第26話 佐伯の理想の王女 下

 しかし佐伯のパニックは収まらず『待って待って待って』誰かに向けてずっと制止の声を上げる。


『ちょっと待ってあたしなんで手を握られてるの? ていうか才賀って平気なんだっけ? あれ? あ、あたしだから、とか?』


「……いまこうして触ってるのは」勘違いを始めそうだったので咄嗟に声をかける。


「本気だってこと、伝わってほしいから。こうすることで、冗談で引き止めてるわけじゃないことはわかるはずだ」


 苦し紛れの言い訳だったが、この機会を逃したくない。

 佐伯は重ねられた手を見つめ『……ちょっと震えてる。辛いのかな』確認するように呟く。

 どちらかというと恥ずかしさの方が強くて手が震えてるんだけど。


『あたしの気持ち……才賀、気づいてるの?』


 佐伯は無警戒にそう考える。やはりまだ隠している本音があった。


「だから僕の質問に答えてほしい。佐伯はどうして、僕から美波さんの気持ちを聞き出そうとした?」

『それは、才賀なら正直に言ってくれるはずで』

「……さっきも言ったでしょ。本人から聞けないって」

「そうじゃない。次郎でも星野でもなく僕を選んだ理由だ。僕なら忖度なく言ってくれると思ったからじゃないか?」


 佐伯が息を飲む。自分の考えをそのまま指摘されたのだから、誰だって動揺するだろう。


「僕とは、まぁ色々あったし、言いにくいことも遠慮なく教えてくれると踏んだ。違うか?」

『どう、して……』

「他人からでも聞ければいいんだ。それで、美波さんに好かれたいという気持ちに諦めが付く。生徒会への熱意も」


 佐伯は傷を負ったかのように眉間に皺を寄せ、奥歯を噛み締めた。


「美波さんは理想像と違う人だった。それを完璧主義の自分はどこかで認められなくて、つい余計なことをしてしまう。でもそんなことを続けていれば迷惑をかけるし、嫌われていく一方だ。昔のように、修復不可能なまでに関係が壊れてしまう」

『なんで、なんでこいつはこんなに、あたしのこと』

「だからお前は、嫌われ始めている事実をあえて認識しようとした。そうすれば、生徒会を辞める口実になる」

『っ……!』


 佐伯の動揺の声が聞こえてくる。

 かなり大胆な推測だが、この反応だと当たっている?


「本当に、辞めるつもりなのかよ」

「……そこまではしないわ。あたしにも選ばれた責任がある。副会長は任期まで全うする。ただ、これからは大人しくしようと思っただけよ」


 『黙ってるつもりだったんだけどな』と考えながら、佐伯が苦笑いする。

 辞めるという予想が外れたのは嬉しいが、しかし根っこの問題は深そうだ。全然安心できない。


「それは、ただ黙って座ってる、とか?」

「事務仕事はちゃんとする。それ以外はあんたたちに任せる。あたしは一切口出ししないわ。部外者だと思ってくれていい」

「……つまらないだろ、そんなの」

「なに言ってんの、喜びなさいよ。あたしに文句言われなくなるんだし」

「さっきも言ったけど、美波さんはお前のこと認めてるんだ。頼りにしてる。引っ込まれても困る」

「はは、あんたもそういうお世辞が言えるのね……ありがと、才賀」

『こんなあたしにも優しくしてくれるとか、やっぱりいいやつ』

 

