第8話 王女と僕らの夏合宿 上
夏本番の暑さは、たとえ木陰に居てもちっとも軽減されないものだ。
グラウンドの隅で作業する僕を含めた生徒会メンバーは汗だくだった。体操服に着替えていても気休めにしかならない。いつもは涼し気な様子の美波さんも、額から汗を流してため息を吐いている。
僕らは今、ブルーシートに置かれた大きな看板を五人がかりで塗装していた。
この看板は文化祭当日に校門で飾るためのものだ。文化祭のステージ設営などは文化祭実行委員の領域で生徒会は手伝いをするだけなのだが、この看板だけは代々の生徒会が作ることになっている。
例に漏れず当代の僕らも看板製作に取り組んでいるわけだが、今日は猛暑日という予報どおりの炎天下で、ペンキ塗り作業は過酷だった。
「あっづいわねぇ」
「外じゃなければええんやけどね」
「塗装作業じゃねぇ……」
中腰の星野と佐伯が苦笑いする。彼女らが着ている体操服の首元は汗でぐっしょりと濡れていた。
佐伯が胸元をぱたぱたと動かす。ちらっと見えた鎖骨、そこから下の白さに僕はドキリとして、慌てて目をそらした。
『いま見ましたか』
隣で塗装している王女から鋭い声が突き刺さった。
僕はぶんぶんと首を振る。一瞬だけ暑さが遠のいた気がした。
「なぁみんな」
次郎に呼ばれ、皆が彼の方を向く。顔面汗まみれで体操服もぐしょぐしょになっている彼は「服を脱いでもよろしいか」と、深刻そうに切り出した。
「はぁ!? ちょっと女子もいるんですけど」
「上だけならいいんじゃないか?」
「トランクスだしいいよな」
「下もかよ!? 下着はまずいだろ次郎!」
「いいや限界だ脱ぐね!」
次郎が服の裾に手をかけ「ひゃぁ」星野が両手で顔を隠し「やめんかぁ!」佐伯が蹴りを入れて阻止していた。日陰から出てしまった次郎は「うあああ陽の光があああ」と叫びごろんごろんする。お前は吸血鬼か。
『あわわわわどうしよどうしよ次郎くんの乳首が乳首が見えてまう乳首があああああ!』
目を隠したままの星野が僕の能力発動領域に入って錯乱気味の声が聞こえてきた。
なぜそんなにピンポイントなところで恥ずかしがっているのだろう。
『うーん。こーくんも脱いだらと提案したい、でも希海たちに彼の裸を見せたくない、でも見たい、うーん』
腕組している美波さんからはまったく別次元の悩みが聞こえてくる。
ほんとなんなんだこの生徒会は。
「ほら遊んでないで! 今日中に終わらなくなるぞ!」
ぱんぱんと手を叩いて促す。皆はのろのろと作業に戻り、次郎もげんなりしつつ塗装作業を再開する。集中が途切れる気持ちはわかるが、この暑さの中で作業を引っ張りたくはない。
そうして手を動かしていると、次第に皆の口数が減ってきた。暑さと疲れ、鼻の奥がツンとする塗料の匂い、そういった負の要素で楽しい気分はもりもり減ってきている。隣にいる美波さんや星野の声も聞こえず、無心になっていることがわかる。ただただ終わらせたい一心で手を動かし続けているのだ。
それでもゴールは見えてきた。看板は鮮やかな色合いになり、星野と次郎が描くイラストで彩られ、どんどんと見栄えが良くなってきている。
「ミューはともかく、次郎も絵心あるとか意外だったわ」
「へへ……いいだろ……」
息も絶え絶えの次郎は自慢すらも満足にできなくなっていた。お労しや。
「希海ちゃんが描いたんはタコ?」
「犬よ!」
星野が佐伯にぐりぐりされる横で、美波さんは熱心に看板を見つめていた。
「……うん、いいと思います。あとは文字を書くだけですね」
「誰が書こうか」
「それは書記の役割ですよ、こーくん」
びっくりして固まってしまう。しかし美波さんの意見に星野は首肯し、佐伯も「ちゃっちゃと書いちゃいなさいよ」と促してきた。次郎なんてもはや出番は終わったと言わんばかりに木陰でぐでんと寝転んでいる始末だ。
少し迷ったが、ここで押し付けあっても時間がもったいない。
僕はハケを手に取り、黒のペンキにつけてから看板をまたぐ。
そうして、震える手をなんとか制御しながら、文字を書いていく。
「大峰北高等学校文化祭、っと……これでどうかな」
「おおー、上手やね」
「いいじゃん。ねぇ美波」
「はい。さすがこーくん」
女子三人に褒められるとまんざらでもない気分だった。
それから皆で看板を遠巻きに確認したりスマホで写真を撮ったりして最終確認をする。うん、悪くない。
「いよいよ文化祭って感じね」
