第20話 王女のいない間に 上

 放課後になってから、僕は勉強会のために生徒会室に向かった。


(げっ)


 ドアを開けた瞬間、内心で呻いてしまう。

 夕方の生徒会室には一人の女子生徒の姿しかなかった。


「……先に始めてるわよ」

「お、おう」


 声をかけてきた佐伯はノートに目を落としたまま振り向くこともしない。相変わらず素っ気ない態度だ。

 室内を見渡してみる。やっぱり美波さんと星野は来ていない。


「ミューなら日直当番よ」


 きょろきょろしている気配を察してか、佐伯が聞きたかったことに答えてくれた。


「ああ。二人は同じクラスだっけ」


 大峰北高校の二年生は全部で七クラスあるが、佐伯と星野は同クラスだったりする。それも二人が仲良くなった理由の一つだろう。


「美波さんは?」

「声かけたけど、冬子先生に学校説明会の資料を報告してから来るって」

「そっか。三人とも遅れるんだな」

「三人? 太郎丸は一緒じゃないの?」

「なんか教室で友達と話し込んでるのは見た」

「なにそれ。行こうって誘えばいいのに」

「悪いだろ。邪魔したら」

「友達同士でそこ気にする?」


 友達。そう言われたことに、僕の中で新鮮な驚きがあった。


「友達、なのかな」

「違うの? あれだけ仲良さそうなのに」


 固まっていると、そこでようやく佐伯が僕の方を向く。胡乱げな視線だった。


「佐伯は、僕と次郎が仲よさそうに見えるのか」

「……それはなにかの心理テストかしら。もしくはホラーみたいな語り口にしてあたしを怖がらせたいとか」

「いや、いいんだ。忘れてくれ」


 僕は首を振って自分の席につく。佐伯は訝しんでいたが、すぐに勉強を再開した。

 勉強道具を取り出しつつ、さっきの言葉を反芻する。

 僕と次郎は友達と言っていいのだろうか? 確かに他の生徒よりかは仲が良いし気楽にいられる人間だ。

 ただ長年ボッチだったせいで、友達がどういう存在なのかよくわからない。一体どういう付き合いをしたら友達と呼んで差し支えないのだろう?

 それに、表面上の態度だけで判断できない自分がいる。

 美波さんのときは彼女の心を読むことで踏み込むことができた。好意を信じることができた。

 それこそ次郎についても内心を知らない限り、とてもじゃないが友達と言い切ることはできない。

 勝手に友達扱いしていたら、次郎に迷惑がかかるかもしれない。

 だから能力で――いや、やめよう。能力を頼ろうとしてしまうのは僕の悪い癖だ。


「そういや佐伯も、星野とは友達になったんだな」


 何気なく佐伯に聞いてみる。どうやって友達になったのか興味が湧いた。

 手を止めた佐伯は眉根を寄せる。


「改まって言われると違和感あるわね……前と今とでなにか変わったわけじゃないし。気づいたらよく喋るようになってただけよ」

「そういうもんか」

「そうよ」


 ぶっきらぼうに言った佐伯には、ほんの少し照れている素振りがあった。


「ていうか今日のあんたちょっとおかしくない?」

「そ、そうかな? 二人きりだからじゃないかな」

「ふっ……」


 動揺したような声を上げた佐伯は、腕を組んでぎこちない笑みを浮かべる。


「ま、まぁね? 喋れる相手があたししかいないしね? でも無理して話かけなくてもいいのよ?」

「無理してないし、佐伯とはちゃんと喋ってみたかったけど」


 本心調査のことは抜きにしても、同じ生徒会メンバー同士だしちゃんとコミュニケーションを取らねばと考えていたのは事実だ。


「……へ、へぇ、そう。あたしと喋ってみたかったんだ」


 どうしたのだろう。佐伯の目がそわそわと泳ぎ始めている。変なこと言ったかな。

 とりあえず良い機会なことに違いはない。


(どうするかな。佐伯に近づかないと能力は発動しないし)


