第3話 王女と僕らの体育祭 上

 文化祭が終わって秋も深まる頃、大峰北高校ではもう一つの大きな行事――体育祭が開催されていた。

 良く晴れた日の金曜日、グラウンドに集う生徒達は赤やら青やら黄のカラフルなシャツに着替えて、色事に一塊となって集まっている。

 僕らの学校は一学年七クラスまである。体育祭ではクラスごとに七パターンに色分けされて、一年生から三年生までの同色がチーム一丸となって競い合うのだ。


 今は一年生男子の障害物競走が行われている。僕は必死に走る一年生や、声援をかけるそれぞれの色の集団をカメラで撮影していく。

 僕が居るのはチームの応援席ではなく、校舎にほど近いテントのそばだ。生徒会は体育祭実行委員や教師の手伝いで仕事を割り振られたり、校内報の撮影といった用事でほとんど応援席に戻る暇もない。

 残念かといえばそうでもなく、僕はこうしてカメラ撮影しているほうが助かっていた。能力のせいもあって、やっぱり集団に混じって応援するのは難しい。中学の頃なんて一人保健室に籠もっていたくらいだ。

 その分、今回はこうしてカメラで活躍を記録する役割があるので堂々としていられるし、やりがいだってある。

 きっと美波さんはこういうところまで計算して、僕を生徒会に誘ってくれたんだろう。


「ううー、緊張してきたぁ」


 すぐ近くから、言葉通り緊張に強張る声が聞こえた。

 次郎はまるで寒さを我慢するように両腕をさすり、ちょっとへっぴり腰になりながらグラウンドを注視している。


「まだ時間はあるし、もうちょっと落ち着けって」

「だってよぉ~」


 次郎の顔は青ざめている。過呼吸になっている僕みたいだ。

 運動や体育にトラウマのある次郎にとって、体育祭という行事はまさに鬱を引き起こすイベントなのだろう。ヘマしたらどうしようとか、失敗して皆を落胆させたらどうしよう、なんてネガティブ思考に陥っている。

 その気持ちが僕にはよくわかった。

 強制的に他人と密着しなければいけないとき。気持ち悪さを我慢できるかどうか、自分のせいで相手を不快にさせないか、そんなことをやたらと心配してしまうのだ。そしてどんどん悪い方向に考えて、気分が落ち込む悪循環に陥ってしまう。


 しかし次郎は逃げずに参加している。休むこともできたはずなのに、こうして皆と一緒に参加している。

 だったら何とか、良い思い出にしてやりたい。僕ら二年生の競技種目、棒倒しは次の次の次でまだ時間があるが、ここで落ち着かないと競技中に最悪のコンディションになってしまう。


