第22話 王女への誓い

「さっき言ったけど、死ぬことが必須条件じゃないかもしれないでしょ」

『その根拠に脳死を挙げていますが、医学的には死と認められているんですよ。心臓を動かしているのは自分ではなく機械で、機能復活もありえないんですから。つまり私の経験では一貫してあなたに死という結末が訪れているわけです。死に至るダメージを受ければいい、なんて話には繋がりません』

「そんなの人間側の定義だし、運命が自発的に呼吸してるかどうかなんて細かいこと気にするかな」

『こーくん、そういうのを曲解と言うんですよ』

「美波さんだって運命に聞いてもいないのに断言してるのはおかしい」

『これまでのデータから導く統計的見解です。少なくともあなたの推論よりは信頼度が高いと自負しています』


 僕と美波さんは互いに睨み合う。そうしていると視線を感じた。

 クリスマスツリーの前で彼氏だけが一方的によくわからないことを捲し立てている場面を見れば、誰だって驚くだろう。ただでさえさっきから浮気だなんだと注意を引いているので余計に目立ってしまっている。

 「ちょっとこっちに」僕は彼女の手を取ってツリーから離れ、周囲に人のいない壁際に移動した。


『……安全な方法を考えたほうがいい』


 ぼそりと呟かれた声と共に、美波さんは僕を見つめる。切実さが浮き彫りになっていた。


『たとえ自ら植物状態に追い込んだとしても、結局は脳に重大な損傷が起こり復帰の芽が絶たれるかもしれない。あるいは別の事故が起こるかもしれません』

「僕の仮説が間違っていればね。でも合っていれば、植物状態で時間が経過する。眠りから覚める可能性だってある」

『どこをどう取っても賭けじゃないですか』

「賭けだよ。でもこの方法以外も全部賭けなことに変わりはない。そして、僕としては一番分の良い賭けだと思ってる」

『私は、とても分が良いとは……』


 困惑する美波さんの白い頬を、静かに指先でなぞる。彼女はくすぐったそうに首をすくめた。


「美波さんの気持ちもよくわかる。僕だって組織の、というか冬子先生の行動がなかったらこの考えには至らなかったと思う」

『支倉先生の?』


 僕は考えていることを彼女に伝える。どこかで組織に聞かれている危険性はあったが、別に構いはしなかった。

 というより、辿、むしろ確認できて都合が良いまである。


『つまり、先生はこーくんを誘導するために……』

「と、思う。逆に、そうさせたいってことは、その方法なら運命を変えられる可能性があると先生が考えてることを示してる。僕らには教えていない運命に関する何らかの判断材料があるんじゃないかな。だから先生は生徒会室で全て語った」

『あなたはその思惑を推理し、あえて自ら乗ろうというつもりですか』


 僕は頷く。きゅっと唇を引き結ぶ美波さんには、難色の色が濃い。


『他に、他に方法はないんですか? 考えればもっと別の安全な方法だってあるかもしれないじゃないですか』

「もちろん見付かればそっちに行きたいのが本音だけど、もう一ヶ月しか時間が残されていない。他に見付からなければ、僕はこの方法に賭けようと思う」


 美波さんは長い睫毛を伏せ、神経質そうに指を齧る。『別の、別の何か、必ずあるはず……』必死に考えているのか、そんな思考の声が漏れ聞こえる。


『――そうだ、仮死状態! 確かに人類の技術ではまだ実現していませんが、能力者の力を借りれば安全に仮死状態にして復活させる術があるのではないですか? 能力で運命の力を曲げることはできませんが、あなたを対象にすれば運命が辻褄合わせにその過程を通すかもしれません』


 名案だと思ったのだろう、声は勢いづいている。

 だけど、冷や水を浴びせることだと分かっていても、首を振るしかない。


「僕もそれは考えたんだ。でも多分、無理だと思う。僕を復活させてくれる能力者がいない」

『ど、どうして? 組織にはいるかもしれないのに』

「居ないんだよ、組織には。もし人間の機能を回復させる能力者が居たら、

「――ぁ」


 美波さんは瞠目し、小さな声を漏らしていた。

 落胆は痛いほどわかる。僕だって色々可能性を模索してきた。たとえば"安全に仮死状態にして目覚めさせる"までをワンセットにした能力者がいたら、とか。

 しかし、人体を機能停止にすることと機能復元することは別ベクトルの力だ。僕や美波さんの例からすると、どちらか一方の力だけ備えていると考えたほうがしっくりくる。そして機能復元の方はさっき言ったように、組織にはいない。

