第2話 王女の真実の続き 下

「――は?」


 意表を突かれて声が出てしまう。まったく脈絡のない展開だった。


「それは、どういう?」

「文字通り、私はあらゆることを試しました。、も」


 なにを言っているのかよく理解できなかった。

 そんなことをしたところで意味があるとは思えない。

 戸惑いが顔に出ていたのか「馬鹿な試みですよね」美波さんは自虐的に続ける。


「後半の方はもう、手立てがなかったんです。焦った私は、他人との関係も運命に影響があるんじゃないかって整合性のない考えを本気にして……結果は変わりませんでした。あなたの彼女という立場を放棄し、ただ見守るだけで過ごしても、あなたは事故で亡くなってしまった」


 僕は、言葉をかけてあげられなかった。

 本当に追い詰められた人間は、荒唐無稽な理論だろうと自分の都合のいいように解釈してしまうものだ。

 そうなってしまうほど疲弊していた美波さんの感情を、たった今聞いたばかりの僕にどこまで理解できるというのか。


「――たぶんそのとき、張り詰めた糸が切れたんだと思います」


 美波さんはそっとティーカップを両手で持つ。しかし持ち上げることはなく、ただ支えるような格好で固まっていた。


「数ヶ月……その間、私はあなたのそばに居なかった。他の女の子があなたに話しかけているのを、他人のふりをして見ているしかなかった。あなたに話したいことが山ほどあるのに、なにも伝えられなかった。楽しかったことが一人だと途端に色あせた。ずっとずっと寂しくて堪らなかった。泣かなかった夜はありません」

「……」

「そうして最後の日を迎えて、どうして私はあなたのそばに居なかったんだろうと、心底から悔やみました。あなたの告白を拒否した選択が、今までの何よりも辛かった……だから、思ってしまったんです。たとえ別れの日が来ようと、最後のその一瞬まであなたのそばに居たいって」


 最後の方は涙声だった。乾いていた美波さんの頬を、また滴が濡らしていく。


「死が避けられないなら、せめて、その日までの大切な時間を過ごそうって」

「――それで、僕を生徒会に入れることを思いついた」


 ずずっと洟をすすりながら、美波さんが頷く。


「あなたと、一分一秒でも長く一緒に居たかった。生徒会に居てもらえれば前よりもずっとずっと長く一緒に居られる。たくさんの思い出が作れる。私を、見ていてくれる……それだけが、最後に残された希望でした」

「でも、僕との関係は解消してしまう」

「それは――確かめたかったから」

「確かめたかった?」

「もしあなたとの関係が運命で決められているとしたら、もう一度最初から関係を構築してもきっと恋仲になれる。それを私は、確かめてみたかった」


 ドクンと心臓が跳ねた。


「もちろん、絶対にそうだって信じてたわけじゃ、ありません。今度は私から告白するつもりでしたけど、無理でも諦めるつもりで……ただ、もう一度付き合えたら、こーくんとの関係は運命なんだって信じられる。勝手な思い込みですけど、そんな素敵な証拠があれば、もう、最後のときも辛くない」


 僕は、生徒会に誘われたときのことを思い出す。

 あのときの美波さんは僕との時間を得るために無我夢中で、それを悟られないよう本心を隠して、佐伯とも喧嘩するくらい僕を応援して、僕が生徒会に入ることになれば心から喜んで――。

 全ては、納得のいく最後を迎えるために。


「ですが、あなたから告白されて、計画がちょっとズレちゃったんです。本当は夏休み中にいい感じにアプローチするはずで、能力もできるだけ隠し通すつもりでした。あんな急ごしらえの嘘は――」


 美波さんの言葉が途切れる。彼女の持っていたティーカップが転がり、温くなった紅茶が床に染みを作る。

 彼女を抱きしめた拍子に、蹴飛ばしてしまっていた。


「……運命」

「こー、くん?」

「僕も、信じるよ。美波さん」

「っ……」


 弱々しい手が、僕の背中にそっと回された。彼女の熱くなった体温を直に感じる。


『私じゃなければ良かったのにって……こんな弱い人間じゃなければあなたを幸せにできたのかもしれないって、何度も何度も悩みました。諦めてしまう自分を憎みました』


 慟哭のような声が脳内に響く。


『ごめんなさい……こーくん』


 美波さんは背中に爪を立て、僕を強く抱きしめる。


『こんなにも身勝手で、独りよがりなことしかできない私が彼女で……ごめん、なさい』


 返答の代わりに僕は、強く抱きしめ返す。


「うぅ、うぅぅ……! うぅぁぁぁぁっ……!」


 しばらくの間、僕らはただそうしていた。


***


 美波さんが帰ろうとしていた頃、丁度玄関を開けて母が帰ってきた。


「あらあら? 美波ちゃん。遊びに来てたのね」

「お邪魔していますお母様。お仕事お疲れさまです」


 息子の彼女を前に相好を崩した母だが、帰り支度を済ませた様子に気づいて途端に寂しそうにする。「もう帰っちゃうの?」


「はい。あまり長居してもご迷惑かなと」

「そんなことあるわけないじゃない~むしろ息子と二人きりの方が迷惑よぉ」


 迷惑だったのか。大学進学を期に速攻で家を出てやろうかこんにゃろう。


(……いや、駄目だな。来年の一月までだし)


