第35話 王女だけには任せない 下

『やはりあなたは賢い人ですね。そういうところ、本当に尊敬します』


 彼女が褒めてくれても、僕の心は一ミリも動かなかった。それどころかあらゆる感情が雪崩れ込んできて、胸の内はマーブル模様みたいに揺れ動く。

 美波さんの力はタイムリープ。過去をやり直すことができる。

 つまり美波さんは、最悪の結末も一度やり直したんだ。

 おそらく足立少年と千晶の仲違いを回避するために病院へは寄らず、結果的に警察沙汰も起こらないという未来を作り出した。


 問題は、ここからだ。

 彼女はどうやら、このとき修正した過去より。だから足立少年の修正した過去も消えた、というより、まだ起きていないことになってしまった。つまり、二度目の体験をしている最中といえる。

 なぜそんなことになっているのかさっぱり理解できない。あまりに不可解すぎて質問を浴びせたいが……たぶん、今は聞いても無駄だろう。

 わかっているのは、彼女が前回の成功体験をもう一度なぞろうとしていることだ。

 しかしそこには一つ、大きな問題が残されている。


『というわけで、私は足立くんと一日デートをします。偽彼女なんてことには付き合えないけれど、悩んでいるなら相談には乗る、という体で相手をします。それで前回はうまくいきました』

「……」

『彼は私に悩みを打ち明けることで、ある程度気持ちを整理できたようでした。それからは先程説明したとおりのことが起こり、足立くんとはそれきりでしたが、元気に学校へ通っていたと聞いています』


 なにも言わないでいると、美波さんはアイスコーヒーのグラスをテーブルの隅に置き、紙ナプキンで軽く口元を拭いていた。そろそろ店を出る、という合図だろう。


『既に感づいているとは思いますが……私は、あなたをこの件に関わらせたくありませんでした。心が読めるあなたは、足立くんと接触することで彼の事情を察してしまうかもしれない。万が一にも関わってしまったなら、今度はあなたが最悪の結末を辿ってしまうかもしれない。私はそれが怖かった』


 それは既に気づいている。だから課外授業のとき不自然なまでに言葉少なで、僕を遠ざけようとしていた。


『こうして私の秘密を打ち明けることは計画外の出来事でしたが、あなたを駆り立ててしまったのは私の責任。ですから、この件に関してだけは先に打ち明けました。色々とスッキリしないとは思いますが、後日の説明は約束しますので今日のところは――』

「質問がある」


 彼女の声を遮ると、美波さんは丸い目をぱちくりさせた。


「前回のとき、僕は関わっていた?」


 聞くと、躊躇いのような間を置いて、答えが返ってくる。


『……いいえ。そもそもあなたは生徒会の役員でもありませんでしたから。詳しくはまだ伏せますが、私たちが互いの能力を知ったのはもう少し先のことです』

「やっぱりな」


 生徒会の役員でもなかった、という新事実は割と衝撃的だったが、僕はそれを顔に出さないよう努めた。


『やっぱり、とは?』

「僕がそこにいたら、君の行動は絶対に止める。今みたいに」

「なっ」


 美波さんは眉をひそめた。そして「どういうつもりですか」と間髪入れず問いただしてくる。心の声で語りかけることも止めるくらい困惑していた。


「だってさ、美波さん一人で背負うことになるじゃないか。最後の時間を奪ってることを自覚しながら慰めて、嘘をついて。そんなの辛くないわけがない」

「……っ」


 美波さんは息を呑んでいた。どうやら心当たりはあるらしい。


「確かにこのやり方なら誰も傷つけない。けど、これが本当に最善だったのか悩み続ける。わかっていてなにもしてあげられなかった後ろめたさが残り続ける」

「そ、れは……」

「その辛さを共有させたくなかったから、僕を遠ざけていた。違う?」


 美波さんは柳眉を下げ、唇をきゅっと噛みしめていた。図星か。

 これでも僕は、人の本心に直に触れてきた人間だ。隠し事や他意の感触を嗅ぎ取ることに長けている。特に美波さんの性格、というか過保護っぷりは方向性がハッキリしているので読みやすい。


