最終部 僕と王女の終わりと始まり

第1話 王女の真実の続き 上

 ――あなたとの最後の思い出を作るためです。


 その台詞に、まったく動じなかったと言えば、嘘になる。

 自分の中で確信めいた考察はあったけれど、いざそれを現実のものとして受け止めると、やっぱり衝撃の度合いがまるで違った。

 それでも僕は黙って聞いていた。腹の中で渦巻く色んな感情を飲み下して。

 なにを告げられても逃げ出さないように。

 彼女のこれまでの想いをしっかり受け止められるように。

 みっともなく取り乱すことだけは止めようと、誓っていたから。


「……まずは、時系列に沿ってお話した方が良いでしょう」


 短く息を吐いた美波さんは、神妙な様子で語り出す。


「タイムリープ前の私達ですが、文化祭後にお付き合いを始めました。順調に仲を深めながら年を越し、そして一月の修学旅行を迎えようとしていた頃です」


 言われて気づく。そういえば大峰北高校の修学旅行は二年生の一月二十八日からと決まっている。行き先は沖縄だったか。


「私達は修学旅行が待ち遠しくて、一月二十五日の休日も、こーくんと修学旅行準備のための買い出しを兼ねたデートをしていました」


 そこで美波さんが話を区切る。正座した彼女は膝の上で両手を組み、目を伏せる。

 時計の秒針の音だけが聞こえた。

 痛いほどの沈黙が永劫に続くかと思えた。


「あなたは自動車事故に巻き込まれて、私の目の前で死にました」


 彼女は抑揚のない声で、そう言った。


「今でもはっきりと覚えています。血だらけの交差点を。誰かの悲鳴を。さっきまで笑っていたあなたの笑顔が、跡形もなかったことを」


 美波さんの手が、拳に握りしめられた。


「私はただ呆然としていました。錯乱することも忘れ、言われるままに救急車に乗せられて、搬送された病院でじっと座っていました……洋子さんが駆けつけて、あなたの遺体を前に泣き叫ぶ姿を見たとき、ようやくわかったんです。ああ、あなたは死んでしまったんだ、と」


 淡々とした声なのに、寒気がするほど酷薄だった。


「気づけば私は自宅に戻っていました。どうやって帰ったのか記憶は定かではありません。私は無意識に日記帳を開き、あなたが亡くなる前の日時を書いてタイムリープしました。そしてすぐあなたに会いに行き、元気な姿を目にして……泣き崩れました」


 息を切らせた美波さんが僕の前まで来て、涙を流しながら両膝をつく。

 そんな光景が、手に取るようにイメージできた。


「心の底から安堵したんです。私の力であなたを助けられたと思ったから。なかったことにしてしまえると思ったから。それで私はすぐ、二十五日は一日ずっと家に居るように告げました。また事故に遭わないように……でも、次に会ったあなたは、物言わぬ姿になっていた」


 自分の唾を飲み込む音が耳の奥で聞こえた。

 「自宅にこもっていても?」少しの間を置いて、僕はそう尋ねる。


「そのときマンションの塗装工事中だったんです。あなたはベランダに出ていて、運悪く崩れた足場が頭部を強打し……」


 美波さんはそこで説明を止めたが、どういう光景になったかは言われなくてもわかる。


「私は、嘘だと思いました。こんな現実はおかしいって。だからもう一度タイムリープして生きているあなたに会い、今度は絶対に部屋から出るなときつく約束しました。そうすればなにも起こらないだろうって」

「……それでも、ダメ、だった?」


 美波さんはコクリと顎を引く。


「足場が崩れることは確定なんです。ベランダに出なければあなたは無傷ですが、代わりに部屋の窓ガラスが割れてしまう。そうすると事故として大騒ぎになって、あなたは部屋にこもっていられなくなります。仕方なく洋子さんと外で落ち合うことになって……また、事故に巻き込まれる」


 不幸の玉突き事故みたいな話だ。

 そんなことが起こる確率というのは、一体どれくらいのものなんだろう。


「私はまたタイムリープしました。あなたを実家に置いておくことが危険だと考えて、次は私の家に匿いました。今度は大丈夫だろうと信じて――でも、無理でした。私の家は火事に遭い、あなたは命を失った」

