第6話 王女と僕とお義父さんのデート 下
『大丈夫ですか!?』
美波さんが身を起こす。不安げに柳眉が下がっている。
「だ、大丈夫。美波さん軽いから」
『そうですか良かった、じゃない!』
珍しくツッコミした美波さんが僕の顔の左右に両手を置く。床ドンされてるみたいだなこれ。
『……あなたってほんと、急にびっくりすることしますね』
「ごめん。昔に見た映画でこういうシーンがあって、真似したくなっちゃった」
『本当、ですか?』
美波さんが訝しむ。当然の反応だろう。
はらりと髪が落ちて僕の頬をくすぐる。相変わらず彼女の良い匂いがした。もう随分と安心感のある匂いだ。ずっと包まれていたくなる。
「わくわくした?」
『心臓が飛び出すかと思いました』
「はは、そっか。でも気分は変えられたんじゃない?」
美波さんの頬に砂がついていた。僕は指でそっと払う。
「お父さんの考えはよくわからないけど、君がしんみりしてちゃいけないなと思って。楽しんでほしくなった。と言っても、昔みたいに振る舞う必要はなくてさ。今の美波さんの楽しみ方でいいと思う」
『……こーくん』
「お義父さんとの関係だって、違うものに変わっていいんだ」
美波さんが、きゅっと唇を引き結ぶ。
さざ波が、倒れている僕の足元を濡らしていった。
「その代わりじゃないけど、僕が一緒になって楽しむから」
「……またあなたは、そんなことを言って」
美波さんの腕が、僕の胸元に伸びる。
『いいんですね、父親の前でイチャイチャしても』
「イチャイチャじゃなくて遊びをひゃひゃひゃひゃ!?」
彼女の手がいきなり脇腹に降りて、こしょこしょと動き始めた。
『ほーらさっきの仕返しです』
「いひゃひゃひゃ待って待ってちょっとははははぐぇ砂が口に」
美波さんをどかして砂浜をゴロゴロと転がる。ぺっぺっと唾を吐きながら立ちあがると、服の中にまで砂が入り込んできた。うわ、ちくちくする。
『やだこーくん砂まみれじゃないですか、あはは』
膝立ちになっている美波さんが、楽しそうに笑っていた。
ハッとして、僕は何度も瞬きをする。
彼女の口角は一ミリも上がっていない。
心中で笑っていただけあって目元は柔らかだが、微笑と呼ぶには程遠い。
今のは錯覚、だったのだろうか。
『どうしました?』
「いや……それより、次はなにして遊ぼうか」
『そうですねぇ。じゃあさっきみたいに抱っこして、浜辺を歩いてください♪」
美波さんが「ん」と両手を広げてお姫様抱っこを要求してくる。どうやら吹っ切れたようだ。
「お安いご用です」
僕は彼女を抱きかかえ、押しよせる海と砂の間をふざけ半分に歩いた。
その間、お義父さんは僕らを眺めるだけで、声をかけてくることはなかった。
***
車は高速道路を走る。揺れと冷房が心地良い。
砂浜で小一時間ほど遊んだあと、お義父さんから帰るよと唐突に告げられた。話があるものと身構えていた僕と美波さんは呆気に取られたが、来た道をそのまま戻り始めたのでどうやら本当に帰路についているようだった。
お義父さんの考えがまったく掴めない。試しに運転席に近寄って心を読んでみたが、考えているのは仕事のことばかりだった。
僕はあくびをかみ殺す。肩透かしを食らったのもあるが、炎天下の中ではしゃいだのでちょっと疲れてしまった。
隣の美波さんもさっきまでは『何かあるといけないので集中していましょう』などと語りかけていたのだが、うつらうつらと船を漕いでいる。無言の時間は眠気を増幅させるものだ。僕より気を張っていたろう、仕方ない。
僕だけでも起きていようと考えていたとき『今なら良さそうだな』お義父さんの声が聞こえた。お義父さんはバックミラーでちらと美波さんの顔を確認している。
タイミングを見計らっていたのだと、今更に気づく。
案の定、車はサービスエリアに入っていった。駐車場に車を止めたお義父さんは「のどが渇いてね」と言い訳しながらドアを開ける。
「君も一緒にどうだい。好きなものを奢ってあげるよ」
「あの、でも美波さんが」
ちらと美波さんを確認する。既に寝息が聞こえている。
「エンジンはかけておくから。ちょっと離れるだけだし。美波の分は君が決めるといい」
『少し危ないが、こうしておけば出てこないだろう』
能力持続のおかげでお義父さんの企みが読めた。
美波さんをここに置いていけば、たとえ起きたとしても彼女の性格から車を放置して探し回ったりしない、と踏んでいるわけだ。やっぱり腹黒だなー。