木の幹に立てかけた看板を眺めながら、佐伯が楽しげに呟く。同感だが、彼女とは違って僕はふわふわした感触を伴っていた。
一年生の頃はクラス企画を少し手伝って、文化祭当日は時間をつぶすだけで終わった。それが今年は文化祭の主催側に回るだなんて、あの頃の僕が聞いたらどんな顔をするだろう。
「はぁぁ終わった。早く中に入ろうぜー」
次郎はペンキ類を片付けながら犬のように舌を出す。猫背になっていて熊みたいだ。同じことを思っていたのか「くまさんみたい」と星野がおかしそうに微笑していた。
「お疲れ様でした次郎さん、皆さんも。休憩にしましょう。生徒会室にアイスを用意してありますから」
「ひゃっほーさすが会長! そこに痺れる憧れるぅ!」
美波さんを褒め称えた次郎は、まるでギャグ漫画のようなノリと早さで去っていった。
皆で水道で汚れを落とし、ついでに顔を洗ったり喉を潤したりしていると、カキーンという小気味の良い音と野太い掛け声が聞こえてきた。グラウンドでは野球部員たちが練習を行っている。この暑い中での頑張りは率直にすごいなと思う。
校内に入っても、蒸し風呂のような籠もった熱気が漂っていた。夏場はほんと勉強する環境じゃない。
「そういや、学校の夜ってどうなんだろな。無人だけどなんか暑そうじゃね」
皆で生徒会室に向かっていると、次郎がそう疑問を呈した。
「どうなんやろね? 窓は締め切ってても、だだっ広いから案外涼しいんやないかな?」
「でもなぁ、こんなに暑いと変わんねぇ気がする。あっ、プールって水張ってるよな」
「やめておけ」
僕が即座に否定すると次郎が口をへの字にする。「まだなにも言ってねぇだろ」
「最近の学校は警備会社のシステムが入ってるから一発でバレるぞ」
「……お前は心が読めるのか」
読めるけど、読まなくてもわかるってだけだ。
「気持ちはわかるけどさ。夏休み中に学校のプールに忍び込むとか憧れる」
「だよなー?」
「普通に住居不法侵入じゃん。そこまでするなら民間のプールいきなさいよ」
「わかってねぇなぁのぞみんは。男のロマンってのがよ~」
「男が馬鹿ってことはわかったわ」
「ところで学校のプールに侵入しても更衣室は施錠されているのですが、着替えはどうするのです? あらかじめ着ておくとか?」
「んなもんパンイチかスッポンポンっすよ」
「やっぱ男って馬鹿なのね」
「こ、こーくんが生まれたままの姿で泳いでくれる……!」
「チャンスとか思ってたらやめてください」
「ま、普通に無理っすよ会長。冬ちゃんが許してくれねぇから」
「ウチらが使えるんは寝場所の他に家庭科実習室とシャワー室だけやもんね」
「世知辛い世の中だぜ」
「合宿だから当たり前でしょ」
「わかってねぇなぁのぞみんは」
やれやれと次郎が首を振る。その気持ちもわかるのだが、話題がループしそうなので苦笑いだけに留めておいた。
今回、生徒会メンバーは夏合宿として高校に一泊することになっている。名目としては文化祭に必要な準備を進める他に、部活動の取材をしたり教師とディスカッションをするという生徒会活動の一環として実施される。誰が始めたのか知らないが、生徒会で連綿と続けられてきたイベントだ。
なので遊びではないのだが、学校に泊まるからには普段できないことをしてみたい、という好奇心が芽生えるのも当然だった。
「はぁ。夜は涼しいことを祈るしかねぇか」
「やけに気にするわね。エアコン使えるじゃん」
「でも電気代の節約とか言って時間制限あるだろ? 夜中はかけっぱなしで寝てるからよ~」
それでさっきから暑さを心配しているわけか。確かに寝泊まりする場所のエアコンは僕らでは制御できない仕組みになっている。
次郎は頭の後ろで手を組んで「涼しくなる方法ねぇかな」と呟く。
僕はちょっと考えてみた。使える部屋は限られ、物理的な手段もほぼない――となると、精神的に涼しくなるしかなさそうだ。
「そんなに心配なら、涼しくする方法を試してみようか」
「おっそんなんある? ってかセキュリティは大丈夫なのかよ」
「問題ない。皆で部屋に集まるだけのお手軽さだ」
「へー。なによそれ?」
「怪談話」
「あ、なるほどです」「季節にピッタリやね」美波さんと星野が関心したように頷く。
逆に次郎と佐伯の反応がない。というか気配もない。
振り返ると、二人は真顔で立ち止まっていた。
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