第4話 王女と僕らの体育祭 下

 彼女の小さな体格では勢いについていけず、引っ張られた拍子にバランスを崩して転んでいる。

 けれど星野はすぐに棒に手を伸ばし、また引っ張り合いに参加した。

 勢いに負けて再び転けても、すぐに起き上がって棒に食らいつく。

 服も顔も土で汚れていたが、そんなことには一切構わず全力で抗っている。

 次郎は固唾を呑んで、彼女を見守っていた。

 そのとき状況に変化が起きた。

 白組の数人がバランスを崩して転倒。そこには美波さんの姿もあった。

 勝機を得た桃組は一気に棒を引き抜いていく。

 ホイッスルが鳴る。試合終了だ。


 歓声が沸き起こる中、桃組の女子達は飛び上がって喜ぶ。

 呆然と立っていた星野に佐伯が抱きつく。更に他の女子達も混ざって揉みくちゃになる。

 目を回していた星野だが、ややあって、はにかんだように笑っていた。

 そんな様子をカメラで撮影していると――胸に来るものがあった。


(ほんと、どうなるかなんてわかんないよなぁ)


 あのクラスでイジメが起こり、星野が標的にされていた未来が確かにあった。

 それは色々な要素で回避され、こんなにも微笑ましい光景に変わっている。

 ……もしかすると、あの輪の中に星野をいじめた女子もいるのかもしれない。一歩間違えれば醜悪な関係性になっていたのかと思うと複雑ではあった。

 人の未来なんて些細なことで良い方向にも悪い方向にも転がってしまうのだなと、つくづく痛感する。あの藤堂も卑劣な行動をしたのは今回が初めてだったらしいし、魔が差すとはよく言ったものだ。

 だけど逆にそれは、幾らでも変わっていけるということ。星野がそれを証明してくれている。

 それこそ変えられないのは生きるか死ぬかの二択くらいで――


(ああ……僕は、そこに当てはまっちまったんだっけ)


 変えられるものなら未来を変えたい。

 だけど、あの美波さんが何度も何度もタイムリープして変えられなかった現実だ。心を読む能力しかない僕は、彼女に比べれば圧倒的に非力だった。そんな人間が超えられる高さの壁だとは思えない。

 なにも考えなかったわけじゃない。抗う方法を自分なりに探してみた。

 でも運命なんて漠然としたものをひっくり返す手段が思いつくはずもなく、途方に暮れるだけで終わった。

 できることと言えば、高い壁のそばで膝を抱え、来た道を懐かしむことくらいか。


(っと、写真撮らなきゃ)


 気分が沈みそうだったので思考を切り替える。桃組を撮りつつ白組の方にレンズを向けると、白色の女子達は互いに励まし合いながら戻っていく途中だった。

 美波さんもたくさん声をかけられていたが、彼女はふと僕の方を向いてぺろっと舌を出した。『失敗しちゃいました』なんて声が聞こえてきそうで、なんとも可愛らしい。

 僕は彼女に向かって手を振る。頑張ったね、と心の中で呟きながら。


「……っし。俺も、やるか」


 隣から気合いのこもった声が聞こえる。星野の奮闘に触発されたようだ。

 生憎だがそれは僕も同じ。

 なにより、彼女にいいところを見せたいという男心も黙っていない。


***


 二年生男子の競技、棒倒しの番が来る。

 この競技は両陣営が立てた棒を先に倒した方の勝利だ。特徴といえば、棒を立てて固定しつつ防御壁になるディフェンス陣と、棒を倒しに行くオフェンス陣に分かれることだろう。

 今回もトーナメント戦で、初っぱなの対戦は僕のクラスの緑組と佐伯たちの桃組男子の戦いになった。

 棒が立てられディフェンス陣がそれを固定する。僕はそこから少し離れたオフェンス陣に混じっていた。この体質では人に密着できないのでオフェンスにさせてくれと志願した。


 と言っても、相手の陣地に突っ込んで揉みくちゃにされれば同じこと。途中で離脱する可能性が高い。クラスメイトにも無理をするなと言われている。

 僕にできることは陽動か捨て駒、もしくは――

 ちらと白組チームの応援席を確認する。他チームの番で興味なさそうな生徒が多い中、美波さんは緊張した面持ちで僕を見守ってくれていた。


(大丈夫、無理はしないよ)


