第26話 メイドな王女 下

「では不肖この葛城美波、ご主人さまのメイドとして10分間のご奉仕をさせていただきます。よろしくお願いいたします」

「あ、はい」


 美波さんがスカートの端をつまんで一礼する。慇懃無礼に過ぎる。メイドってこんなんだっけ。


「それでは早速。私とお風呂になさいますか? それとも私ですか?」

「なんだその新婚夫婦みたいなサービス!? ていうかどっちも夜のご奉仕だ!」

「ご主人さまといったらこういう路線では」

「ご主人さま違い!」


 むむぅ、と美波さんが唸る。なにを考えてるんだこの人は。


「……他の人にもこんなことやってないだろうね」

『そんなのこーくんだけに決まってるじゃないですかもー♪』


 美波さんが僕をツンツンしながらテレパスを送ってくる。楽しそうですね。

 でも、良かった。こんなドギツイ台詞を真顔で披露されたら本気か疑う以前にものすごく不気味に映るだろう。僕でなければ精神に異常をきたしていたはず。


「普通のサービスでお願いします」

「いいんですか本当にそれで」

「なぜ念を押す。むしろ普通じゃない方をされたら僕が学校に来れなくなる」

「せっかくこーくん用に考えた四十八の接待技を披露しようと思ったのに」


 殺人技の間違いではなかろうか。社会的に消えるという意味で。


「とりあえず飲み物を注文したいのですが」

「ああはいー」

「急にやる気なくなるのやめて」

「だってー」


 美波さんは腰の後ろで手を組んでつまらなさそうにくねくねする。この王女は本当にもう、だめだって言ってるのに拗ねるんだから。


「……今度僕の家でそれやっていいから」


 恥ずかしいのでこそっと伝えると、美波さんの顔色がぱぁっと明るくなる。口は引き結ばれたままだが瞳が嬉しそうにキラキラしていた。


『絶対ですからね! 約束ですからね!』


 そう念押しした美波さんは僕に注文を聞き、バックヤードへと飲み物を取りに行った。その道中『メイド服揃えないといけませんね……これは恥ずかしいのでもう少しクラシックなものにしましょうか』などという声が聞こえてくる。

 どうしよう、我が家で仰々しいメイドがうろちょろしてしまう。後で服装は普通でいいと言わなければ。


『それともこっちのほうがこーくん興奮するかなぁ……ジャージよりも。試してみましょう』


 駄目だこのメイド、早く止めないと。

 あと誤解が続いているジャージは僕の性癖じゃねぇ。


「お待たせしました」


 戻ってきた美波さんは、優雅な仕草でソーサーとティーカップとティースプーン、そしてお菓子を机の上に置いていく。

 それから僕の膝の上にちょこんと座った。


「ん?」

「え?」


 僕から見てちょうど九十度の角度で座っている美波さんが振り向き、僕と目を合わせる。


「どうなさいましたご主人さま」

「錯覚でなければご主人さまの膝の上に座っておられるようですが」

「仕様です」


 そっか仕様か。デフォルトなら仕方がない。

 でも気のせいかな。このメイド喫茶で同じことをしている人はいないんだけど。

 疲れからくる頭の重さでこめかみを指圧していると、膝の上の美波さんがティーカップを取り、ふーふーと湯冷ましした。

 そして「はいどうぞ」と僕の口元へ運んでくれる。


「……そんなサービスありましたっけ」

「メイド喫茶ではやっているそうですよ」

「だとしてもこの態勢はちょっと」

「すみません。こうですね」


 美波さんは反対の腕を僕の首の後ろに回し、肩を抱くようなポーズを取る。

 これなら密着度が上がって飲ませやすいね。


「って違うわ! 普通のサービスでいいって言ってるでしょうが!」

「いいですかこーくん。十分間とはいえ最愛の方のメイドとなるのです。私の全力でご奉仕しなければ失礼に当たります。いわばこれは私の矜持であり接客努力なのです」


 キリッとした口調で力説される。

 僕の膝の上で。

 

「……君の志は素晴らしいと思うよ」

「ありがとうございますご主人さま」

「でも普通のやり方で全力出そうか? 見てよ皆が時間止まったみたいにガン見してるこの光景!」


 僕が周囲を手で示すと、お客もメイドもさっと視線を逸らす。まるで見てはいけないものを目の当たりにしたかのような反応だ。さもありなん。


「よそはよそ、うちはうちですよ」

「家庭の事情か! ていうかそれ仕様と真逆!」

「そんなこと言ってこーくんも実は嬉しいくせに」

「こんな学校の中でなければな! ていうか、ほんとは君がやりたいからじゃないの?」

『ギクリ』


 心の中で呻いた美波さんが、ぎこちない動作で僕から顔を背ける。


『し、職権乱用ではございません』

「君がそう思うんならそうなんだろう、君の中ではな」

『ひぁ!? ちょ、耳元はちょっと……!』


 美波さんがむず痒そうに首をすくめた。誰にも聞こえないよう彼女の耳元で囁いたのが別の反応を引き出した。

 あ、そうだ、これだ。


「このままの体勢だと耳元で喋ることになるけど、いいの? 我慢して仕事する?」

『くぅ、卑怯なこーくんめ……! でもちょっとゾクゾクしますねこれくふぅ……!』


 ……そういやMっ気あるとか言ってたなぁ。

 残り時間これで粘るのだろうかと思って耳元にふーふーしていると、予想に反して美波さんはすっと離れて僕の対面の席に座る。『会話する時間もなくなるし従ってやりますよ』などと負け惜しみのテレパスを送ってくる。


「はいはい……まぁ、美波さんが楽しそうで良かったよ」

「楽しそう、ですか?」


 キョトンとしながら美波さんが聞き返してくる。


「うん、とっても楽しそう。こんな美波さんを見れたなら、文化祭に参加した甲斐がある」


 本心からそう言うと、美波さんは恥ずかしげにうつむき「あ、ありがとうございます」と呟く。


「……確かに、ちょっとはしゃいでたかもしれませんね、私」


 美波さんから苦笑に似た気配が伝わる。

 彼女は騒がしさを取り戻した教室を見渡し、懐かしげに目を細めた。

 テーブルに置いた僕の手に、美波さんが手を重ねる。


『タイムリープ前もこうしてあなたが来てくれたんです。付き合う直前だったのでまだぎこちなかったんですけど、楽しかった』


 胸の奥で軋む音が鳴った。


『文化祭に出られなくなっても、あなたと二人ならそれで十分だと思いました。でもやっぱり、もう一度同じように私を選んでくれたことがとても嬉しくて……だから、あのときにできなかったことを、あなたにしてあげたくなったんです』


 保てと自分に言い聞かせても、笑っていられなくなる。

 僕の知らない僕を聞かされると、どうしても憂鬱が先立つ。

 ティーカップの中に視線を落とす。ゆらゆら動く自分の顔は、無愛想に歪んでいた。


『舞い上がっちゃってたかもしれませんね、てへへ……って』

「こーくん?」


 美波さんに覗き込まれて、我に返る。


「どうしました? ぼんやりして」

「いや……あの、美波さん」

「はい」


 美波さんは聞く姿勢を取ってくれている。だけどこんな大勢がいる場所では話せない。

 ピピピという電子音が鳴った。美波さんのつけた腕時計のアラームだ。


「残念。十分経っちゃいました」

「……そっか。でも凄く楽しかったよ」

「そうです? なら良かったですけど」


 物足りなさそうな美波さんに笑いかけ、ティーカップの中身をぐいと飲み干す。「ごちそうさま」と机に置いて、ふぅと一拍置く。


「美波さん、今日……いや、明日に時間あるかな」

「ええ、それは大丈夫と思いますけど」

「二人きりになりたい」


 僕がそう言うと美波さんは軽く柳眉を上げる。次に、頬を緩めた。


『わかりました。喜んで』


 弾む声でテレパスが返ってくる。勘違いしているかもしれないが、仕方ない。

 僕は笑顔が崩れないように努めながら、罪悪感を抱えて席を立つ。

 教室を出るまで、メイドの美波さんは甲斐甲斐しく僕を見送ってくれていた。

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