第28話 副会長と王女 中 ―希海side―
「でしたら、どんな話をしたのか教えて頂けませんか?」
「……その前に、聞かせて」
思ったよりも低い声が出た。
希海は、乾いた喉に唾を流し込んで、言う。
「あんたたち、付き合ってんの?」
「はい」
迷う素振りも、もったいぶる気配もなく、美波は平然と言ってのけた。明日の天気は晴れです、と言うくらい当たり前のように答えていた。
彼女が狼狽えもせず、自信を持って答えたせいかはわからないが。
「……そっか」笑って頷けるくらいには、持ち堪えられた。
「いつ頃から?」
「付き合い始めたのはつい最近です」
「じゃあ、彼氏だから生徒会に起用したわけじゃないんだ」
私情ばかりではないらしい。
しかし希海は、その答えで終わらせることができなかった。
「それとも、才賀が好きだから生徒会に誘った?」
美波は微かに眉を寄せる。一文字に引き結ばれた唇が開く気配はない。
答えに逡巡している。そんな彼女の姿を見て「ふ、ふふっ」希海はつい笑ってしまう。
「……希海?」
「ううん、ごめん。気にしないで」
希海は目尻に浮かんだ涙を指ぬぐう。
それは自分に対する失笑だった。
こんなときでも公私混同を許せない潔癖な自分が、他人の本心にずけずけ踏み込んでしまう勝手な自分が、本当に面倒くさくて気持ち悪い。周囲に嫌われるのも無理もない。
こんな奴が美波と仲良くなろうとしたことが、そもそもの間違いだったのだ。
そう思うと、急にどうでも良くなってきた。
「……あたしさ、美波のこと尊敬してたんだ。ていうか、勝手に理想の自分と重ねてた」
「理想の、自分?」
「そう。何事も全力で取り組んで、他人を巻き込んでも自分が納得する結果を出したいっていう完璧主義の自分。でもそれって難しくて。やりすぎて嫌われるしさ……だからあたしは自分の本性を押し込めて、周りに合わせて、色んな事を諦めてきた」
本人には黙っているつもりだったことが、洪水のように溢れてくる。
いっそ本当に生徒会から去ろうか――孝明にはそんな気はないと告げたが、自暴自棄の考えが希海の中で揺蕩う。
「でね? 美波のことを知って、あたしは羨ましいって思ったんだ。自分のスタイルを貫き通しても周りからしっかり認められて。美波のような生き方ができたら、どんなに気持ちいいだろうって。それで勝手にあなたのことを好きになって、仲良くなりたくて、副会長になった」
話を聞いている美波は微動だにしない。正座を維持しながらじっと話に耳を傾けていた。
あまりにも反応がないと、まるで鏡越しの自分に喋っているみたいだった。
「だけど美波は割とあたしの予想の斜め上でさ。生徒会長だったらこうあるべきっていうイメージをことごとく否定するのよね。それで動揺したっていうか、勝手に裏切られた気分になって、顔合わせのときから突っかかっちゃって……」
希海は喋りながらうつむく。膝の上においた手を拳にする。
「今も正直、ムカついてる。生徒会長のくせに気になる男をメンバーに引き込んで、挙げ句に付き合うとかさ。最初からそのつもりであいつを贔屓してたんだって思うと……腹が立つ」
「失望しましたか?」
澄んだ声が鼓膜を揺るがす。
動揺の欠片もない彼女の態度に、全身の血が沸騰するようだった。
希海は荒ぶりそうな声を抑えるために、わざとゆっくり呼吸をする。
「……ええそうね、失望した。そんなことをする人だと思わなかった。生徒会長の仕事を舐めんじゃないわよって言いたい」
「確かに、生徒会長としてはあるまじき姿でしょうね。公私混同も甚だしい」
淡々と言い切った美波は、「ですが」と話を続ける。
「こーくんを引き入れたのは彼の才能を認めていたからです。彼が有能であることはあなたも理解しているはず。決して自分の私情だけで判断したわけではありません」
「言い訳しないで。特別扱いしたことに変わりないじゃない」
苛立ちが収まらない。こんなことを言うつもりはなかったのに、言葉が止められない。
「あたしは美波にそうあってほしくなかった。格好良いあなたでいてほしかった。男のために信念を曲げるようなこと、してほしくない」
「信念?」美波が聞き咎めるように言う。
「あなたの言う信念とは、一体なんですか」
希海は弾かれるように顔を上げた。
平坦だった彼女の口調に、明確な苛立ちが混ざっている。
ガラス玉のように綺麗な黒の瞳に、炎のような激情が垣間見えた。
「あなたに私の信念がわかるのですか」
「それは」
「勝手な決めつけで私を否定しないで」
それは初めて聞く、美波の怒りの言葉だった。
終わった――希海はそう思った。
こうまで反感を買っては、どう取り繕っても生徒会に残ることはできない。
けれど、これで良かったのかもしれない。自分で踏ん切りがつかなかった分、向こうから言い出してくれたほうが気楽だ。
「私に信念なんてありません」
思考を撹拌する台詞だった。
「……え?」希海がぽかんとすると、美波はふんすと鼻息を吐く。
「私はあなたが思うような立派で崇高な志など微塵も持ち合わせていません」
「で、でも、皆に慕われるようなことしてきてるじゃない。そういう自分でいようと思ったからでしょ? そういうのが信念なんじゃないの?」
「いいえ。ただそう見せかけていただけです」
あっけらかんとした言葉に、一瞬だけ理解が追いつかなかった。
「私は自分を律してそう振る舞っていたわけではありませんよ、希海。ただ自分についた優等生のイメージをなぞっていただけ。周囲から失望されたり失笑されるのを恐れていたに過ぎない」
希海は目を見開く。
なんだそれは。それではまるで――
「私は、周りの声に迎合していただけなんです」
自分みたいじゃないか。
「あなたが理想とした私は、周囲の期待を反映していた仮初めのもの。だから誰にも嫌われなかっただけです。信念を持って自分の我を押し通していたら、きっと色んな軋轢が生じていたと思います」
「……じゃあなに。自分てものがなかったから、うまくいってたってこと?」
「はい。希海にはそれがよくわかるはずです」
心臓が不協和音を奏でる。
孤立したときの光景がフラッシュバックのように蘇る。
「自分の信念とか主義を貫こうとしたら、他人からは認められない……?」
「賛同してくれる人も、そして否定する人も必ず出てくるものです。万人に認められる完璧な人なんて存在しません」
有無を言わさぬ説得力があった。希海自身にも身に覚えがある。
完璧主義に固執したときも全てが敵だったわけではない。中には共感したり応援してくれる人もいた。ただ否定する人間の方が圧倒的に多くて、希海自身も意地になっていて、結果的に折れてしまった。
美波の言う通りだろう。人はそれぞれ違う考えや価値観を持っているのだから、その全てに認められるということはない。
それこそ美波のように自分というものを殺して、誰かの望む姿を演じたりしない限りは。
しかしそれは、我を貫くこととは正反対の行いだ。
葛城美波はそれを実践していた。生徒会長もやってのける優等生の葛城美波というイメージを守ることで、周囲に存在を認めてもらっていた。
ちょうど希海が、誰の話にも共感するフリをして当たり障りなく過ごしていたときのように――自分というものを出さず、他人の望む「佐伯希海」を演じていたときのように。
しかし、それでは希海は救われない。
美波の言葉は新たな絶望感をもたらすだけだった。
「だったら……だったらあたしは、どうすればいいの?」
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