 伝わるかわからないが、そう心中で念じておく。

 ホイッスルが鳴った。

 裸足の両陣営オフェンスが駆け出し互いにすれ違っていく。

 続けて桃組の男子が数人ほど僕らに迫ってきた。どうやらディフェンスの人数を割いてこちらの進行をせき止める作戦らしい。

 邪魔をされた緑組オフェンスのスピードが落ちる。

 が、見た目で判断されたのか僕の目の前はがら空きだった。一番槍だ。


『っし捕まえた』


 背後から声。

 僕は即座に方向転換して回避。

 『は?』捕まえようとした男子はバランスを崩し転倒した。


『抜かせるか!』


 次は右。

 急停止して向かってきた手を寸前で回避。前のめりになった桃組男子の上を飛び越して突き進む。

 周囲からはどよめきのような歓声が響いた。

 心の声でスティールの方向を読む――そんな中二病みたいな技を編み出して悦に入っていた黒歴史もたまには役に立つもんだ!

 僕はディフェンス陣を前にジャンプし手前の男子の背中を蹴る。『ぐぇ』とくぐもった声が聞こえてきた。すまん、すぐどくから!

 次のジャンプで棒に飛び移る。ぐらっと傾いていくが落ちるまではいかない。くそ、僕の体重だけじゃ無理か。


『うおおお才賀でかあしたあああ!』


 僕に追随して棒に飛び移っていた小林の声が脳に響く。

 二人分の重さで棒が倒れる。僕は相手方のディフェンス陣と揉みくちゃになって地面に倒れた。

 『いでぇ!』『あぶなっ』『誰だよくっさ』『あー負けたー』重なり合う体重と声に押し潰されて頭がぐらんぐらんした。闇の中からなんとか這いずって抜け出したものの、胃の中に手を突っ込まれたみたいで気持ち悪い。


「やったな才賀!」


 立ちあがった僕に小林を含めたクラスメイトが賞賛の言葉を送ってくれる。

 だからか、気持ちの悪さはすぐに引いていった。


***


 二回戦は次郎のいる黄組との対戦だった。

 ホイッスルと共にオフェンスが駆ける。今度はがっちりと守りを固めてきたので、僕は飛び乗っても多重の声に圧倒されてうまく動けなかった。その代わり他の男子達が棒に取り付いていく。

 棒はぐらりと傾いて倒れ――なかった。

 まるで土に埋められているみたいにがっちりと固定されている。

 不思議に思っていると後方から歓声が起こった。振り返ると、緑組の棒が倒されていた。僕らの敗北だ。

 勝敗が決して固定のディフェンスが散っていく。それでもなぜか棒は立ったままだった。

 なぜなら、巨漢の男子が一人で棒を支え続けていたから。

 彼は目を固く閉じて棒に抱えるように持ち、奥歯を噛みしめていた。


「おーい、終わってんぞ次郎」

「寝てんのかよお前」


 声をかけられた次郎はハッとして周囲を見回す。試合終了していることに気づき「た、退屈なんでぼうっとちしまったぜ!」なんて冗談ぽく言いながら棒を置いていた。

 役割を果たすことに必死でしがみついていた――そんな本音はきっと、口が裂けても言えないだろう。

 だからこそ僕は、その場で拍手を送った。

 『なんで拍手?』周りから不審がる声が聞こえたが構わなかった。

 この先、次郎のために何かしてやることはないかもしれない。

 そう思えば恥ずかしさなんてどうってことない。

 拍手は僕だけではなかった。観戦している美波さんが、佐伯が、そして星野が。次郎に向けて惜しみない拍手を送る。

 僕ら生徒会だけは、彼の頑張りを讃える。

 それが伝わったのか、次郎は照れたように笑った。

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