第6話 王女は僕を必要としている
彼女はつかつかと僕の方へ歩いてくる。
迷いのない動きに、僕は思わず腰を浮かした。
このままだと30センチ以内に入られてしまう。怯えが生まれる。
だけど――葛城美波の目に優しい光が垣間見えたとき。
不思議と逃げる気が失せた。
彼女は僕の背後に回って、両肩に手を置く。
「自信を持ってください。あなたの技量は必ず、この生徒会の助けになるはずです」
『私だけは絶対にこーくんを見捨てない。誰に何と言われようとも』
二つの声が副音声のように重なる。
『だから、お願い。いなくなるなんて言わないで」
葛城美波の細い指に、かすかに力が込められた。
自信ありげな言葉とは裏腹に、心の声は切実さに満ちていた。
期待よりも、懇願のほうが強かった。
……たぶん彼女の方も、僕の採用に迷いや不安がある。
それでも見捨てないと言い切る強い意思は、どこから来るのだろう。
僕にはよく理解できない。
わかることといえば、一つ。
この声を聞いて逃げ出す奴は、最低野郎だってことだ。
「つまり僕が書記として、佐伯より使えると証明すればいいわけだな」
真正面から佐伯を見据える。
佐伯は驚いたように両眉を上げていた。
「確かに僕はイベントとかで役に立たないかもしれない。でも他の場面では迷惑かけないようにするし、自分の仕事は完璧にこなすようにする。僕にしかやれないこともある、と思うし」
「っていうか才賀、いま会長が触ってるのに平気なのか?」
太郎丸の声でハッとして、僕はすぐにその場から離れた。
葛城美波はバンザイのように手を上げて目をぱちくりさせている。
「もしかして会長だけは大丈夫だったり」
太郎丸が指摘すると「あら」葛城美波が目を輝かせ「げっ」佐伯が気味悪そうに反応した。
「なによあんた、女に触られるのはセーフとか言うんじゃないでしょうね。下心丸出しじゃん最低」
「ち、違う! 今のは考え事して気づかなかっただけだ!」
反論しても佐伯は軽蔑の眼差しを止めないし、星野に至っては怯えた目で僕を見始めている。この流れはまずい。
『はぅぅぅ私なら平気だなんて! 嬉しいです! やっぱり私とこーくんは結ばれる運命なんですね! こーくんの頭頂部に顔をうずめてすはすはしたいですぅ!』
更に有頂天になった葛城美波の声も聞こえてきてやかましい。愛情表現の仕方も犬猫にするやつだ。ていうかやっぱりってなんだやっぱりって。どこで確信を得たのかちょっと説明してほしい。
が、この話題が長引くのは僕としてもよろしくない。「そんなこといま関係ないだろ」と、強引に主導権をもぎ取る。
「えーと、だからその、なんだっけ……つまり書記としてうまくやってみせればいいって話、だよな」
「本当にできるならね。でも新年度に入ってから見せつけられても遅いわけ。結局できなくて交代なんてことになったら、どういう人選だったのかって白い目で見られるじゃない。それは会長としても困るでしょ?」
「才賀くんなら問題ないです」
「聞いた私が馬鹿だったわ。ったく、才賀才賀ってうるさいわね」
不機嫌そのものでぶつくさ呟く佐伯は、おもむろに違う方向を向いた。視線の先にはパソコンラックと、そこに収まる旧型のデスクトップパソコンがある。
彼女はPCを指差し、不敵に笑った。
「先輩から聞いた話だとあそこに生徒会の議事録とか報告書のデータがまとめて入ってるらしいから。あんたが使える人材って証明したいなら、まずデータの整理とファイリングして。あと今までどういう施策が提案されてどういう経緯で決定されてどれくらいの効果があったかもまとめといてくれるかしら? そういうの書記の役割でしょ」
「まぁ、それくらいなら」
「そ? じゃあよろしくね。ちなみに十年分あるから」
「じゅっ!?」
「期限は今週中」
「今週!? できるわけないだろ!」
「無理なら別にいいけど。辞めてもらうだけだから」
