第19話 王女と僕のクリスマス 下
プラネタリウムを堪能した僕らは、その後も猫カフェに行ったりショッピングをしたりと充実した時間を過ごした。楽しい時間はあっという間に過ぎて日も暮れる頃、『そろそろディナーにしましょうか』と告げた美波さんによって、僕はとある高層ビルに連れて行かれた。
駅ビルと直通の回廊で繋がれたその高層ビルは、下層階にショッピング施設が、上層階にはホテル施設が入っている。そのホテル施設では展望階の他にレストランやオシャレなバーも運営されている。
大人向けのお洒落空間なので、当然の如く僕は一度も足を踏み入れたことはない。一介の高校生には縁遠い場所だった。
しかし今日は、着飾った大人達に混じって美波さんとエレベーターに乗り、レストランのあるフロアを目指している。目的階に到着する頃にはガチガチに緊張していた。
情けなく美波さんに手を引っ張られてレストランに入る。上品な雰囲気の店内で、テーブルも椅子も高級感が漂っていた。
「予約していた葛城です」
「お待ちしておりました。ご予約の葛城様でございますね。どうぞこちらへ」
にこやかなウェイターに通されたのはビル壁面の席で――あまりの光景に僕は圧倒されてしまう。
全面ガラス張りの壁からは眼下の街並みが一望できた。夜景が物凄く綺麗で、溜息が出るほどだ。
ぼーっとしているとウェイターの男性が「コートを」と手を差し出してくる。慌てて脱いでいる僕とは対照的に、美波さんは優雅な仕草でコートを脱いで渡していた。
「ではごゆっくり」
ウェイターは一礼して去って行く。美波さんはやはり顔色一つ変えず席に座る。僕もつられて座る。目の前にはナプキンのみ。美波さんがナプキンを膝に置いていた。僕も真似する。
……次はどうするんだ。
「え、ええと、メニューもらう?」
「事前にコースを頼んだので大丈夫ですよ」
「そ、そう」
相づちを打ちながら、周囲を見回す。店内には大人のカップルだらけ。家族連れがほんの少しいるくらいで、高校生ほどの若いカップルは僕らだけだ。
認識すると余計に緊張する。悪目立ちしていないだろうか。
「どうしたんですかこーくん」
レストランかつ能力発動距離から開いているため、美波さんが口で聞いてくる。しかし僕が答える前に「あ、わかった」と美波さんは手を打った。
「ちょっと高価な雰囲気ですもんね。大丈夫ですよこーくん、クリスマスのカップル用特別メニューで、一品少ないですけど普段より安めなんです」
「な、なるほど?」
どうやら値段を心配していると勘違いされている。確かにそっちの不安もあるにはあった。美波さんのことだから高校生の身の丈にあった金額なのだろう。
「それに私が支払うので問題なし」
「うんわかっいやいやいやいや問題あるよ駄目だよなに言ってんの!?」
慌てて手を振ると美波さんが小首を傾げた。
「駄目なんです? こーくんの誕生日お祝いなのに」
「駄目です! 例えそうだとしてもこういう日にこういうところに来て男が一銭も支払わないのはおかしいよ。むしろ全額僕が払ってもおかしくない」
「私たちは経済力が同等の高校生なんですから、男性が持つべきという理論は適用できないと思いますよ。そもそも私にはあまり馴染まない考えですけど」
冷静に突っ返されるがそういう問題ではない。これは男の面子でありプライドの問題なのだ。ただでさえプラネタリウムのチケットを準備してもらっているのに、これ以上の甘えは許されない。
僕はこっそり自分の財布を確かめる。うん、いつになく万札が一杯。私物をたくさん売ったので資金が豊富だった。本当は母に残そうとしたのだが、ここで役立ってくれるなら本望である。
「とりあえずここは僕が持ちます」
「えー。そういう格好つけよくないです」
「か、格好つけではなく男気というか」
「見栄っ張りは似合いませんよ」
「誠意です、誠意。デートプランを考えてくれた君への」
「無理して奢られても嬉しくないです。楽しんでいただければそれで十分」
「君も頑固だな……凄くいい彼女さんだなって思うけど、でもこれは僕の信条っていうか、譲れない部分だから」
