第7話 王女のうっかり 上

「では本日はここまでにしましょう。今月もお疲れさまでした」


 美波さんが資料の束をトントンとまとめながら告げる。

 コの字型の机に並んで座っていた僕らはその一声で仕事モードを解く。六月最終週の定例ミーティングは時刻通りに終わった。

 が、この日の美波さんは更に続けた。


「あと皆さん、来週から期末テストが始まります。お伝えしていた通りテスト期間中の定例ミーティングは中止にいたします。テスト勉強の方を頑張りましょう」

「そういやそうだったわね~」


 帰り支度を始めている佐伯が興味なさそうに反応していた。

 なにか意外だ。生徒会の仕事と同じくらい勉強も真面目にこなすタイプだと思っていたのだけど、いやに淡泊だな。

 

「希海ちゃん、学年十番台やもんね? ええなぁ、頭良くて」


 佐伯の隣に座っていた星野が遠慮気味に声をかける。佐伯はムッとしていた。


「なによミュー、それ嫌味?」

「ち、ちゃうよ。勉強できる人はきっと日頃から準備万端で、余裕なんやろうなって、感心してたんです」

「余裕なんてあるわけないじゃん。しっかり勉強しないとあっという間に成績落ちるし。ってか余裕そうに見えた?」

「う、うん。なんか焦ってへんなぁって」

「そう。でもやることは変わんないし、今更焦ったってさ。むしろ憂鬱だからあんまり考えたくないってだけ」


 肩をすくめた佐伯はちらと美波さんに目配せしている。なにか含みのある視線だ。

 ところでこの二人はいつから名前で呼びあう仲になったのだろう。僕が美波さんのことにかまけている間に、いろいろ進展があったかもしれない。まぁ、星野が一番話しにくそうな相手に慣れてきたのは喜ぶべきことだろう。


「憂鬱というのは、少しわかるかもしれません」


 帰り支度を進めていた美波さんが話に割って入った。佐伯が「へぇ」と軽く驚いたように呟く。


「学年一位でもそう思うんだ。それって一位を維持するプレッシャー?」

「私は別に一位にこだわっているわけではありませんよ、希海。一人で机にかじりついて勉強しているのはやはり苦しい時間ですから」


 実感のこもった台詞だった。そういえば美波さんは、タイムリープに目覚める前はだいぶ厳しい教育方針を強制されていたと言っていた。いくら秀才でも、テスト勉強自体に好ましい感情がなくて当たり前かもしれない。

 などと考えていると、美波さんが僕の方をチラ見してくる。二人きりでいるときのような、感情の熱がある眼差しだ。

 ……うーん? 僕と一緒にいられないから憂鬱だなーとか考えていたりして、ははは。

 ありうると思えるのが怖い。


「でも希海、終わればすぐ夏休みですから。それまで頑張りましょう」

「そう、そうよね? 夏休みといえば」


「海に祭りに夏フェス!」と次郎。

「生徒会活動ね!」と佐伯。


 二人の声が重なって、二人同時に「いやいやいや」と手を振った。


「遊びだろ普通!」

「なに言ってんの夏休みだって仕事があんのよ生徒会は。文化祭の準備しなきゃだし、それに合宿だって計画してるじゃない」

「でもそれ学校に泊まって雑用するだけだろー?」


 次郎と佐伯が話題に出しているのは、今年の生徒会で計画している「生徒会合宿」のことだ。

 といっても遠方まで出向いてどこかの宿に泊まるような大掛かりな話ではない。僕らが泊まるのはこの大峰北高校だ。夏休みにわざわざ学校に泊まり込んでなにをするかというと、不便なことはないか見て回ったり、教師の手伝いや部活動の見学をしたり、文化祭の準備を進めるといった、まさに生徒会らしい予定がてんこもりになっている。

