生徒たちが綺麗に仕立て上げようとするのだが、それも面倒くさいの一言で片付けてしまっている。
では面倒くさがりが外見だけかといえば、そうでもない。授業中も突然面倒になるらしく「このページからこのページを読んで練習問題を解いておけ以上」といって授業を途中で抜け出すこともしばしば。
そんな人物なので、生徒会ミーティングは当然のごとくサボる。重要なイベントだろうとほぼ美波さんに任せっきりだ。
ちなみに問題になったスペシャル挨拶運動もこの先生はろくにチェックしなかった。一応こういうのやりますと前もって説明したが「え~? おもしろそーじゃんやれやれ~」とほぼ素通り。たぶん色々聞くのが面倒だったのだろう。ちなみにその後の冬子先生は校長にしこたま怒られたらしい。
そんなわけで、生徒達から『冬ちゃん』などと気軽に呼ばれているこの先生は僕らを比較的自由に活動させてくれるのだが、とはいえ何でもかんでも放任できるかというとそうでもない。
特にこの書類チェックはさすがの冬子先生も素通りできないようだった。
「……ふーん」
冬ちゃんこと冬子先生は、本人の性格がよく表れているぐちゃぐちゃなデスクの上に読み終わった書類をぽいっと放り投げた。
「抜き打ち検査の結果、確かに受けとった。ごくろー」
「それだけですか?」
予想通りの言葉だったが、念の為に聞いておくことにした。
冬子先生は頭の後ろで手を組んで椅子にもたれかかり、眠たそうにあくびをする。
「んー、それだけって?」
「なにか意見とか、修正とかありませんか。あれば再提出しますので」
「別にないよかんぺき」
嘘くせぇ。やはり面倒くさくておざなりになってるな、この人。
それで通してくれるならこの上なく楽ではあるが、苦労して作った身としてはもうちょっとこう、真剣に読んでほしかったりする。
そんな僕の声が聞こえでもしたのか、冬子先生は投げた書類をチラ見して「ちゃんと見てるってば」と笑いながら言った。
「実際よくできてるよこの報告書。チェック項目の羅列だけじゃなくて細かいところまで含めて生徒会の意見をまとめてるし。それでいて過剰な説明もないからちゃんと読み切れる枚数に収まってる。言葉では伝えにくいところ、たとえば備品の汚れ具合や補修の妥当性を示すために写真を添付してある点もいい。文章も要点がしっかりと伝わるし誤字脱字なく読みやすい。今後の生徒会のお手本にしていい内容だと思う」
呆気に取られると、冬子先生は胡乱げな眼差しを送ってきた。
「なんだよその顔」
「いや、ちゃんと見てるんだなって」
「だから言っただろ。ていうかさっきのわたしを見て一体なにしてると思ったんだ」
「今日の晩御飯を考えていた」
「お前よくわかったな」
大丈夫かなこの教師。
しかし冬子先生の褒めてくれた点はまさに僕が気をつけていたことでもある。どうやら読み込んでくれたことは確からしい。
やっぱり教師だけあってこういうところはしっかりしているんだな。少し見直してもいいかいやよくない。考えてみたが顧問なのだから当たり前だ。
とはいえ褒められればやっぱり照れる。美波さんも一発オーケーだったし、これは自分の得意なことにあげてもいいかもしれない。
美波さんに出会うまで、自分にこんな特技があるなんて想像すらしなかった。
彼女のおかげで僕の中のいろいろなことが変わり始めている。
「ところで今期はやたら私物発見率が高いな。皆なにかしら持ち込んでるとは思うけど、それでも隠しはするだろ? お前ら名探偵でも雇った?」
僕と星野は顔を見合わせ、互いに苦笑いした。
名探偵は雇っていないが、その役割をこなした人物がいた。
僕が部員の心を読むまでもなく、美波さんはズバズバと隠し事を暴いていった。お菓子から漫画から趣味のものから受け継がれしテストの模範解答まで内容は多岐に渡ったが、それらを美波さんは自らの推理によって探しだし、持ち帰れと突き付けた。
容赦のない観察眼は皆を震え上がらせ「笑わない王女」とは別に「大峰北高のクイーン」という異名をつけられてしまうほどだった。
その偉業があまりにも凄まじかったおかげで、しばらく美波さんの話題で持ちきりになった。抜き打ち検査への不平不満が出るどころか、こんな生徒会長なら仕方ないと諦める奴が続出したし、どの部が相手でも容赦しないその清々しいまでの徹底ぶりが逆に美波さんの信頼度を跳ね上げた。実直を貫いた生徒会の評判も悪くない。
美波さんは、果たしてここまで計算していたのだろうか。
していそうだなと思えるのが空恐ろしい。
「ま、いいや。とりあえず部室はちゃんと使われてるみたいだし、非行の痕跡もなかったようだから言うことはないよ。この報告書は正式に出しとく」
僕は鷹揚に頷く。まずいことをしていた部活が一つあるのだが、黙っておくのが生徒会の方針だ。
「んじゃもう用はないな? 次はこっちから頼みたいことがあるんだけど」
「すいません。あと一つあります」
星野の方を向く。彼女は持っていた書類をおずおずと冬子先生に差し出した。
「あ、あの、実は、こちらの生徒会年間予算計画書もチェックして頂きたい、のですが」
冬子先生は、げっ、と露骨に嫌そうな顔をした。
「なんだよまだあんのかよ書類チェック~」
「す、すみません」星野がぺこぺこ頭を下げる。
「謝る必要はないって星野。この人にちゃんと仕事させないと」
「お前は学年主任か」
そのツッコミは聞く人によっては命取りですぜ冬子先生。
そうしてぶつくさ言う冬子先生からのチェックが終わり、晴れて僕らの用事は済んだ――かに思えたが、待ってましたとばかりに笑う冬子先生がいた。
***
「「失礼します」」
僕と星野はぺこりと頭を下げて職員室を出る。来たときよりも更に重い荷物を持ちながら。
僕は両手に物理の実験で使う機材を抱え、星野は書類の束を持って理科室へと向かう。
これを置いてきて欲しい、という冬子先生のお使いのために。
「なんでこんなくそ重たいものをわざわざ運ばせるんだあの人は!?」
「業者さんが職員室に置いてかれはった、とは言うてたね」
「だからって生徒に持っていかせるなよ……」
辟易すると星野は苦笑いを深める。そんな彼女の足取りはややゆっくりだった。
「それより大丈夫か? 重くない?」
彼女が両手で持っているのは真っ白な答案用紙の束だ。量としてはそれほどでもないが、それは男の僕から見た感想でしかない。美波さんよりも小柄で華奢な彼女の手と腕には結構な負担かもしれない。
変わってやりたいところだが、あいにくと僕の手にはオシロスコープと振り子装置という更に重量級の代物がある。さすがにこれを星野に持たせるわけにはいかない。
ていうかほんとあの教師はこんな重要そうな実験器具を生徒に託すんじゃねぇ。
「う、うん、平気」
星野は弱々しく笑って「んあっ」変な声を上げながら答案用紙の束をこぼした。
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