目をぱちくりとした美波さんが急にそわそわと揺れ始めた。しかしウェイターが前菜を運んできたのでスンと素に戻る。
「そ、そうですか、いい彼女ですか…………ふーん」
美波さんは野菜のムース仕立てをフォークで切り、そっと口に運ぶ。さっきまで寒さで余計に白くなっていた彼女の頬は、赤みを取り戻していた。ほうほう。
「こんなに最高の彼女は他にはいない。僕は世界一幸せ者だ」
「こっ、こんなとこで……も……もういいですから」
美波さんは今度は前髪をいじりだす。恥ずかしさのあまり目線を隠している。ふふふ、愛いやつ。
ちなみにウェイターからは『いいねぇ青春してて』なんて微笑ましげな心の声が聞こえてくる。美波さんをからかうためとはいえちゃっかり聞かれていたようだ。微塵も顔に出ていないところはさすがプロというところか。
「もうっ、私で遊ばないでくださいっ」
「はは、ごめん」
「ほんとあなたの頑固は筋金入りなんですから」
「頑固さでは君もなかなかだと思う。でもここは僕の勝ちってことで」
「後悔しても知りませんよ?」
「君に支払わせた方が後悔するっての」
そう言うと美波さんが「ん」と手を差し出してきた。握れ、ということか。僕はそっと手を重ねる。
『腹立たしいですが今とっても嬉しいです。ありがとうこーくん。心の底から大好き』
美波さんが僕の手のひらを愛おしげに擦りながら幸せそうに言う。僕は満足して頷く。ここで有り金を全部出しきったとしても別に惜しくはない。
残していたところで、どうせこの先ずっと使えないのだから。
それからスープが運ばれ、メインディッシュのチキンと続く。本当だったら間に魚料理が来るらしいのだが、そこが一品省かれているところのようだった。
説明してくれる美波さんの所作はやはりスマートで、いちいち迷ったり興奮したりすることがない。むしろ慣れている感じもあった。
「そういや、よく予約できたね。窓際の席とか争奪戦になるはずでしょ」
「実は私、ここでの食事は初めてじゃないんです」
フォークを置き、ナプキンで口を拭いながら美波さんが答える。僕が感じていた慣れの部分は、どうやら当たっていたようだ。
「このお店のオーナーと父は銀行員時代から付き合いがあるようでして、家族で来たことがあるのです。今日のこともそのツテで頼みました」
さらっと言っているがなかなかの爆弾発言だ。僕は咄嗟にレストランを見回してしまう。事情を知っているあのお義父さんなら、娘のためにこの場に潜むなんてことをやりかねない。
しかしお義父さんの姿は見当たらなかった。さすがにそんな露骨なことはしないか、と安心しかけて、あの人なら旧知の仲のオーナーとやらに様子を探らせそうだと気づいてしまう。
厨房へ続く通路の方を見ると、髭面の筋肉質の男性がこっそり僕らの方を覗き見ていることに気づく。彼は僕が向いた瞬間に隠れた。
的中かよお義父さん……。
『どうしました? ……もしかして、組織ですか』
「え!? あ、ち、違うんだ」
美波さんが手を重ねて聞いてくるものだから、僕はすぐに首を振る。お義父さんが僕らを監視してるなんて言ったら速攻でここを飛び出しかねない。
「よ、よくお義父さんに頼めたね」なんて僕は誤魔化すために話題を変える。
「嫌でしたよ、父を頼るのは。実際に面倒なことがありましたし」
気分を害したように美波さんはため息を吐く。ここに来るまで紆余曲折あった感じだ。
「でも、ここは数少ない良い思い出の場所だったので。次に来るときは、大切な人と一緒がいいなと思っていたんです。チケットは争奪戦だったので背に腹は替えられません」
「そっか……」
チクリと胸の奥が痛む。
家族との綺麗な思い出の場所に、自分の大切な人を連れていきたい――その願いも、選ばれたことも、とても嬉しく思う。
だからこそ僕は、うまく笑うことに苦心した。
そんな大切な場所を、辛い感情を想起させる場所に変えてしまわないかだけが、心配だった。
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