「……わかりました」
頷き、外に出る。断りにくいということもあるが、僕としてもお義父さんの考えを聞いてみたい。
そして、彼氏としての僕の気持ちも伝えるつもりだった。美波さんが同席だと気恥ずかしくてうまく口が回らない。
内心で謝りながらドアを開ける。炎天下の日差しが強くて眩しい。
僕が出てくると、お義父さんは満足げに笑って車の鍵を閉めた。
サービスエリアの自販機まで一緒に移動して、美波さんの分まで飲み物を買う。
お義父さんは車には戻らず、建物の前のベンチに座った。自家用車が見える位置だ。なにかあってもすぐ反応できるように、ということだろう。
僕もその隣に座る。一応能力は発動しない距離だが、詰めればすぐにでも心は読める。
「すまなかったね」お義父さんは缶コーヒーの蓋を開けながらそう切り出した。
「昨日の今日で呼び出したりして。でも来てくれて嬉しかったよ」
「いえ……あの、昨日のことですが」
「おや、もうその話にいっちゃう?」
どこか茶目っ気のある返しにドキリとすると、お義父さんは足を組んだ。
目元の皺がすっと伸びて、お義父さんは真顔を作る。
「先に言っておくと、怒るつもりはまったくないから安心しなさい。興味本位ではなく、ちゃんと考えてのことなんだろう?」
ズバリと聞くなこの人は。
「……はい」怪しまれないよう手短に答える。なんとなく、こういうところも試されているのだと感じた。
「学生の本分を忘れないでいてくれるなら、とやかく言うこともない。君と話して、やはり信頼できる人間だと思ったし」
「ありがとう、ございます」
「それにね、大切に育てているからどうのなんて言う気もないんだ。私には、その資格がない」
お義父さんは缶コーヒーを一口飲んで、両手で持ちながら息を吐いた。
「あの子から聞いているだろ。私が、あの子にどんな仕打ちをしてきたのか」
僕は答えなかった。握りしめているペットボトルの蓋をただ見つめる。
「……銀行員時代は出世のことしか頭になかった。休日抜きで働いて、夜は会合や宴会に顔を出す日々でね。それが楽しかったということもあるが、なにより周囲の連中に負けたくなかった。私より劣っている連中ばかりだと思っていたから」
「……」
「出世コースに乗るに従って、家庭にもそれらしい振る舞いを要求した。上級の人間と付き合うようになると、身内の話も華々しくなるものだ。私は自分に対する評価と見栄のために、あの子に有名な私立中学を受けさせようとした。学校生活を犠牲にしてでも絶対に受験に合格させるつもりだった。それが私の、家族の将来のためだと思って……愚かなことにね」
淡々と語る声には憂いも嘆きもない。ただ空虚な響きがある。
そこにはきっと、僕には想像も及ばない後悔があるのだろう。
「あの子は私の期待に応えようと努力してくれた。友達付き合いを減らせなんて酷いことを言っても、黙って従っていた。そのうち要領をつかんだのか程よく遊びながら成績を向上させるようになって、私も文句は言えなくなったのだが……それは寛容ではなく、あの子の出す結果にしか興味がなかったのだろうと、今では思う」
美波さんがタイムリープに目覚めた流れと符号する。お義父さんには要領よく、なんて見えていたようだが、それくらい美波さんが能力を隠してうまくやっていたことの証明でもあった。
「全てが安泰だと思った矢先だったかな。私はハードワークと過度のストレスで身体を壊した。そして休職を経たあと、閑職に追いやられた」
「……」
「助けてくれる同僚も庇ってくれる社員もいなかったよ。それだけ私に人望がなかった。人から恨みを買っていたんだと、そのときようやく気づいた」
お義父さんは遠くを眺める。よく見ると、頭髪にはところどころ白いものが混ざっていた。さぞモテたであろう容貌にも、隠し切れない疲れと老いが見え隠れしている。
「何もかも手遅れだったのは仕事のことだけじゃない。あの子の、美波のこともそうだ」
「孝明君」お義父さんが僕の方へ向く。
「美波は君と付き合いだして、笑うようになっただろうか」
縋るような声だった。
僕は気づく。これが、お義父さんの聞きたかったことなのだろうな、と。
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