第7話 王女の心の奥底

 投げやりな気分を引きずって生徒会室に入り、椅子に腰掛け天井を眺める。

 ひたすら無気力に、怠惰に、時間だけが経過していく。


(死ぬって、どういう感じなんだろうな)


 美波さんの話だと事故死が大半を占めていた。今回もやはり事故なのだろうか。痛かったら嫌だな。


(美波さん……)


 死ぬ間際は彼女と離れていないと。もう僕の死ぬ姿なんて見せたくはない。

 結局どこかで遺体を見ることになるとしても、少しでも彼女のショックを和らげたい。

 ……だけど、一人で消えていくのかと思うと、たまらなく心細かった。

 最後まで彼女に手を握っていてもらいたいという、愚かで身勝手な自分がいる。

 そんな弱音を吐けばきっと、美波さんは僕の願いを聞き届けてしまう。口が裂けても言えやしない。

 死の前日までに彼女に別れを告げて、最後の日は一人で過ごすしかない。


(それでいいんだ、それで)


 目を閉じ、自分に言い聞かす。

 一度は納得したじゃないか。どんなに考えても悩んでも助かる術は見つからなかったじゃないか。無駄に足掻いて時間を浪費するくらいなら、楽しかった思い出を共有して、美波さんを苦しめるループから彼女を解き放とうと――


 ――もしあなたとの関係が運命で決められているとしたら、もう一度最初から関係を構築してもきっと恋仲になれる。それを私は、確かめてみたかった。


 不意に、自室で聞かされた言葉が蘇る。

 胸がざわついた。虫の知らせにも似た不安に戸惑い、天井を睨む。

 そのときドアがノックされた。


「なんだ、まだ居たの。データは取った?」


 ドアを開けて入ってきた冬子先生が目を眇める。

 「ああ、はい」僕は姿勢を正して答える。もう少し物思いに耽っていたかったが、気分転換はできた。少なくとも、皆の前でいつも通りに振る舞えるくらいには持ち直したつもりだ。

