第25話 王女との約束
おみくじの後も僕らは出店を回って買い食いしたり写真を撮ったりひとしきり遊び、そして解散の流れになった。といっても帰り道は僕一人だけになる。女子三人と次郎はまた彼の自宅に戻って、着物を返さないといけない。
だから、今しか話すチャンスはなかった。
「おっ、車着いたみたいだ。んじゃ行きますか」
家族用のおみやげを持った次郎が先導して歩き出す。女子三人がその後についていく。
「美波さん」
ぴたりと、美波さんは振り向きもせず立ち止まった。
「このあと時間あるかな。少し、話したいことがある」
「……またの機会では駄目ですか。着替えないといけないので」
背中越しの素っ気ない返事に息苦しさを覚える。
でも、めげているわけにはいかない。佐伯とも仲直りすると約束したんだ。
「今がいいんだ」
「ですが――」
「んじゃ、ちゃんと気をつけてうちに戻ってこいよ、二人とも」
先導していた次郎が立ち止まり、僕らに向かって屈託のない笑みを向けた。
「うちの場所はわかるよな孝明? 会長のこと頼んだぜ」
「そうね。歩きにくいし電車も大変だろうから、ちゃんとエスコートするのよ」
佐伯も仲介してくれる。背中越しで表情は見えないが、美波さんの困惑が伝わってきた。
「でも、私だけ後で着替えるのもご迷惑では」
「そんなん大丈夫っすよ会長。うちは気にしないって」
「しかし……」
「それやったらウチがみーちゃんのお着物しまうのお手伝いします」
意外な提案をした星野は、照れつつもはっきりと告げていた。
「最近着付けに興味あって、次郎くんちの教室に習いにいこかなって考えてるんです。こういうんも練習になる思うし」
「え!? 初耳だぞ星野!」
「い、言うてへんもん!」
ぶんぶんと手を振った星野は、こほんと咳払いする。
「せやから、みーちゃんはたっぷり時間かけて戻ってきてもええからね?」
「みゅーちゃん……」
静かに呟いた美波さんは、ややあって重たい溜息を吐いた。
「……わかりました。ではこーくんと一緒に向かいますので、ご説明をお願いします」
「了解!」
元気よく返事をした次郎と、手を振った佐伯と星野が駐車場に向かって消えていった。
姿が見えなくなったところで美波さんがくるりと向き直る。
無表情に近い真顔でじっと見つめられると、物凄く圧迫感があった。近寄りがたい雰囲気に尻込みしそうだ。
(……ああ、なるほど。こういう感じなんだな)
美少女である彼女に男の気配が微塵もなかった理由を、今更に実感する。この雰囲気はよほどの自惚れ屋か鈍感しかアタックできないだろう。
僕が普通に、いやそれ以上に接することができたのは、能力があったからだ。
卑怯な立場だと
だからこそ、強く思う。
これは運命なんだ、と。
「じゃあ、行きましょうか」
「行く、って?」
「こんなところで立ち話は無理でしょう? 確か敷地内にカフェがあったはずです」
美波さんは独りで歩き出す。着物なので歩幅は小さい。
そのゆっくりな歩みに合わせて、僕も参道を戻る。
***
和風な内装のカフェのテラス席に並んで座った僕らは、さわさわと揺れる植林を眺めた。今日は春みたいに暖かくて心地いい。
『お話とはなんでしょうか』
美波さんの声が脳内に響く。幾分か刺々しいが、こうしてテレパスで話しかけてくれたことで思った以上にホッとしてしまった。
「……怒ってる、よね?」
『見れば分かると思いますが』
美波さんは運ばれてきた抹茶を静かに飲みながら答える。ですよね、としか言い様がない。
僕は溜息を吐き、組んだ手の中で親指を動かしながら、言葉を手繰る。
「急にあんな無茶なことを提案して、本当にごめん。ループを繰り返して、辛い思いをしてきた君に……目覚めない姿を見せ続けることがどれだけ酷なことか、僕はちゃんと理解できてなかった」
美波さんは何も言わない。ただ植林を眺め続ける。
「安易に将来の約束をしたことも、無神経だったと思う。そこはほんと、謝ります」
『でもあなたは、考えついた方法を止める気はないのでしょう?』
指摘した美波さんが、ゆっくりとこちらを向く。
『どうしても、薬を飲むつもりなのですか』
彼女の憂いを帯びた瞳に胸の奥がざわつく。
咄嗟に安心させる言葉を投げようとして――僕は口を閉じた。
取って付けたような台詞なんて、その場しのぎでしかない。
「……うん」
言い訳はしない。どんなに取り繕っても美波さんを辛い目に遭わせるのは変えられない。
だったら彼女の気の済むまで罵倒でも何でも浴びるべきだ。
不安と焦燥に苛まれる彼女の、何分の一かでも痛みを味わっておくべきだ。
結果的に振られようとも、僕は最後まで彼女のことを考えていたい。
無言で僕を見据えていた美波さんは、すっと瞼を下ろす。盛大な溜息を吐いて、組んだ僕の手に自分の手を置いてきた。
