第10話 王女の準備

 自室の前まで来たので僕はドアを開け、室内に入る。


「どうぞ。汚いところで申し訳ないけど」

「そんなことはありません。綺麗ですよ」


 自室に踏み込んだ葛城美波が物珍しそうにきょろきょろと見回している。

 僕の部屋に女子がいる。意識すると急に緊張してきた。どうしようお茶菓子とか運んだほうがいいのかな。

 考えていると、すーはーすーはーという変な音が聞こえ始める。

 葛城美波が深呼吸するみたいに鼻から息を吸って吐いていた。


「なにしてるんですか」

「……お気になさらず」


 微妙に間を置いた返答だった。彼女の頬は強ばり、少しだけ赤らんでいる。

 気になる。ものすごーく気になる。

 この人のことだ、またよからぬことを考えてたり企んでいる可能性がある。

 僕は、かなり迷ったが、クッションを置くふりをしてそっと近寄ってみた。


『どうしようこーくんの匂いで落ち着きません深呼吸して落ち着ああああ濃厚なこーくん臭ぅぅぅぅ!』

「とりあえず普通に息しろ!」

「え?」


 彼女が目を丸くしたので、僕は自分の失態に気づいた。これでは僕が急に声を荒げたように映ってしまう。


「その! とりあえず普通にしなよ、と言ったわけでして。まずはお座りください」

「ど、どうも」

『聞き間違いでしょうか……?』


 クッションを差し出して僕はシュバッと離れる。葛城美波はそのクッションにちょこんと座り込んだ。疑問の声は聞こえてこない。かなり強引な誤魔化し方だったが、納得してくれたようだ。


『しかしこう、狭いお部屋の中で彼と二人きりというのは……緊張しますね。心臓がドキドキして苦しいです……彼も、同じなのでしょうか。お母様の言う通り意識してくれていると嬉しいのですが』


 居住まいを正す葛城美波の考えが伝わってくる。心なしかちらちら見られている視線も感じる。

 意識されているかどうか気にされるとこちらも意識してしまう。日本語として成り立っていないが文字通りなのだから困る。

 心の声に揺さぶられるように僕の鼓動も高鳴り始めた。頬が熱い。

 こんな状態で丸一日一緒にいて、僕は耐えられるだろうか。


(駄目だ駄目だ! 今日は真面目に仕事をするだけで変なことは――)

『でもそうなると、彼も健康的な男の子ですしね……準備してきて正解だったかもしれません』


 葛城美波の心の声が続いた。

 準備? なんの?


『入念に洗ったからきっと大丈夫。下着も、可愛いのだし』


 えっ。


『ええと、アレは……うん、ありますね』


 葛城美波がショルダーバックをごそごそ確認していた。

 アレ? アレとはなに? 準備しなきゃいけないことってええと?

 ごくりと唾を飲み込む。もし僕の予想が正しければ、葛城美波は物凄いことを考えている。

 待て、待ってくれ葛城美波。ちょっと性急すぎるというかまずいだろいやいいんだけどね僕は気にしないしむしろ男女のことだもの何があるかわからないから準備しておくのは素晴らしいよでも肝心の僕の心の準備がねまずは段階を踏んでね違うんだ決してチキンなわけではなく


「あの、才賀くん」

「ひゃい!?」


 上ずった声が出てしまう。振り返ると、葛城美波がキョトンとしていた。


「しないのですか?」

「なにを!?」

「課題です、生徒会の」


 虚を突かれた僕は「す、するする!」と大袈裟に反応して勉強机まで一目散に向かった。椅子に座りPCを立ち上げながら両手で顔を隠す。

 ――どうしよう。

 別に彼女がそれ目当てで来たわけじゃないことはわかっている。課題をしなければ生徒会を追い出されてしまうのだから、葛城美波としても僕の作業を邪魔するのは本意じゃないだろう。