 普通に考えれば待ち遠しいなんて内容とは程遠く、次郎がつまらなさそうな反応を示すのもわからなくはない。


「孝明も夏休みって言ったら遊びだよな? な?」

「ま、まぁね」


 同意を求められて思わず頷いてしまったが、実のところ僕は次郎よりかは夏休み合宿が楽しみだったりする。

 なぜなら合法的に、美波さんと一緒に寝食を共にできるイベントなのだ。ほかの人間がいるし高校というロマンの欠片もない場所なのが残念なところだが、やはり嬉しいものは嬉しい。


「それだけじゃつまんねぇんだよなぁ……そうだ、生徒会メンバーで夏休みどっかいかねぇ?」


 次郎が突然そう発案した。

 「むっ」と美波さんが身構えるように呟き、「ええ」と星野が怖気づいたように反応し、「メンバーで?」と言った佐伯の目がキュピーンと光っていた。


「いいわねそれ。面白そう」

「仕事で忙しいんじゃないのか?」


 思わず僕が突っ込むと「息抜きは必要よ」と佐伯は悪びれもせず言い返してくる。それから「いいんじゃない美波?」と次郎の後押しをしていた。その顔はどことなく楽しそうというか、それこそ夏休みを待ち焦がれるような無邪気さの片鱗がある。


「そう、ですね」


 顎に手を添えて考える美波さんは、そこで僕に目配せしてきた。この距離では心が読めないが、なにか意図があってのアイコンタクトだろう。

 おそらく『こーくんと二人きりで遊ぶ時間を優先したいのですが、どうしましょう?』という問いかけか。

 なので僕は『僕もそう思うけど、生徒会も大事だから』という意思を伝えるため、ちらちらと皆の方に目配せしながら咳払いする。

 しかし、こんなときでも僕とのことを気にかけてくれるなんて、なんていじらしいのだろう。夏休みは美波さんとたくさん過ごそう、絶対。


「……いいかもしれませんね。私も、このメンバーで遊んでみたいです」


 意思が伝わったのか涼やかに答えた美波さんは「みゅーちゃんはどうです?」と星野に振る。


「はぇ、あの……なんやちょっと、恥ずい、ですけど」

「なんで恥ずかしがるのよ。あたし達といるのヤなの?」

「う、嬉しいよぉ。でも、みーちゃんさんや希海ちゃんと一緒は、度胸がいるっていうか」


 その言葉に美波さんと佐伯が首を傾げていた。

 僕はちょっとわかる気がする。美波さんや佐伯はやたらと目を引く容姿をしているし、どこにいても堂々と振る舞う。そこに陰キャの自分が一緒に居て場違いじゃないだろうか、笑われないだろうか、という不安を抱いているのだろう。

 少しフォローしたほうが良いかなと思ったが「よくわかんないけど」佐伯が星野の肩に手を回した。


「ミューも仲間なんだし、一緒にいるのが当然でしょ」

「……うん、ありがと」


 うつむき気味で照れ笑いする星野に、佐伯が歯を見せて笑い返す。


(割と姉御肌なんだな、佐伯って)


 引っ込み思案な星野とぐいぐい引っ張るタイプの佐伯の組み合わせは、何かとうまく回るのかもしれない。できたら僕に対する辛辣さも控えてくれると嬉しいのだけどなー高望みかなー。


「みんなオーケーならどこ行くか決めようぜ!」

「まずはテストのことを考えたほうがいいと思いますよ、次郎さん」

「ああ……そうだった、来週から期末テストかぁ」


 話の腰を折られた次郎は、頭の後ろで手を組んで天井を見上げる。面倒そうではあるが、こちらも緊張感がない。


「もしかして次郎も成績優秀で余裕なタイプか?」

「はっはっは。なにを隠そう中の下だ」


 最初から諦めているので緊張感もクソもないパターンだった。


「そういう孝明はどうなんだよ」

「中の上くらい」

「似たようなもんじゃねぇか」

「向上心はある……つもり」

「孝明くんは勘違いのミスが多いのが玉に瑕ですね。ちゃんと問題文を読めばいい点数を取れるポテンシャルを秘めているのですけど」


 話に割り込んできた美波さんの言葉に、次郎も佐伯も星野もポカンとした。


「美波、どうして才賀のテスト内容なんか知ってるの?」

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