 心中で苦笑する。僕の寿命は一月二十五日までだ。

 そこから先のことなんて考えても意味が無い。

 と、そこで母がすすっと僕に近寄り、小声で耳打ちしてきた。


「ところであなたたち喧嘩でもした?」

「えっ」


 声が上ずってしまう。喧嘩という内容ではなかったが、しかし声を荒げて暴れていたのは確かだ。なぜ気づかれたのだろう。


「い、いや、別になんもねーよ」

「ふぅん?」

『とぼけちゃって。泣いた形跡があるのバレバレなんだけど。美波ちゃんいつもより元気なさそうだしぃ』


 近くにいるせいで心の声が聞こえてくる。

 化粧直しで隠していたけど同性には通じないらしい。しかし元気がないという部分も含めて気付いているとは、この母はたまに鋭いな。


『まぁ険悪な雰囲気じゃなさそうねぇ。寂しいっていう感じ? んふふ青春ねぇ』


 いやそうでもねぇな。

 なにやら勘違いした母は、美波さんの背後に回って両肩にぽんと手を置いた。『ここは一肌脱ぎましょうか』


「美波ちゃん、お夕飯一緒にどう?」

「えっ」


 美波さんが軽く驚く。「いやいや待て待て」僕は即座に引き留める。


「もう帰り支度してるの見てわかるだろ。それに急すぎて美波さんも困る――」

「あ……いえ、私でよければ、是非」


 思わぬ返答に僕は目を瞠る。「わーい美波ちゃんとごっはっんっ! ごっはっんっ!」母がぽーいと仕事鞄を放り投げる。幼稚園児か。


「美波さん、そんな二つ返事で大丈夫?」

「はい。お呼ばれされたことは母に伝えておきます。まだ準備前だと思うので、今すぐ連絡すれば怒られないかなと」

『タイムリープ前にも同じシチュエーションになってます。そのときも問題にはなっていませんので、大丈夫ですよ』


 近づいた美波さんがテレパスでこそっと教えてくれる。

 しかし僕が心配しているのは別のことだ。今日は精神的な疲労が蓄積しているだろうから、ここで無理しないほうがいいと思った。


「さーてじゃあ今日は腕によりをかけて美味しい料理作っちゃうわよ!」

「私もお手伝いいたします」


 美波さんは鞄を置いて腕まくりをしている。もう残る気満々だ。


「あらいいのぉ?」

「ご馳走になるのでこれくらいは。それに夏休み中にお台所を借りていますし、補助要員になれると思います」

「そうだったわぁ。綺麗に使ってくれてありがとねぇ美波ちゃん。では将来のお嫁さんの腕前を披露して貰おうかしら?」


 ギクリとする。このタイミングでなんちゅう爆弾を……。

 ピクリと頬を動かしていた美波さんは「……はい。お眼鏡に適うよう、頑張ります」一拍遅れて無難な返事をしていた。

 平静を装っているが、物憂げな影はちらついている。その変化に気づいたのか母は一瞬神妙な目つきをしたが、すぐにこやかに笑っていた。


 美波さんが電話で親に連絡した後、二人は仲睦まじげに夕飯を作り始めた。完全に置いてけぼりになっている僕は、楽しげな会話の邪魔をしないようダイニングの椅子に静かに座る。

 美波さんは少し前よりも落ち着いていて、母との会話を満喫している。この選択で良かったと思えるくらいには、穏やかな横顔だ。


「やっぱり女の子が一緒なのは楽しいわねぇ。またこうして料理作りましょうね美波ちゃん」

「はい。喜んで」


 美波さんが朗らかに答える。いつも通りに、母に接してくれている。

 その気丈な姿に、鼻の奥がツンとした。


(強いなぁ……美波さんは)


 その点、僕はてんで駄目だ。

 目頭を押さえて、二人に見られないようにうつむく。

 滲む涙を隠れて拭きながら、思う。

 あと何度この光景を眺められるのだろう――と。

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