 けれど、立ちあがろうとして、尻が接着剤にくっついたように椅子から離れなかった。


「なにか、浮かない顔だね」


 すると、冬子先生が僕の対面の椅子に腰掛けた。


「悩みでも抱えてるのかな、思春期少年」


 芝居がかった台詞に何度か瞬きをして、僕は自分の頬を触る。


「そんな暗い顔してましたか」

「どっちかというと振り上げた拳を下ろせず困ってる感じ?」


 言い得て妙だった。確かに、理不尽なことに対してなにもできないどかしさと苛立ちがある。

 強引に決定された自分の人生を、僕はまだ完全に受け入れられていないのだろう。


「悩んでるんだったら相談に乗るけど」


 意外な一言だった。僕はまじまじと先生を見つめてしまう。


「ほんとに冬子先生ですか?」

「どういう反応だそれ。あのね、生徒会顧問として君たちを心配するのは当然でしょう? 一応スクールカウンセラーの研修も受けてるし」


 ますます驚きだ。面倒くさがりで、生徒の心のケアなんて適当に受け答えしそうなイメージしかなかった。

 先生は膝を組んで椅子にもたれかかる。聞く姿勢だ。本心から気遣っているらしい。

 相手にせず逃げ帰ってもよかったけれど、冬子先生がここまで珍しい行動をしてくれているので、そこまではちょっと悪いなという気分になってしまった。


「……先生は、自分の寿命があと数ヶ月としたら、どうしますか」


 脈絡もなくそう切り出す。真剣に相談するつもりはなかったので、あちらが呆れることを狙った。

 案の定、冬子先生は「は?」と訝しむ声を上げた。


「いきなりなにを……ああいや、続けて」


 先生は途中で問い質すのを止めた。僕の態度に鼻白み、真に受けるのが面倒になったのかも。だったら遠慮なく続けられる。


「自分には凄く好きな恋人がいるとします。それで、もう助からないとわかったので、残りの寿命までその人と大切な思い出を作ってから死を迎えることにしました」


 淡々と語る間、先生は頷きもせず耳を傾けていた。


「せめて大好きなその人の記憶には、心には残っていたいから……先生だったら、なにを考えて、どう過ごしますか?」


 要領を得ない僕の話に冬子先生は眉をひそめる。


「うーん。答える前にさ、聞きたいことがあるんだけど、いい?」

「ええ、どうぞ」


 ゲームか漫画の話でもしてる? ……なんてことを聞かれるのだろうと思った。


「なんで相手は思い出作りに協力的なわけ?」


 先生の質問は、僕の予想の範疇外だった。


「――えっ?」

「愛している人間なら何とか助けようとするでしょ。励ましたりとか。それもせず相手の死を受け入れて思い出作りに精を出すのは、ちょっとおかしいなって」


 ああ、そうか。僕にとっては美波さんのこれまでの奮闘が前提にあるが、冬子先生からしたら諦めが早すぎると違和感を受けたわけだ。


「不治の病で、どうやっても助からない……みたいな話なんです。これだったら理解できますか?」


 そう付け加えても、冬子先生は「うーん?」と首を傾げる。


「できない、ですかね」

「いやね? 美談だとは思うよ。でも現実の人間ってもっと複雑なものよ。思い出を作るだけで満足するのかしら」


 僕は先生の言葉にキョトンとしてしまった。


「満足……しないでしょうか」

「うん。私が残される立場だったら満足できない。思い出なんてのはいつの間にか薄れて消えてるあやふやなものさ。私ならもっと別の、愛し合った証が欲しい。たとえば子どもとか」


 噴き出してしまう。「こ、子どもって……!」なんちゅう大胆な発想だ。

 しかし冬子先生は慌てふためく僕を生暖かい目で眺めるだけだ。うぶねぇ、とでも言いたげに。

 先生にとっては別に飛躍した話でも何でもないらしい。


(そうか、大人だもんな、冬子先生は)


 自立した女性にとって、子を残すことに現実味があってもおかしくないのだろう。

 でも僕にはまるで実感が湧かない。考えも浮かばなかった。そもそも実行なんてできやしない。まだ十七歳の彼女の人生を激変させてしまうなんて、いくら忘れ形見という綺麗な言葉で着飾っても、許容できる話じゃない。

 彼女にはこれからの人生がある。

 そう、美波さんには未来があるんだ。これから別の誰かを愛し、家庭を築き、歳を重ねていく権利が。


(いや、待て……ちょっと待てよ)


 では、美波さんはなぜ、僕を運命の相手だと確かめた?

 死に行く者との間にそんなことしておく必要あるか?

 踏ん切りが付くと彼女は言っていたが、逆だ。

 運命の相手と信じれば信じるほど失った傷は大きくなる。この先に出会う人が全て相応しくない相手に思えてしまうだろうし、さすがに尻込みしないか。

 僕が悔いなく逝けるように嘘をついたと考えられなくもないが……彼女は真剣そのものだった。自らそう信じようとしていた。

 なぜ?

 僕以外の誰かと付き合う気がなくて、その気持ちを補強するために確かめた、とか? それなら踏ん切りが付くという意味も合っているが……。

 なにか、胸の奥のもやもやとした不穏が、急速に膨れ上がっていく。


「もし相手が思い出に固執するなら、それは悲劇のヒロインとして自分に酔っているか。もしくはその相手と一緒に心中するつもりか」


 先生の言葉に、意識の空白ができた。


「…………は?」


 「別におかしくないよ」冬子先生はけらけら笑う。


「愛する人と結ばれないなら死を選ぶ。そんな文学作品なんて山のようにあるじゃない。ロミオとジュリエットなんて典型だけど、受け入れられてるってことはむしろ共感を呼ぶ心理なんじゃない?」

「いやでも、それこそあり得ないっていうか」

「君はまだ若いから分からないかもしれない。ある種の潔癖さを持つ女ってのもいるんだよ、これが。もう終わりと決めてすぱっと断ち切ってしまえる。そんな女にとっては、最後に綺麗な思い出を作ることもプロセスとして大切なんだ」


 冬子先生の言葉を聞きながら、徐々に鼓動が激しくなっていく。

 さっきの仮説を、真新しい最悪の仮説が塗り潰していく。

 ざぁっと血の気が引き、身体の中心が冷えていく。

 仕掛けられた爆弾を爆発寸前で止めたみたいな、生きた心地のしない感触だった。


「あくまで個人の感想ね。私ならこうするってだけ。それで君はどうしてこんな――」

「あの! すみません急用を思い出しました!」


 椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がり生徒会室を駆け出る。

 スマホを取りだそうとして忘れてしまったことに気づいた。ちくしょう、僕の間抜けが……!


(美波さん……!)


 会わなければいけない。今日中に。今すぐに。


 ***


「やれやれ、忙しないことで」


 無人の生徒会室で独白した支倉冬子は、うーんと伸びをして立ち上がる。

 廊下を覗きに出ると、彼の姿はもう見当たらなかった。


「さて。吉と出るか凶と出るか」


 含み笑いした冬子は、部屋の電気を消した。

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