第18話 王女と僕のクリスマス 上

 十二月二十五日、クリスマス当日。

 駅ビルから少し離れた広場には大きなクリスマスツリーが置かれ、写真を撮る人や、待ち合わせの目印にしている人たちが集まっていた。

 待ち人を見つけられるか一瞬不安になったが、杞憂だった。

 僕の彼女――葛城美波は異彩を放つ人だ。飾り付けられたクリスマスツリーの前にいると、凄く画になるくらいに。だからすぐに見つけられて、僕は彼女に歩み寄った。


「お待たせ、美波さん」

「おはようございます、こーくん」


 声をかけると美波さんが静かに振り返る。今日はダッフルコートの下にタートルネックセーターとロングスカートという出で立ちだ。ロングブーツを履いているのでいつもよりちょっとだけ僕との背が縮まっている。

 そしてもう一つ、いつもと違うことに気づいた。


「あ、これですか?」


 視線に気づいた美波さんが自分の右耳を触った。両耳には綺麗な宝飾品が揺れている。


「母から借りました。ピアスホールは開けていないのでイヤリングですけど……ど、どうでしょう。似合ってますか?」


 美波さんが恥ずかしげに伺うので、僕は笑顔で頷いた。


(よく似合ってるよ)

「どうしよう世界一可愛い大好き一億万点」


 キョトンとした美波さんが、かーっと顔を赤らめ「あ、ありがとうございます」消え入るような声で呟いた後にうつむく。

 ……。

 本音と建前が逆ぅ!

 僕も物凄く恥ずかしくなって目が合わせられなくなった。と、そのとき手に柔らかい感触。


『えへへ~可愛いって褒められちゃった♪ にゃへへへへめちゃくちゃ嬉しい』


 遠慮がちに手を握ってくる彼女の内心の声が尊すぎる死のう。


『あっ、き、聞こえちゃいましたよね。お恥ずかしい』


 照れた様子の彼女は『まずは移動しましょうか!』取り繕うように言って、僕を引っ張りながら歩き始める。彼女の足取りは軽やかで上機嫌だ。


「ええと、じゃあ今日一日、よろしくお願いします」

『はい♪ かしこまりました』


 はい可愛い超可愛い。

 そうして彼女に誘導されつつ、僕は広場の方を振り返る。

 ……あそこにも組織の監視員が混ざっているのかもしれない。運命の日まで僕らの動向は全て筒抜けのはずだから。

 だけど、もはや僕も美波さんも気にしてはいなかった。気持ちの悪い話ではあるが神経質になりすぎても楽しめなくなる。普通にデートするだけなのだから問題もないだろう。

 むしろ、羨ましいと歯噛みさせるほどに、今日を楽しむつもりでいた。


 美波さんに連れてこられた場所はとある施設だった。

 購入済みのチケットを持って会場に入る。そこは広々としたホールで、扇状に座席が設けられていた。入口から段々と位置が下がっていく構造で、例えるなら大学の講義室みたいな配置だろうか。

 そして見上げた天井は円形になっている。照明の類は壁にしかなく、天井は今は黒一色に染まっている。

 これがそのうち、満点の星空を映し出すのだろう。


「プラネタリウムかぁ。一度も来たことなかったな」

『私もです。これまでのあなたとのデートでも来たことがありませんでした』


 確かに僕からは出にくい発想かもしれないな。


「それで、席はどこらへん?」

「あそこです」


 周囲の客に不審がられないよう、美波さんが口で答え指を差す。会場の階段を下りていくと一段と広いスペースがあって、そこには座席とは違う物が置いてあった。

 見た目は貝殻、だろうか。それが口を開けているような形をしている。何だろうと思って近づいていくと正体がわかった。口を開けた貝殻の中にはマットレスが敷かれ、枕が二つ置いてある。

 つまり、寝そべった状態で天井を眺められるシートだ。


「もしかしてこれって」

『はい。カップルシートです』


 美波さんはいそいそと靴を脱いでマットレスに座る。しかし僕は気後れしてしまった。


(ま、マジかぁ……)


 いわゆるカップルシートというのは周囲の視線を物ともしない陽キャカップルのためのものだと僕は捉えている。自分のような陰キャには敷居が高い。

 寝てしまえば貝殻の上蓋で背後の席からは見えないようになっているが、それでも羞恥心がくすぐられる。

 挙動不審に周囲を見回していると、くいくいと袖を引っ張られた。


『どうしたんです? 始まっちゃいますよ?』

「あーっと、そう、だね」


 恥ずかしさに耐えながらこっそりと靴を脱いでそろっとマットレスに乗る。他に客たちがいるのに寝転がるというのもそわそわする。果たして後ろの席からはどう見られているのだろうか。そんなことをつい気にしてしまう。