 でも彼女があわよくば、と考えているのは確かだ。

 それを受け取ってしまった僕は、どうすればいい。

 ……どうもできるわけない。彼女がそういう態度を取ったわけでも言葉にしたわけでもない。僕は彼女の甘い声に素知らぬ顔を続けるしかない。

 とはいえ、一人だけ悶々とさせられていることに、少しムカついてきた。


「本日のことですが、私は指示をしたり手伝ったりはしません。あなたの集中力が欠けていたり、手が止まっているときだけ声をかけます。よろしいですか」


 返事をしないでいると、葛城美波は眉をひそめた。


「どうしました? ……ああ、見続けたりはしませんので、ご心配なく」


 葛城美波はショルダーバックから文庫本を取り出した。

 しかしまだ僕が黙り続けるので、彼女は疑問符を浮かべたような顔をした。


「才賀くん?」

「君は、僕に課題を達成させるために、ここに来たんだよな」


 悶々としているのは自分の能力のせいだ。彼女は全然悪くない、人として当たり前のことを考えているに過ぎない。

 でも、この真っ直ぐな恋心は僕に効く。

 さっさと惚れた理由を聞き出さないと、僕だけずっとこんなむず痒い思いを我慢するはめになる。

 それは、ずるい。

 葛城美波だって照れたり慌てたりして欲しい。

 幸いなことに、今は問いただせる状況にある。

 僕は立ち上がり彼女に近づく。床に膝をついて、ぐっと顔を近づける。

 30センチ先には、葛城美波の大きく見開かれた目があった。


「他に理由があったりとか、しない?」


 あまりにも突然の質問で不自然だったが、この力は頭の中を全て読めるわけじゃない。誘導尋問のように答えを導いてやる必要がある。

 果たして、心の声は聞こえてきた。


『き、急にどうしたのでしょう……?』


 澄ました表情を貼り付けているが、よくよく見ると頬がほんのりと桃色に染まっている。注意深く見ないとわからない変化も、僕の能力を合わせれば本音として読み取れる。

 少しの優越感が、僕を大胆にさせる。


「だって、話し始めてまだ数日ですよ? いくら僕を生徒会に入れるためとはいえこんなに世話を焼いて、しかも部屋にまで来てくれた」


 手を伸ばせば彼女に触れられる位置に居る。白い頬も、滑らかな首筋も、サラサラの髪も、それ以外の部分も。


「僕を必要とする理由は、他にもあるんじゃないのか」


 その瞬間、彼女が纏う温度が下がった。


『……やっぱり、疑いますよね。急に押しかけるなんて。確かにちょっと、ほんのちょっと、期待してましたけど。でも』


 葛城美波は居住まいを正した。

 僕を真正面から見据えてきて、目を逸らすこともない。

 あまりにも真っ直ぐだから、むしろ僕の方が怯んでしまった。


「どういう意図での質問かは計りかねますが、私はあなたの助力になるためにここに居ます。それ以上でも以下でもないです」

『今日はそれが目的ではありません』

「必ず書記になってもらいます。私の生徒会には、あなたが必要ですから」

『こーくんが凄い人だって彼女に認めさせないと、私の気が済まない』


 心の声は、佐伯への対抗心が剥き出しになっていた。

 頬を膨らませた葛城美波の顔を連想してしまう。


「――ふ、ふふ」

「な、なぜ笑うのですか」


 彼女に指摘されて、僕は慌てて口元を隠す。


「いや、ごめん……会長、僕はなにか勘違いしてたみたいです。変なことを聞いてすみませんでした」

「そうですか。ならばどうぞ、作業を進めてください」


 僕は立ち上がって背を向ける。その間も彼女の心の声は聞こえ続ける。


『焦る必要はありません。これから少しずつ仲良くなっていけばいい。望む未来は


 すごい自信だ。もしかすると絶対に交際に至るシミュレーションを作っていたりして。計画というのもこーくん補完計画とかいうんじゃないだろうな。

 改めて、凄まじい人に惚れられたと実感する。ますます好意の理由を知りたい。

 だけど今は課題に取り組むことにした。

 能力を買っている点は嘘ではないらしいから。

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