第12話 職権乱用する王女
「あれ……私?」
葛城美波はゆっくりと身を起こして目を擦る。
毛布がかけられていることに気づいたところでようやく焦りだした。
「あ、す、すみません。つい気が緩んでしまって」
「いいよ、それくらい。なんならもっと休んでてもいいけど」
「そういうわけにはいきません。作業は残っているのでしょう? 今度こそちゃんと見張ります」
「まぁ、いいですけど」
僕は一つ頷いて立ち上がる。机に戻ろうとしたとき、彼女の心の声が聞こえた。さっき隣で座っていたからだ。
『う、迂闊でした。これでは見損なわれてしまいます。しっかりしないと』
僕は笑いそうになる。なんとも可愛らしい悩みだ。
「寝落ちたくらいで無能とか思ったりしないから。むしろ今日は十分に助かってます」
「えっ、あ……はい。それは、良かったです」
葛城美波は驚いた様子だった。自分の思考に合わせたような台詞だったからだろう。少し危ないやり方だったが、経験上この程度が問題になることはまずない。
僕は椅子に座る。しかし能力継続の一分間はまだ続いていた。
『優しいな、こーくん……この毛布もそっとかけてくれたのでしょうね。だから好きなんです。大好き。後ろから抱きしめたい』
頬の熱がぐんと上がる。良かった、PCを見ているおかげで顔は見られずに済む。
『はっ! というかこれはこーくんの毛布ではないですか! 彼の細胞が残った毛布で包まれるということはすなわちこーくんと一緒にくるまっているも同義!』
……うん、今のこの呆れ顔を見られなくて良かった。
ちらりと後ろを向くと、葛城美波は寒そうな演技をしながら毛布で体を包んでいた。
彼女の平静な顔つきは、ちょっとだけ満足気に見えた。
***
十九時を過ぎた頃、門限があるということで葛城美波は帰宅することになった。
まだ三月で道中も暗いから、僕は帰り道を送っていくことにした。二人してマンションを出てから、人気のない道路を並んで歩く。ちゃんと30センチの間隔は開けておく。
「家はすぐ近くなんだっけ」
「少し遠いです。なので、この先のバス停からバスに乗ります」
「じゃあそこまで見送ります」
「ありがとうございます。それで明日なんですが、本当に私は必要ないですか?」
「大丈夫、かなり目処が立ったから。あとは一人でなんとかするよ」
嘘はついていない。報告書はちゃんと完成に近づいている。それに葛城美波が家にくると母親のテンションが上がってうざい。現に帰るときも一騒動あったくらいだ。
「あなたがそう言うなら、わかりました」
葛城美波は淡々と答える。表情も澄ましている。
でもきっと本心は違うのだろうな。
そう考えていると道が更に暗くなった。遊歩道の街灯が木に隠れているせいだ。
すすっと、彼女が僕に寄ってきた。
(あっ)
思わず身体が反応するが――僕は距離を開けないよう踏みとどまる。
暗がりなこの道は割と不気味で、不安になったのかもしれない。
『なんだか、少し嫌な感じです』
案の定だった。心の声が聞こえてしまう距離だが、ここは彼女のために我慢しよう。
横目でちらりと見ると、葛城美波は僕のすぐそばに手を伸ばしていた。
『ここで端っこを握ったら……迷惑がられます、よね』
彼女はどうやら僕のシャツの裾を握るかで悩んでいるようだった。症状のことを気にして手が出せないでいる。この程度で迷うくらい僕の病気に配慮してくれている。
なのにどうして日中は、あんなに大胆な想定をしていたのか。
(……いや。そういうことじゃないだろ、今は)
彼女は一切表情に出していないが、心の声は嘘をつかない。
女の子が怖がっているのに無視するほうが問題だ。
「会長、大丈夫ですか」
聞くと、葛城美波は驚いたように顔を上げた。
「大丈夫、とは?」
「ここの道って昔からちょっと雰囲気悪いから。女の子は不安じゃないかなって」
「いえ……私なら、平気ですよ」
『いま女の子扱いされました!? にゃああ嬉しい……!』
口から出た声とは比べ物にならないくらい、頭に響く声ははしゃいでいた。
(女の子扱いされただけでそんな喜ぶもんか?)