 僕と佐伯はコの字型に配置された長机の左右に座っている。右斜め前にいる彼女には手を伸ばしても届かない。かといって隣に座るのは怪しまれるというか単純にキモい。


「な、なんか言ったらどうなのよ」


 痺れを切らしたように佐伯が聞いてくる。話しかけるまで勉強してくれてたらいいのに。

 そう構えられると僕もなんと言えばいいのかわからなくなるのだが。


「ええと……佐伯は、LGBTについてどう思う?」


「は?」佐伯は間抜けな声を出した。


「え、それ、話題?」

「まぁ、その。昨日のテスト勉強で見かけたもので」


 しまった。めちゃくちゃ怪しい出だしになってしまった。なにしてるんだ僕は。

 「そんな問題あったっけ?」佐伯は首を傾げる。追求されないかドキドキしていると、佐伯は肩を竦めた。


「社会的に受け入れられるようになってきたのは良いことだけど、個人的にはどうとも。あたしの身近にそういう人がいるわけじゃないし」

「そ、そっか」


 淡泊な受け答えだった。興味はないけど無難に答えておく、的な。

 もうちょっと反応すると思っていた分、肩透かしではある。これは違うということだろうか。

 いや、答えを出すのは早計だ。悟られたくなくて演技しているということもあり得る。


「じ、じゃあさ。佐伯は女の子しか好きになれなくなったら、どうする?」


 この話題まだ引っ張るの、みたく退屈そうに口をへの字にした佐伯だったが「うーん?」一応は考え始めてくれる。


「それはまぁ、辛いかもしれないけど、自分のやりたいように生きるんじゃない? 考えてみたら可愛くて優しい女の子と付き合うのは楽しいかもね。色々理解してくれそうだし」

「たとえば美波さんとか?」

「そうそう、ってなんで美波が出てくんの」

「身近な例のほうがわかりやすいかなと思いまして」

「ふーん?」


 佐伯の訝しむような視線が僕に突き刺さる。くっ、能力なしでの誘導はきつい。

 にしても、この反応はやはり恋愛感情がないのだろうか。

 それとも演技上手なだけ?


(ああもう、裏の裏まで探る癖がついて自分が面倒臭い!)


 判断に支障が出てしまっている。これは直していかないと。

 内心で身悶えていると佐伯は続ける。


「確かにあたしが女の子を好きだったら美波には一目惚れしてるかもね。でも、やっぱりそういう気持ちは想像しづらいな。特別な気持ちあるけど……」


「ん? なに?」最後は小声でよく聞き取れなかった。


「なんでもないわ何でも! とにかくあたしは男が好きだから完全には理解できないっていう話で違うええと、男だったら誰でもいいわけじゃなくて」


 佐伯がおたおたと手を振る。今日はどうにも挙動不審だなこいつ。


「ちょっと落ち着けよ。男が好きなんだろ?」

「言い方に悪意ない?」

「ないない」

「ならいいけど、とにかく見境なくじゃなくてね? 限定された一握りだけの男性だけがいいというか……」

「わかってるって。ストライクゾーンが狭いんだよな」

「待って聞き捨てならないそんなんじゃないわ」

「どっちだよ」

「だってあんたくらいなら許容範囲だし狭くなんて――」

「へ?」

「あっ」


 時が止まった――かと思ったとき、佐伯が頭を抱えて机に突っ伏した。

 「~~っ!」という声なき声が聞こえてくる。

 もしかすると今こいつは、墓穴を掘ったのだろうか。


「……うん。僕は平均的な顔だしな」


 ははは、と空笑いして場を和ませてみる。

 顔を真っ赤にした佐伯が恨みがましい目で睨んできた。作戦失敗。

 佐伯はガバリと身を起こして指を突き付けてくる。


「か、勘違いしないでよね!?」


 漫画以外で使う奴を初めて見た。


「あんたみたいな影が薄くてヒョロっとして女子と付き合ったことなさそうな奴は好きになったりしないし!?」

「まったくごもっともで」

「ごめん違うそこまでじゃないから! 最初は見くびってたけど仕事は早いし誠実だし案外頼りになるし実は楽しい奴ってわかってるから!」


 けなすのか褒めてるのかどっちなんだこれ。

 露骨にテンパっている佐伯は、机に手を置いてうなだれ、ふぅふぅと荒い息を吐く。そしてチラと僕を見る。

 彼女の視線にドキリとした。冷たくあしらう成分はなりを潜め、濡れた瞳が揺れている。


「今更、なんだけどさ…………あのときは、ごめん」

「あのとき?」

「生徒会結成のとき。あたし、結構酷いこと言ったでしょ」


 心を読んだときに佐伯が考えていたことそのものだ。

 彼女は、言うべきか悩んでいたことを、ここで告げようとしている。


「病気の人に対してかなり失礼なことしたって、今では反省してる。本人はそのことで苦しんできたのに、それをなじって、追い出す口実にして……あたしは最低だったと思う」


 既にわかっていたとはいえ、面と向かって言われると改めて驚く。

 あの佐伯が僕に謝るなんて。明日は槍が降るな、これは。

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