「まぁ僕も事情を知っちゃったけどさ……でも、君が辛い役回りなのは変わらない。それは了承できない」

『――だって、どうしようもないもの』


 拗ねたような言葉を思い浮かべた美波さんは、僕の手に重ねていた手をそっと離してテーブルの下に戻した。


「これ以外に思いつかなかった。それでも私が我慢すればいいだけなら――」

「だから、それが僕は嫌なんだって」


 美波さんが僕を見つめる。その瞳が揺れていた。


「さっきも言ったけど、美波さんのことが、その……大切、だから。悲しい思いをして欲しくないし、助けたいんだ」


 うへぇ、顔から火が出るどころか爆発しそうだ。

 恥ずかしすぎて、安心させようと浮かべた笑顔も頬がぴくぴく動いて不格好になってしまう。

 せめて、ちゃんと言葉で示そう。


「大丈夫、僕がついてる。、僕が手伝うから」

『こー、くん』


 その瞬間――彼女の白い頬を、一粒の涙がぽろりと流れた。

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「ごごごごごめんなにか言ってはいけないことを……!」

「あー、なーかせたぁなーかせたぁ」


 背後からの声に振り返ると足立少年が立っていた。彼は腰に手をあてて僕らを眺めている。


「パフェはうまかった、ありがと。んで姉ちゃんの説得ってのは終わったの? 痴話喧嘩してるようにしか見えないんだけど」

「待ちたまへもう少しで決着が――」

「わかりました」


 涼やかな声が響く。美波さんは指先でぐいと涙を拭き取り、僕と足立少年を見据える。


「私たち三人で、病院に行きましょう」

「美波さん……!」


 すると彼女は、再び僕の手に触れた。能力が発動する。


『ただし覚えておいてください。理由があって、私のタイムリープ能力は現在使えません』

「――えっ」

『つまりやり直すことはできない、一発勝負です。それでも、やりますか』


 いつぞやの如く試すように聞いてきた美波さんが、僕を真っ直ぐ見てくる。

 やり直しは効かない。それは躊躇いを生むには十分な言葉だった。

 ……だけど、僕は頷く。

 考えてみればいつもと変わりはない。やり直せる効果は魅力的だが、かといって僕はそれに頼ってきたわけじゃない。

 やれることをやるだけだ。


『……わかりました。あなたを、信じます』


 美波さんが呟き、手を離す。

 見届けた僕は自分の隣の席を引いて足立少年に座るよう指示した。彼が座ったと同時に切り出す。


「こっちの話はまとまった。次は足立くんの番だ。とりあえず、僕らに千晶くんとのことを教えてくれないか。偽彼女ってのはそこに関係してるんだろ?」


 既に概要は知っていたが、能力を使った効果なので知らない体を装う。それに本人の口から詳細を聞いておきたい。

 足立少年は訝しげな眼差しを送ってきた。


「さっきも気になったけど、なんであんたが千晶のこと知ってるのさ」


 おっと失言。そういえばさっきも黙らせるために咄嗟に名前を出したんだっけ。

 考えた末、僕はニヤリと笑ってみせる。


「恋敵になるかもしれない相手のことはちゃんと調べておく流儀なんだよ、僕は」

「えっ」


 驚愕する小学生に、僕はつい笑いそうになってしまった。ちょっと冗談が過ぎたかな。でもこちらだって振り回されたんだから、これでおあいこだろう。

 その向こうで美波さんがそわそわとしていた。


『恋敵なんてそんなこーくんたら大人げない……んっふふふ、だめです嘘だとしてもヤキモチこーくん可愛いすぎしんどい国宝級。心配しなくても私はあなたのものなの、に……あれ、これ聞こえてます?』


 僕が苦笑いしながら頷くと、美波さんは頬を染めながらうつむいていた。

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