 心中でも佐伯は僕の言うことを微塵も信じていない。

 それだけ自信をなくしている。いや、自己嫌悪に陥っているという方がしっくりくる。

 長年染み付いた性質はそう簡単には変わらない。美波さんを困らせて自分自身も嫌いになる一方なら、いっそ貝のように口を閉ざし目を瞑ろうと考えたわけだ。

 さっきは変わればいいと単純に提案したが、本人にとって自分を殺し続けることに等しい選択だったことを、僕は今更ながらに気づく。

 佐伯はその苦痛を甘んじて受け入れようとしている。

 ……それが佐伯の選んだことなら、僕に口出しをする権利はない。

 だけど。


「結局、僕の言葉は信じられないんだな」

『あ、あれ、怒ってる?』


 自分の声が固いのを自覚する。

 佐伯は焦った様子だが、僕は遠慮してやらない。


「こっちが何を言っても聞いてくれないなら、僕も佐伯の言うことは聞かない」

「あの、才賀?」

「佐伯には副会長の仕事をちゃんとやってもらう。ただでさえ忙しいのにそんな勝手な理由で力をセーブするんじゃねぇよ」

「で、でも。あたしの意見は美波とほとんど合わないし、迷惑かけるから……」


 まだ言うか。

 なら、強行突破だ。


「そうじゃないって言ってもお前は信じないだろうな。じゃあ、本人に直接聞くか」


 佐伯はハッとして顔を上げる。見開いた目がマジマジと僕を見つめていた。


「ちょうどこれから美波さんと会う予定なんだ」

「これから……?」

『先約ってじゃあ、美波?』

「それで悪いんだけどさ、たぶん僕は、いや僕たちはまたお前の理想とは違うことをしでかすと思う。ショックには備えておいてくれ」


 僕たち、という部分を強調しておいた。

 佐伯は驚いていたが、徐々に何かを察したような顔つきへと変わっていく。


「美波さんと話すべきだよ、佐伯。その上で本当はどうなりたいか、考えたほうがいい」


 僕に口出しをする権利はなくても、生徒会長の美波さんにはある。

 これは、生徒会長と副会長の問題だから。


『あたしが、本当はどうなりたいか……?』

「行こうか」


 僕は彼女の手を離して出入り口まで向かう。佐伯が後をついてくる気配はない。会計を済ませてもその場に突っ立っているだけだった。

 けれど、僕が店を出ようとしたとき。

 意を決したように頷いた佐伯が、僕の後を追ってきた。


***


「というわけで佐伯も勉強会に参加することになりました」


 僕の部屋で正座している美波さんにあらましを説明し終える。

 美波さんは無表情を決め込んでいるが、僕にはわかる。物凄く呆れている。


「こーくん」

「はい」

「報連相はどうしたのです」

「……すいません」

「任せとけと豪語した割に行き当たりばったりすぎませんか」

「……仰るとおりです」


 冷たい眼光に射貫かれて縮こまる。ひしひしと伝わる美波さんの剣呑な気配が肌に痛い。

 他人のことに勢いで首を突っ込んでいた昔のウザい自分を思い出してしまって、ちょっと自分に萎えていたり。

 でも、これが正解だと思いたい。


「あ、あの」


 居心地が悪いのは僕の部屋にいる佐伯も同じようだった。

 彼女も正座して僕と美波さんを見比べる。


「勉強会、なのよね? 二人きりで……それって、もしかして」

「ちょっと待ってください希海。彼と話します」


 そう言った美波さんは僕の隣に移動して密着するように座る。あまりの近さに佐伯がギョッとして頬を赤らめていた。

 これは確かに友人の距離感ではないが、美波さんももう隠すつもりがないのだろう。


『それで、私は希海とお話をすればよいのですか』


 テレパスで聞かれ、僕はこくりと頷く。


『……まったく。思い立ったら即行動、ほんとにあなたらしいというか。こちらはほとんど事情を把握できていないんですよ?』


 美波さんの声に呆れの成分が色濃く出ている。面目ない。

 『でも』美波さんが僕の袖の端を軽くつまんだ。


『あなたがそうすべきと判断したことなら、私は従います。いつだってあなたは私を救ってくれた。今も、希海を救おうとしてくれているのでしょう?』


 暖かい言葉だった。美波さんが信頼してくれるその実感がなによりも嬉しく、力強い。本当に感謝しかない。


『ただし、希海と二人きりで会っていた件に関しては別個に追求させていただきますので、そのつもりで』


 僕の心から春の温もりが消え永久凍土に晒される。これはもうダメかもわからんね。

 それから僕は彼女の言葉を少し聞き、頷いてから立ちあがる。


「それじゃあ佐伯。僕は退出するから二人で話し合ってくれ」

「ち、ちょっと待ってよ! あんたはどうすんの!?」

「頑張ってな」


 唖然とする佐伯に笑いかけ、僕は部屋を出る。

 そして閉めたドアに背をくっつけて廊下に座り込む。


『こーくん聞こえますね?』


 美波さんの声が聞こえたので僕はドアを微かに叩く。

 ドア近くに美波さんが居てくれるのでギリギリ能力が発動している。これで会話は聞こえずとも、美波さんの声から話の内容を薄らと把握できる。

 二人だけの秘密の会話を聞くつもりはなかったが、焚き付けた僕も知っておくべきだと美波さんに諭されたため、こういう方法を取ることにした。


『では、始めます』


 美波さんが宣言する。

 どう転ぶかはわからないけど、今日は、長い一日になりそうだった。

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