「世話の焼ける旦那さんですね、ほんと」
「だっ――あいだだだだだっ!?」
驚きの直後に鋭い痛みが走る。目をつむった美波さんが僕の手の甲を指でつねっていた。
それも長くは続かず、彼女はぱっと指を離す。
『では、これでお仕置き終了としましょう』
テレパスを送った美波さんは僕との距離を詰めて身体を寄せてくる。
『身に染みましたか? 一人で悶々とする辛さがどんなものなのか』
美波さんはゆっくり瞼を上げた。そこには苦笑めいた感情が見え隠れしている。
「じゃあ……僕にわからせるために、わざと?」
『色々なものの複合的な怒りですけどね。私に意見も聞かずにやると宣言したこととか、楽しいクリスマスデートの最後に爆弾を放り投げてくるデリカシーのなさとか。もうちょっとタイミングを選べなかったんですかね』
ぐさぐさと言葉のナイフが突きささる。考えてみれば本当にその通りだ。
『それで頭にきて、一人きりの寂しさを味わえばいいんだってあなたを突き放したくなったんです。無視は良くないことだとわかってはいましたが、ちょっと反省してもらおうかなって』
「……ごめんなさい」
うなだれると、美波さんが僕の頭を撫でてくる。『わかればよろしい』
それから美波さんは、寂しそうに目を細めた。
『と言っても、それだけで連絡していなかったわけではありません。私なりにあなたを救う方法を見つけたかったんです。だから一人きりになって、冷静になりたかった』
美波さんは、さっきつねった僕の手の甲を申し訳無さそうに優しくさする。
『でも、どれだけ考えても、見付からなかった。能力者や組織と、以前より選択肢が増えているにも関わらず……むしろ悩めば悩むほど、あなたがなぜこの方法を提案してきたのかが、わかってしまった』
こてんと、美波さんが僕の肩に頭を委ねてくる。行き交う参拝客たちが僕を羨ましそうに見ていた。
『声をかけて欲しいということはつまり、私がテレパスで語りかけることそのものに意味があるのですね。植物状態であっても能力を通じてあなたは声を聞くことができる。それが良い効果をもたらし目を覚ますきっかけになるんじゃないか。あなたはそう考えた』
僕は鼻から息を吐き、小さく頷く。
調べたところ、植物状態の人間の神経系を刺激すると劇的な回復が見込めたという治療結果があった。数少ない症例とはいえ、外部の刺激が良い効果をもたらすのならそれを利用しない手はない。
そして、僕の能力は寝ている状態にあっても発動する。実際の治療とどれくらいの違いがあるかはわからないが、異能という特殊な力は少なくない影響を与えるはずだ。
『現実的な根拠がある、ということはわかりました。ですが、薬で能力が消えていたらどうするのですか?』
「そのときは目覚めるんじゃないかな」
『能力は消えてるけど目覚めもしない、という最悪のパターンだってあり得ます』
わかっている。そもそも僕の考えが間違っていて、一月二十五日に死んでしまうパターンだって否定できていないのだ。
だけど。かもしれない、というだけで選択肢を排除していたらきりがない。
誰も運命のことなんてわかりやしない。
どこかで決心するしかないんだ。
「これが最後のチャンスなら、自分が納得できることを選びたいんだ」
そっと彼女の腰の後ろに手を伸ばして、抱き寄せる。
「美波さんの、いや、僕たちの生徒会に関わった人が最後に提示されたのなら、その縁を選んでみようと思う」
教師とはあくまで隠れ蓑に過ぎなかったかもしれない。
だけど、全てが全て嘘偽りだったとは、どうしても思えない。
僕は、その勘に従うことにした。
『……そうですね。見ず知らずの誰かではなく、最後は私たちの先生を頼ってみるのも、いいかもしれませんね』
そう言った美波さんは、着物の袖に手を入れて小さな箱を取り出した。
それは僕がクリスマスにあげた指輪、を入れていた箱だ。
「この指輪、私には勿体ないくらいに可愛らしくて、とても気に入りました」
口で告げた美波さんが箱を開ける。薬指に嵌まっていた指輪は、プレゼントしたときと同じように台座に収まっていた。
「だから、これがいいです。もっといいものなんて要りません。あなたが目覚めたあと、この指輪を私の指にちゃんと通してください」
震えるのを我慢するような声で、しかしはっきりと、彼女は僕に希望を伝えた。
「それが、私との約束です」
しばらく黙っていた僕は、そっと、箱の上から彼女の手に手を重ねる。
「……約束する。必ず、守るよ」
美波さんは小さく頷く。その拍子に、目尻に溜まっていた涙がぽろりと落ちていった。
***ここから最終回まで毎日更新(8回)します***
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