『……少し、恥ずかしいですね』


 美波さんから声が届く。僕の横で寝そべる彼女は、お腹の上に両手を置いて天井を眺めいた。

 「まぁ、ちょっとだけね?」こういうとき強がってしまうことを男のプライドと言います。


『ごめんなさい、事前に相談しなくて』

「それは大丈夫だけど……普通の席じゃ嫌だった?」

『そういうわけではなくて、ただこーくんとお喋りしながら見たいなって。ここの席なら声を小さくすれば誰にも聞こえませんし』

「ああ、僕が独り言してたら変だもんね」


 普通の座席だと喋りながら見るのは迷惑だろう。美波さんがテレパスにしたとしても僕だけ喋り続けるのは異様だ。

 納得していると、美波さんが更に僕の方へ寄ってくる。


『恥ずかしいですけど、暗くなって映像が始まれば誰も私たちなんて気にしないはずです。だからずっとあなただけ感じていられる。こーくんも、私だけ感じていられる。ね? 悪くないでしょ?』

「……う、うん」


 なぜだろう。今日の美波さんには、いつも以上にドキドキしてしまう。

 そのとき、ブザーと共に場内が暗くなった。解説と音楽が始まり、見上げる先には煌めくような星々が広がる。ゆっくりと回転したり模様を変えながら、様々な宇宙の光景が映し出されていく。とても幻想的で、うっとりするような映像だ。

 ……なのにいまいち浸れないのは、きっと美波さんのせい。

 いま僕の右肩には彼女の頭がこてんと寄りかかっている。サラサラとした感触と甘い匂い、密着した体の温かさでプラネタリウムを堪能するどころじゃねぇ。

 カップルシート万歳、じゃなくて、もうちょっとリラックスしないと美波さんとの会話もぎこちなくなってしまう。

 そう考えていると、早速彼女の声が聞こえた。


『はぁ可愛い。超可愛い。睫毛長いし髪の毛サラサラだしお肌も綺麗。でもやっぱり喉仏とか男の子っぽくてえっちぃ……あああ舐めたい舐めたい吸いたいマーキングしたい』


 ぐりんと横を向くと、いつの間にやら僕を見ている美波さんと目が合った。


「プラネタリウムの感想を聞かせたかったのでは?」

『ええ、そのつもりですが』

「じゃあ僕ではなくプラネタリウムを見よう」

『お気になさらず。こーくんはどうぞ鑑賞を続けてください』

「いやもったいないでしょうが。プラネタリウムを見ろ」

『大丈夫、あなたが星のように輝いていますので』

「僕に見惚れすぎるなよ? ってやかましいわ」


 ノリツッコミしてからはたと気づく。


「もしや至近距離からたっぷり眺められるからカップルシートにした……?」

『わぁすごい綺麗ですね』


 美波さんが急に鑑賞を始める。わかりやすいなおい。

 しかしこれでちゃんとプラネタリウムの方に意識が向くだろう。しばらくはお互いプラネタリウムをゆったりと眺めていた――が、


『はぁ(うっとり)……朝起きたらこーくんが隣で寝ててこんな風に眺められたら凄く幸せなんだろうなはぅぅ考えたら辛抱たまらんぐりぐりして匂いつけたい私のものだってしたい好き好き好き好き好き好き』


 はははこやつめ(真顔。

 油断するとすぐに美波さんはこっちを向いて妄想を全開にしている。

 どうしてもプラネタリウムに集中できないと見える。

 仕方がない、彼女の心の声を黙らせる一発逆転の方法を取ろう。

 僕はぐりんと横を向き、至近距離にある彼女の唇にそっと唇を重ねた。


『ほぎゃっ!?!?!?!』


 案の定、美波さんが狼狽え口元を押さえる。僕はふふんと勝ち誇った後――そっと両手で顔を覆った。

 こちらも極大の恥ずかしさに襲われる自爆技なのを自覚していませんでした。勝負に勝って試合に負けた。


『もうもうもう! 突然でびっくりするじゃないですかそんなことされたら我慢できなくなるじゃないですかもう知りませんからねこうです!』


 美波さんが僕をぎゅーっと抱きしめてくる。なぜか僕は彼女の抱き枕にされた。

 すると美波さんはプラネタリウムの方に視線を向けて


『あ、あれはアンタレス座ですね。夏の空でよく見られる恒星なんです』


 スイッチが切り替わったように解説を始める。

 急だなおい。

 これはあれか、ある程度の欲望を発散したので落ち着いた、ということなのだろうか。美波さんは犬なのだろうか?

 そうして抱き枕のまま彼女の解説を聞いている最中、僕はふと思った。

 もしかすると僕らは、バカップルなのかもしれない、と。

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