不思議だ。彼女こそそういう扱いをたくさん受けてきたろうに。
『つい強がっちゃいましたけど。でも、幸せです』
葛城美波はもう手も引っ込めている。強がる必要はないのに、平静を装っている。
とはいえ僕がこれ以上言うのも不自然なので、せめてこの付かず離れずの距離が変わらないように歩いた。
そのうちバス停が見えてくる。そこで葛城美波の考えも切り替る。
『そうだ、今のうちに伝えておきましょう』
「あの、才賀くん」
バス停に二人して並ぶと、葛城美波はさりげない風に声をかけてきた。
「そろそろ変えて頂きたいことがあるのです」
「変える? なにを?」
「会長という呼び方です。私には歴とした名前があります。役職で呼ばれるのはちょっと」
「でも他の連中も会長呼びだけど」
『むぅ、鈍いですね』
「円滑なコミュニケーションの一環です。私だって才賀くんとお呼びしているじゃないですか」
「まぁ、そうですけど」
うーむ。どうも彼女は、僕との関係を強引に進めたがる節がある。
生徒会に誘ってきたことだって僕の能力が必要とは言うが、自分の恋心のことも幾らか理由にあるだろう。
でも葛城美波ならこんな手段に出るまでもなく、普通に話しかけただけで恋に落ちる奴が続出のはずだ。
まさか僕には通用しないとでも思ったのだろうか。
それとも、なにか焦る理由があるのか。
考え込んでいると、葛城美波が返事を待ち望む目つきをしていた。
しかたない。わがままな王女の命令に従おう。
「じゃあ、葛城さん」
『美波で』
「美波で」
おい本心がダダ漏れだぞ。
「さ、さすがに名前呼びはどうかと」
「じゃあ孝明くんと呼びますから」
「じゃあの使い方間違ってません?」
『名前で呼んで欲しいとなぜ気づかないのです!』
「生徒会の親睦を深めるためです。他の方々にも強制します」
「それは職権濫用では」
『がたがたうるさいですね』
「がたがた仰らないでください」
丁寧語の皮を被った恫喝をするな。
ええー、と僕が戸惑っても、葛城美波はじっと見つめてくる。心の中では『美波! 美波! 美波!』と名前呼べコールがかかっている始末だ。
と、そのときバスが来た。バス停で止まって扉が開く。
「バスきたよ」
「名前で呼んでくれるまで乗りません」
「わがままか!」
『そうですよ、あなただけには』
心の声が不意打だった。かっと身体が熱くなる。
そんな僕には構わず葛城美波は「ほら早くしないとバスが行っちゃいます」とけしかけてくる。運転手もなにしてんだこいつらという顔で見ている。
「み……」
『早く、こーくん』
「美波、さん」
「合格」
葛城美波がぴょんとバスに飛び乗って、ドアが閉まる。振り返った彼女は涼しげな顔で僕に手を振っていた。
そうしてバスは発進し、姿は見えなくなった。
僕はぷはぁと息を吐いてうなだれる。なんだこのやり取り、疲労レベルが尋常じゃないぞ。
書記になるとこんな毎日なんだろうか。恐ろしい。
(ひとまず帰るか。熱い風呂に入りたい)
来た道を戻ろうとしたとき、脳内で声が響いた。
『久々だったから、楽しかったな』
美波さんの心の声だ。能力はまだ継続していたらしい。
(久々……?)
どういう意味だろうか。もちろん彼女とは遊んだ経験がない。ということは他人の部屋に上がるのが久々で楽しかった、とかそういう意味かもしれない。
深く考えるほど重要でもない気がして、僕は家へと戻った。
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