「……僕もさ、体育祭は嫌な思い出しかないんだ」


 カメラで撮影しながら話しかける。声援が混ざり合う中、次郎はバツが悪そうにした。


「そう、だよな。お前だって辛いよな。わりぃ、自分のことばっかで」

「いやそうじゃなくて……楽しめないって辛いよなってこと」


 カメラのファインダー越しに見える生徒達は、程度の差こそあれ、皆が熱を上げている様子だった。雰囲気を楽しみ、結果に一喜一憂して、互いに応援し合う。

 彼らはたぶん気付いていない。そんな普通の光景は、余裕のある人間だからできるってことを。

 この時間が早く過ぎるようにひたすら願っているような人種は、とてもじゃないが同じ真似はできない。


「僕らにとっては終わらせることだけで精一杯で、結果に反応することもできなくて、皆と感情を共有することもできない。置いてけぼりだよな」


 カメラを下げて次郎の方を向く。彼は、思うところがありそうだった。


「皆にとってはできることが当たり前だから、ちゃんと終わらせたことなんて当然すぎて、誰も気づかないしわかってもくれない。そういうの寂しいよな」

「孝明……」

「だから、競技が終わって帰ってきたら、お互いによくやったって言おう。無事に乗り切れたなって」


 微かに目を瞠った次郎は、すぐにおかしそうに笑う。「なんだそれ」


「お前は幼稚園児を褒める保母さんかよ」

「僕らはそんなレベルだってこと」

「……はは、言うねぇ」


 苦笑いに変えた次郎は、ゆっくり深呼吸してグラウンドの方を見つめた。


「そうか。そんくらいのハンデを背負ってんだから、無事に終わらせられたら上出来……ってことね。よし、今日はそんな感じでいくか! 情けねぇけどよ!」

「おう、ハードル下げとこうぜ」

「言っとくがお前もだかんな?」

「はは、わかってるって。幼稚園児二人、ちゃんと乗り切ろう」


 次郎はいつものように快活に笑って親指を立てた。これで幾分か緊張が解けてくれたなら嬉しい。


「あ、ちょっとあんた達」


 声がかけられ振り返ると、佐伯と星野、そして美波さんが近寄ってきていた。

 佐伯と星野はピンクのシャツで、美波さんは白のシャツを来ている。ちなみに僕は緑、次郎は黄色だ。


「次はあたしたちの競技だから。ここは二人に任せるわよ」

「わかった。頑張ってな」


 応援すると、すっと美波さんが近寄ってくる。「こーくん」


「前にもお伝えしましたが私の位置はここからちょうど右斜め四十五度です手を振りますのでそれを合図にウインクしてくださいわかりましたね?」

「何の指示だ! ちゃんと競技に集中して!」

「そうよ美波これは真剣勝負よ! あんたのクラスが相手でも容赦しないから!」


 ガッツポーズを取る佐伯の背景にメラメラと炎が燃え上がっていた。今日はスポ根少女になっている。

 完璧主義の佐伯はきっとここでも手を抜かないつもりだろう。それでクラスに軋轢があるかといえば、星野からそういう類の話は聞いていない。どうやら佐伯は昔よりもうまくやっているようだった。


「んー、でも希海。私はそこまで勝敗には拘ってなくて……」

「勝ち続ければ愛しのこーくんにずっとカメラを向け続けてもらえるわよ」

「いいでしょう、受けて立ちます。私のクラスが必ず最後まで残ります」


 美波さんの背後にも炎が生まれる。動機が不純です。

 ていうかのぞみん、なんか美波さんの扱い方うまくなってる。


「そうとなればこうしてはいられません。戻って作戦会議しないと」

「ふっふっふ、いいわねそうこなくちゃ。じゃあまた後でね!」


 二人は颯爽とチームの方へ戻っていく。これは白熱のバトルが期待できそうだ。


「あ、あの……」


 と、なぜか星野だけがその場に残って僕らに声をかけてきた。

 もじもじと身体の前で手を組んだ彼女は、次郎に向かって声を振り絞る。


「ウチ、神様に願掛けしとくから」

「お、おう……?」

「ウチが頑張った分、次郎くんにも伝わるようにって。いっつも足手まといで迷惑かけへんかビクビクしてるウチやけど、今日諦めへんかったら、その分の力も次郎くんにお裾分けしてあげてくださいって、そういう……」


 最後の方は尻すぼみになって消えていく。「じ、じゃあ!」シュタっと手を上げた彼女は恥ずかしげに逃げて去って行った。

 ポカンとした次郎の横で、僕は思わず笑ってしまう。星野らしい、可愛い励まし方だ。


「良かったな。バフかけてもらえるってよ」

「……ったく、お前らほんと、世話好きなんだよ」


 次郎が横を向いて頬を掻く。彼の耳はほんのり赤く染まっていた。


***


 二年生女子の競技、棒引きが始まる。

 この競技はグラウンドに置かれた棒を自陣に多く引っ張って来れたほうのチームが勝利だ。各色組がトーナメント形式でぶつかり、最後まで勝ち残ったチームが最大点数を得るという方式になっている。

 佐伯・星野のいる桃組は一、二回戦と危なげなく勝ち残っていった。どうも佐伯が中心となってチームが一つにまとまっているようだ。

 片や美波さんの白組は、トーナメント形式に設けられたシード権という優遇を獲得する幸運を発揮して一回戦を突破。二回戦でも的確な人数配分や瞬時の撤退合流を行う緻密な計算力で勝利する。これは美波さんの指示っぽい。


 奇しくも決勝は桃組と白組の対戦となった。

 向かい合う女子達に緊張が走る中、ホイッスルが鳴らされる。

 一斉に飛び出すピンクと白の女子。卓越したチームプレイで棒を引き抜く桃組と、劣勢となれば即座に諦め味方に加勢し棒を引き抜く白組。両者の力は互角だった。

 あまりに白熱しすぎて砂煙が舞う。その中からオラアアアアとかくたばれえええとか離せやコラアアアアなんて怒号が響いてくる。僕も含め観戦している男子達は軒並み戦慄した。女子怖ぇ。

 そうして引き抜かれていった棒の数は、両陣営とも同じ本数。つまり――


「残り一本……!」


 次郎が前のめりになる。グラウンド中央に残された棒に両組の女子が全員集い、互いに引っ張り合った。こうなるともう単純に力比べだ。


「あっ」


 次郎が気づきの声を挙げた。視線を辿ると、桃組の誰かが転けているのが見えた――星野だ。

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