「か、火事!?」

「はい。火事は夜中で、家族が目覚めたときにはもう火の手に囲まれていました。あなたは私を逃がすために、崩落した天井の下敷きになって、死んだ」


 あまりにも冗談みたいな展開に、僕はしばし絶句していた。


「で、でもさ。最初のタイムリープの頃、君の家は何事もなかったんでしょ?」

「はい。何度か繰り返した一月二十五日のうち、こーくんを匿わなかったときは火事なんて起こりませんでした。しかし、


 鳥肌が立つ。何だ、それは

 まるで見えない何かに操作されているみたいだ。


「話を戻します……なんとか日記帳だけは確保して逃げ延びた私は、またタイムリープしました。次は防火設備のしっかりしているホテルにあなたを連れていきました。しかしホテルのラウンジでは大がかりな搬送作業が行われていて、近くを通りかかった際に荷崩れが起こりました。あなたはそれを避けた拍子に転倒して後頭部を強打し、脳挫傷を起こして……そのまま」


 今度は火事よりも随分と呆気ない幕切れだ。しかし、転んで死ぬだなんて、万が一の確率だろう。

 美波さんは過去に戻る度、そんな奇跡みたいな死因を目の当たりにし続けている。

 もう、偶然の産物で片付けられるレベルを超えている。


「また過去へ戻った私は、周囲に何もない、誰もいない場所を探しました。見つけたのは、楽器を演奏するために防音設備が施された個室です。そこなら部屋に物もないし、火元もない。私はそこにあなたを閉じ込めて二十六日を迎えることにしました。ですが私が買い出しに出かけている隙に、あなたは倒れていた。ガス漏れと空調設備の不調で起こった一酸化炭素中毒が原因でした。密閉空間にあなたを閉じ込めていたことが仇になったんです」

「そ、んな、馬鹿な」

「そう思いますよね? 私も、そんな馬鹿なって、そのときは思いましたよ……本当に」


 嘲笑の気配が伝わった。

 それは自分に対してなのか、それとも別の何かに対してなのか、僕にはわからない。


「それからも私はタイムリープを繰り返し、あなたを救おうとしました。でも何度やっても、何をしても、あなたの命を救うことはできない。鼻で笑われるように全てが徒労に終わる……いつしか私は、泣き叫ぶことも忘れて、淡々とタイムリープを続けました」


 握られていた彼女の拳が、ふっと力が抜けるように開く。


「怖かったから……運命が変えられないなんて、認めたくなかった」


 夕方に差し掛かっているからか、窓の外からは子供たちのはしゃぐ声が聞こえてきた。

 茜色の光が差し込み、美波さんの横顔を照らす。

 今にも消えてしまいそうなほどの、儚げな影を纏っていた。


「――人の死は決められた日に必ず訪れる。それは運命で、変えられないかもしれない。私はその予測に背を向け目を閉じ耳を塞いで、タイムリープという手段に縋りました。何度目なのかも忘れるくらい過去を繰り返して、自分の考えが誤っている可能性を探しました」

「……」

「うまくいったと思ったときもあったんですよ? 重傷でしたが一命を取り留めて入院することになって……でも、あなたとはそれきりでした。脳死状態になって、このままだと宣告されました。中毒のときを含め、そういうことが三度はあったと思います」

「……」

「本当に色々な試行錯誤をしました。一日や二日戻っても変えられないなら、もっと前の一ヶ月とか、数ヶ月とか、付き合う時点まで遡ったりして、あなたの環境を変えてみたり。それで運命を決める要因が排除できるんじゃないかと……全部、無駄でしたけど」

「君は……どれくらい、二年生の時間を過ごしてきたんだ」

「もう、覚えていません」


 そう答えた美波さんは、とても寂しそうだった。

 胸が締め付けられ、苦しくなる。

 一体どういう思いで彼女は同じ日を過ごしてきたんだろう。

 普通の生活なんて送れるはずがない。訪れる死を前に怯え憔悴し、今度はうまくいって欲しいと願うだけの気が狂いそうな時間を経て――また、打ちひしがれる。


「どれだけ辛くても、何度無駄に終わっても、私はやり直そうとしてきました。でも……あとは、もう、限界でした」

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