小馬鹿にしたような佐伯の物言いに奥歯を噛み締めつつ、僕はパソコンラックに歩み寄りPCの電源を立ち上げた。十年分とかいっても、佐伯が脅かしたいだけで実は大したことない可能性もある。
もっさりした動作でデスクトップ画面が表示された。
(なんじゃこりゃ)
思わず心の中で呻く。
デスクトップには所狭しと様々なフォルダやファイルが並べてある。種類もバラバラで、まるで節操がない。
「あ、あの、ウチも聞いたことあります。生徒会の引き継ぎがうまくいってへん時期があって、どれが重要なデータかわからんし、他のデータと連動するマクロが構築されて迂闊に触れんから、放ったらかしにされてたんやって」
パソコンラックに近い星野が教えてくれた。若干関西弁混じりなのが気になったが今は置いておく。
ひとまず手当たり次第にファイルを覗いてみるが、作成日時がついていたりいなかったりで判別しにくい。開くのにやたらと重いデータもある。他ファイルと連動しているから時間がかかるのか。誰だよこんな無闇に複雑化した奴は。
佐伯の方を向くと、彼女はほくそ笑んでいた。こいつ知っててわざと試したな。
「じゃあ頑張って」
佐伯は立ち上がり、なぜかドアの方へ歩き出した。パソコンラックがすぐ近くにあるので僕は慌てて移動しようとしたが、間に合わず能力範囲に入ってしまう。
「どこに行くのですか佐伯副会長」
葛城美波が鋭い声で呼びかけると、佐伯はドアの前で振り返る。
「メンバーじゃなくなるかもしれない相手と話し合ってもしょうがないでしょ? あ、一週間後にはちゃんと出席するから。資料も用意するし心配しないで」
佐伯は捨て台詞を吐いて出て行ってしまった。
「あちゃー」太郎丸が呆れ半分困惑半分で苦笑いしている。
「大丈夫ですか、才賀くん」
葛城美波が僕に声をかけてきた。相変わらず表情の変化は乏しいが、どこか不安そうな声音でもある。
返事をしようとしたとき、脳内に甲高い声が響いた。
『なによもう才賀才賀って……! あんなやつのどこがいいわけ!? これ見よがしに贔屓しちゃって腹立つわ! あたしがどれだけ楽しみにしてたと思ってるのよ……こっちの気持ちも知らないで、美波のやつ!』
口を半開きにしたまま固まる僕を、葛城美波が怪訝そうに見つめていた。
「どうしました」
「な、なんでもない」
僕は口元を押さえる。聞こえてきたのは佐伯希海の心の声、だよな?
どうにも違和感が残る。不機嫌そのものの声だったのは今の状況から理解できるが、内容がしっくりこない。
今の声は、自分の理想と違ったことに対する不満というより、僕を優遇する葛城美波の態度に怒っている、という感じだ。
(美波って名前で読んでたし。もしかして仲良いのか?)
そういう前情報はなかったが、もし友人関係にあるなら、自分に一言の相談なく決めたことに対して怒っていても不思議ではない。
でも本当にそうなのだろうか? 判断材料がなさすぎて、正解とも違うとも言い切れない。
考えていると、近くにいた星野が遠慮がちに手を上げた。
「さ、才賀くん。ウチもお手伝いしましょうか? 会計のデータもあるやろうし」
「あー……でもそれじゃ意味ないって佐伯に怒られそうだ。自分一人でやってみる。ありがとな星野」
佐伯は役員全員に不満を持っていた。魅力的な提案だったが、星野もできるだけ関わらない方がいいだろう。もちろん太郎丸も。
星野が遠慮がちに頷くと、葛城美波が僕の方へ寄ってきた。一応、効果範囲に入られないよう身構える。
「才賀くん、あの」
「わかってます。なんとか頑張ってみますから」
「私だけ平気って本当ですか」
「そっちの話かよ!」
「触っても大丈夫か実験しませんか」
「しねぇよ!」
脱線に脱線が続き、この日はまともな打ち合わせが一切できずに終わった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます