第26話 王女との別れの時間 上

 三学期が始まり、学校生活はいつものように始まった。

 その中で僕と美波さんは、覚悟を持ってその人を呼び出した。

 生徒会室のドアを開ける。既に冬子先生が座っていた。なにかのレポート用紙に目を落としていた先生は、僕らの来訪に気づいて視線を上げる。


「……今回もまた、覚悟を決めている顔つきだね」


 僕は美波さんと顔を見合わせ、告げる。


「一月二十五日、僕に能力を失う薬を打ってください。それで、死を乗り越えます」


 見返す先生は、静かに目尻の端を吊り上げた。


***


 一月二十五日。時計の針は午前六時を指している。

 冬の早朝だけあってまだ空が白み始めた頃合いだった。


「……よし。大丈夫そうだな」


 ベットの端からゆっくりと立ち上がり、部屋を見回す。日付が変わる頃からずっと起き続けていたが、今のところ異変が生じる気配はない。美波さんが言うには午後から夜にかけて事故や事件が起きる確率が高かったというから、まだそのときには至っていないのだろう。

 とはいえ用心しておくに越したことはない。いつ何が起こってもおかしくはない。約束の場所に辿り着くまでに死んでしまっては元も子もない。


 念の為にランニングウェアの服もチェックする。おかしなところはない。

 これから僕は、早朝ランニング中に心臓発作で倒れた、ことになる。すぐに応急処置をしたので一命は取り留めたが、脳に酸素が行き届かず植物状態になってしまった……そういう経緯をでっち上げて、薬を打った事実を隠蔽するのだ。

 さすがに何もなく倒れては周囲も怪しむので、アリバイを作っておく必要があった。この日のためにわざわざ数日前から早朝ランニングを始めて、違和感のない状況を作っている。


 部屋を出ていこうとして、枕元のスマホが視界の隅に映る。電源を切っているので画面は真っ暗だ。

 美波さんからの連絡を遮断するために、あえてそうしていた。

 最後の日は独りで行動すると決めている。たとえ事故死でなくとも、彼女の目の前で倒れるのは避けたい。

 このことは美波さんには内緒にしている。薬を打つ時間も場所もデタラメを教えていた。彼女は怒るだろうが、あっさりと済ませてしまいたい。もう二度とトラウマを植え付けたくなかった。

 静かに自室のドアを開けて、足音を潜めながら廊下を進む。母はまだ眠っているのだろう。


「……いってきます」


 玄関から出て、静かに告げる。

 いつの日か、ただいまと言えるように。


***


 刺すような冷たさの外気の中をゆっくり、慎重に進む。

 しばらく歩いて、車一台が通れるかどうかという路地裏に入り込む。体よくビルの壁面に囲まれたそこは絶妙な死角だった。夜更けだと歩くのが怖そうな場所だ。

 そこに、道を塞ぐようにして一台のワゴン車が停まっていた。

 業務用と思しきワゴン車はトランクが空いて中が丸見えになっている。後部座席は取っ払われ、硬そうな黒いシートが後ろ向きで一つ設置されている。その周囲にはごてごてとした機械類が置かれ、何らかの薬剤が入ったパックが天井から吊されている。

 さながら手術台を連想させた。

 車内では二人の人間が動いている。二人とも白衣を着て防護マスクを被っていた。レンズもスモークが貼ってあって表情がまったく伺えない。着ぶくれしているのか体型からも男なのか女なのか判別できない。

 静謐な早朝とはあまりにも相応しくない、異様すぎる光景。

 見知った姿が見えなかったら、驚愕して叫んでいたかもしれない。


「おはよう、才賀」


 ワゴン車の前で電子煙草をふかしていた冬子先生は、僕の接近に気づき軽く挨拶をする。


「よく眠れたか?」

「寝てません。なにがあるかわからないので」

「そう」


 素っ気なく答えた冬子先生は、車中の白衣たちに目配せする。頷いた白衣の一人が「どうぞ」とシートに座るよう促してきた。

 僕は唾を飲み込み、硬いシートに腰掛ける。心臓がバクバクと激しく動く。


「準備までもう少し時間がかかります。少々お待ちください」


 おそらくは女性、が僕に声をかけてまた作業に戻っていった。

 そこである異変に気づく。


「そいつらも特殊なスーツを着てるから。君の<心読み>は通用しないよ」


 トランクルームの端に座った冬子先生が、僕の疑問に答えるように説明した。やっぱり能力があるんじゃないかなこの人。


「君もその方がいいだろう? 自分をモルモットのように扱う思考を読んだところで不安が増大するだけだし」

「まぁ、そうかもしれないですけど……」


 ちらと背後の白衣二人を確認する。二人は黙々と準備作業を続けている。気分を害したり慌てる素振りはない。なにも読めない分、不気味さが増している。

 電子煙草を深く吸い込んだ冬子先生は続けて僕に言った。「ほんとにいいの?」


「なにが、ですか」

「私が言うのもなんだけど、こんな組織に生き死にを委ねちゃってさ。いくら自分の運命を覆すためとはいえ、よくもまぁこうしてほいほい従ってるもんだなと」

「なに言ってるんですか。先生がこうなるように誘導したんでしょ」


 先生は前を向いたまま薄ら笑いする。「……へぇ」


「生憎と身に覚えないけどね」


 露骨にとぼけている。どういうつもりなのか読めないのでそれ以上は突っ込みたくなかったが、しかし準備とやらは続いている。このまま無言なのも気まずい。もしかすると息抜きの話題として振っていたりするのだろうか。

 僕は、冬子先生の背中に向けて溜息を吐く。


「……まず、心が読めないことがバレてしまったという先生のミスは、絶対に起こりえないことなんですよ」


 機材がガチャガチャ動く音を背後に聞きながら、僕は自分の推理を披露することにした。


「先生の秘密に気づくまで三度のキッカケ――能力発動範囲に入るタイミングがありました。一度目は夏休みの夕方。二度目は文化祭前に倒れたとき。三度目は土曜日の生徒会室前で。一度目はちょっとした気の緩みと考えることもできますが、二度目はおかしい。いくら僕が気を失う瞬間だったとはいえ、その時点では意識があるかもしれない。触れれば心が読めないことがバレてしまうかもしれない。だったら、完全に倒れてから保健室に運んだ方が安全だ」

「倒れそうな生徒がいたら助けるでしょ普通」


 本心とは思えないので無視。「決定的なのは三度目です」


「あの日、僕が土曜日の学校に向かったのは単なる気まぐれでした。だから生徒会室の前で先生と遭遇してしまったのも偶然だった……そう思っていたんです。でも後から考えると不自然なんですよ。先生は僕と美波さんしか知らない事情を隅々まで把握している。あまり考えたくないですが、それほどに情報が筒抜けだったことを示しています。その前提を踏まえると、あの日僕が学校に向かっていることだって先生は知っていた可能性が高い。監視対象がふらふらとさ迷い歩いてるわけですから、余計に注目されて然るべきだ」


 先生は無言で足を組む。小鳥のさえずりが話の合間を通り過ぎていく。


「なのに先生はわざわざ生徒会室にいて、ドア越しに僕の能力発動範囲に入ってしまった。これはうっかりなんてレベルじゃない。むしろ、としか思えない。一度目と二度目の接触は、僕に猜疑心を植え付けるための布石だったわけです」

「なんでまたそんなこと。君に疑わせてどうなるわけ?」

「当然、あなたの正体を探り始める。結果的にそうなった」

「私がそう仕向けた、と」

「はい。恐らく監視も結構緩めたんじゃないですか? 僕らが気づきやすいように」


 背後ではまだガチャガチャと音が鳴っている。割と核心的な話をしているのに、白衣二人は動揺の欠片も示さない。


「なかなか面白い推理ね。で、その狙いはなにかな?」

「能力を消す薬を打たせるためです。僕なら薬の副作用を克服する存在になるかもしれない」


 そこでようやく先生がちらと振り返る。瞳には興味の色があった。


「僕の能力は眠っている最中も発動します。その効果が脳機能の自己再生を促し、目覚める成功例になるかもしれない」

「なるほど? でも、それならとっ捕まえて打てばいい」

「脅したり強制という形になればそれこそ僕らが無理に命を絶つかもしれないし、打った後の心身に影響があるかもしれない。だから自発的にこの方法を選ばせる必要があった。生徒会室で僕に美波さんの本心を示唆したのも、僕らに心変わりさせたかったからであると同時に、ですよね?」


 先生はなにも言わず僕を横目で見ている。

 驚きも焦りもなく熱のこもらない視線が、正解なんだということを示している。

 だから僕は聞きたくなった。「分からないのは、あなたが黙っていたことです」


「僕らに利があると誘えば済む話じゃないですか。別に脅す必要はない。なのにあなたは助かる方法はないと一度は僕らを切り捨てた。僕が先生の真意を読まなければ、こうはならなかったかもしれない」

「……まぁ、及第点かな」


 先生はゆっくり立ち上がり伸びをする。


「さっき君自身が言った通り。ようは気持ちが大事だってこと」


 振り返った先生の表情には、シニカルな笑みが浮かんでいた。


「人の愛情や強い想いは、時に奇跡のようなことを引き起こす。そのメカニズムは組織ですら解明できていないが、効果があるなら利用してやればいい。実際、君の精神状態はこれまでにないくらい生に執着するところまで高まったろう?」

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