 万が一に居たとしても、冬子先生からその存在が示唆されていない以上、一ヶ月の間に会える可能性は皆無に等しい。

 

『……なんで、なんで私は、日記を捨ててしまったの……』


 聞こえてきた悔恨の声と、涙を堪える音が、僕の心に突き刺さった。

 時間がないという言葉を受けての思考だろう。タイムリープを繰り返せばそれだけ考える時間が、試行錯誤の時間が捻出できる。

 しかし美波さんは日記を破棄した。一度諦め、僕と共に死ぬことを選び、退路を断ってしまった。

 もう僕らには、一度きりのチャンスしか残されていない。

 そのことを美波さんもわかっているはずだ。限られた選択肢の中で、生き残る術を見つけ出すしかないということを。

 だからこそ僕は美波さんにこの提案を飲んでもらいたい。

 僕のためではなく、

 この方法だけが、美波さんを生かし続けることができるから。


『……もし、あなたの考えが正しかったとして。その後は、どうなるんですか』


 うつむいた美波さんが唇を噛みしめる。


『今まで薬の投与から起きた人はいないんですよ? あなたも眠ったまま起きないかもしれない。そしたら私は、私は……』

「危ないことは考えないでよ? 君だけが頼りなんだから」


 美波さんがゆっくりと顔を上げる。

 涙に濡れた瞳には疑問があった。「頼り……?」


「ほら、植物状態の人がずっと声をかけてもらったことで回復するって事例あるでしょ。僕が起きるために、美波さんの力が必要なんだ」

「私が、こーくんに声をかけ続ける……」


 吟味するように呟いた美波さんは、しかし、ふるふると首を振った。


『その例はあるかもしれませんが、確実とは言い切れません。それに私があなたに話しかけてたところで、どれほど効果があるか……』

「あるよ、絶対に」


 僕はジャケットの内ポケットに手を入れる。取り出したのは小箱だ。

 それを彼女の前に見せる。


「君がついていてくれるだけで、僕は生きようと思える。たとえ意識がなくたって君の声に応えようとする。眠りにつくことだって怖くない」


 箱を開ける。そこには小さなリングが嵌められていた。小さいながらも宝石がはまったちゃんとした指輪だ。


「こ、れは?」

「僕だけプレゼント貰ってばかりはやっぱりちょっと、ね。それと、これから先も一緒にいるっていう、約束っていうか……」


 指輪を持って、彼女の左手の薬指にはめる。サイズぴったりで内心ホッとした。佐伯に協力してもらってよかった。


「ちゃんと目覚めて、将来もっとちゃんとしたものを用意する。これはその、誓いの印」


 あー恥ずか死ねる。ちゃんと口で伝えるべきとは思ったがさすがに変な汗が出てくる。

 美波さんは呆然としながら、薬指の指輪を眺めていた。


「美波さんとの将来のために、僕は必ず目を覚ますから。そのために手伝って欲しい。僕に呼びかけて欲しい」

「こー、くん」

「頼む、美波さん」


 ぽろぽろとこぼれ落ちていく涙が、イルミネーションの光を受けて宝石のように輝いていた。

 彼女は薬指の指輪をぎゅっと握りしめて、僕の胸におでこをくっつける。


『……こーくんは、いつもこうです』


 美波さんが右手を振り上げ、僕の胸に拳を振り下ろす。弱々しい衝撃だった。


『私に黙って何でも決めて、私を振り回す』


 もう一度上げられた拳が、また僕の胸を叩く。


『結局、あなたは先に進んでしまう』


 彼女の手が、僕の服をギュッと強く握りしめる。


『それが全部私のためなのが、余計に、悔しい』


 最後の声の後、静寂が訪れる。近くからは楽しげな男女の声が聞こえてくる。


『………………少し、考えさせてください』


 僕から離れながら、美波さんがそう言った。


「うん。わかった」


 僕は頷く。その場で決められるような軽い話ではない。美波さんにだって決断の時間が必要だろう。

 僕が手を差し出すと、彼女はゆっくりと手を握ってくれる。

 そうして帰り道を歩く間、彼女の声は聞こえなかった。


 誕生日のデートは終わり、翌日からは冬休みに入った。学校はないが、夏休みのように美波さんが来るものだとばかり僕は考えていた。

 しかし、その冬休み期間中、彼女は僕の家に来なかった。

 こちらからの連絡も一切、返事はなかった。

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