第25話 佐伯の理想の王女 中

「――ん? どう?」

「だからその、ええと……あの子があたしに対してどんな印象持ってるか、聞きたいんだけど」


 ポカンとしてしまう。

 問われたことがあまりにも予想外だった。美波さんとの関係を聞かれなかった安堵感など吹き飛んでしまっている。

 僕は聞かれたことを脳内で吟味した上で、返答に迷う。どういう意図の質問なのかさっぱりわからない。ていうか生徒会の相談じゃなかったっけ?

 困惑が筒抜けだったのか、佐伯は説明するように話を続けた。


「たぶん、だけど。あたし、美波に嫌われてるんじゃない?」

「嫌われてるって……」


 心を読んでそういう勘違いがあるのは知っていたが、深刻そうに切り出されると笑い飛ばすこともできなかった。


「どうしてそう思うんだよ」

「あの子に逆らってばかりだからさ。人選にケチつけて、あんたを追い出そうともしたし」

「あの一件はもう終わったことだろ。美波さんだって引きずったりしてない」

「そうかな。面倒くさい奴って思われてるかも」


 佐伯が指先で髪の毛をいじる。卑屈とも取れそうなほどの後ろ向きな考えに、僕はどうしたものかと後頭部を掻く。


「不安なら本人に直接聞くとか」

「聞けるわけないでしょ。あたしのこと嫌い?だなんて」


 佐伯は力なく笑って「だから、あんたから聞かせてほしい」と言う。


「それ、生徒会に関する相談なのか?」

「まぁそこにつながるかな」


 佐伯らしくない、煮え切らない返事だ。

 一向に先が読めないが、佐伯が美波さんとの関係で迷いを持っていることはわかる。もしかして僕にアドバイスでも求めているのだろうか。


「あのさ、そうまで思ってるなら少し態度を変えてみたらどう。美波さんのやることに口を出さないようにするとか」

「……そうね。あたしもそう思う。これはそのきっかけなのよ」


 意味深なことを言った佐伯が水の入ったグラスを手に持つ。

 しかし、握り締めただけで動かさない。


「才賀。あたしって完璧主義なんだ。潔癖なくらいの」


 佐伯はつまらなさそうに吐き出した。自慢する意図はまるで感じない。


「小さい頃からこうでさ。なんでも全力で取り組まないと気が済まなかったし、納得いくまで他人を動かそうとする性格だった。ほら、合唱コンクールとかあるでしょ? そこで真面目に歌ってない男子とかいるとイライラして喧嘩になっちゃうの」

「いたな、そういう女子。委員長タイプっていうか」

「ううん、ちょっと違うかな。彼女たちが真面目ぶるのは先生に気に入られたいとか自分のイメージのためだけど、あたしはただ完璧なものを目指したいだけ。負けても勝っても全力を出した結果だって納得したい。諦めるとか、不完全が凄く嫌なんだ。向上心のない人間を軽蔑してるくらいで」


 生徒会の仕事ぶりを見ていると実感が湧く。さっきの店選びすらも佐伯は妥協を許さなかった。

 なるほど。潔癖なくらい、という枕言葉をつけるのもわかるかもしれない。

 僕の中で一つピンとくることがあった。


「だから生徒会のメンバーにも反対したんだな。人選に納得できなくて」

「あのときは本当にごめん。でも、どうしてこんな人たちを集めたんだろうって、美波の考えがまったくわからなくて……昔に戻ったみたいに、イライラしちゃったのよ」

「ニコニコ優しく振る舞うどころじゃないくらい、頭にきたわけか」


「まーね」佐伯は自嘲気味に笑う。


「それに、ショックだったから。あの美波が不真面目な人選をするはずがない、あの子だったら私が納得するくらい完璧な生徒会にすると信じてて。勝手に裏切られた気持ちになった」

「さすがに期待しすぎじゃないか? 美波さんが凄いことは認めるけど、佐伯の考えと違うことだってあるだろ」

「他の人だったら違ったでしょうね。でも彼女は、あたしの特別なのよ」


 特別と言い切ったときの佐伯は、どこか無邪気で、少し寂しそうだった。


「あたしの身近であんなに凄い人はいなかった。成績優秀で冷静沈着で決断はいつも的確で、人望も人気もある。凛として綺麗で何事にも動じなくて。彼女はあたしの理想なのよ」


 熱に浮かされたように早口に言う様は、美波さんへの思い入れの深さを感じた。

 ……ようやく理解できた。佐伯が美波さんに執着するのは、恋愛とは似て非なる感情のせいだということを。

 佐伯の中にあるのは、尊敬だ。佐伯は美波さんを心から尊敬している。

 そして、その大きな感情は時に反発心を生む。

 例えるならカリスマ的著名人とそのファン、だろうか。応援していた人がイメージにそぐわないことをしでかしたとき、ファンはその熱量から一気にアンチ化する。

 おそらくタイムリープ前の美波さんは佐伯の理想とする姿だったのだろう。

 しかし僕を生徒会に巻き込むという彼女の計画によって、佐伯の理想とはズレてしまった。

 結果的にそれが佐伯を悩ませている。


「笑わない王女だなんて噂されても全然気にしてなくて、そんな姿も孤高でひたすら格好良くて。美波は、あたしの憧れだった。名前を呼んで貰えたとき嬉しくて飛び上がりそうだった」


(……美波さんが聞いたらどう思うだろうな)


 ついそんなことを考えてしまう。

 美波さんは笑えない自分のことを憂いている。そんな自分を変えたくてタイムリープしたほどに。

 だけど佐伯が求めるものは、美波さんが優等生のイメージという強迫観念に絡め取られた姿だ。

 美波さんが脱却を求めれば、佐伯の違和感も強くなっていく。 


「佐伯がわざわざ副会長選挙に出たのは、美波さんのためだったんだな」

「……そうね。今までずっと遠巻きで眺めるだけだったから。彼女と並んで、支えて、そして少しだけでもあたしのことを理解してもらえたらいいなって思ってた」


 佐伯は笑う。自嘲の色を更に濃くしながら。


「気持ち悪いでしょ、あたし」

「……そんなこと」

「いいのよ素直に言って。自分でもヤバい女だって思うし。同級生に勝手に憧れて勝手に理想を押し付けて期待外れだと機嫌を悪くするんだから、こんなに面倒で気持ちの悪い女はいないでしょ?」


 佐伯は、握っていたグラスをいま思い出したかのように持ち上げて、ぐいと水を飲んだ。白くて細い喉がごくごくと動いている。

 飲み干し終えた佐伯は、諦観の滲む目で遠くを眺めた。


「でもさ、気に入ってもらうどころか出だしからつまずいちゃったわけよ。事あるごとに美波の考えに余計な口出しして……気づいたら昔のあたしみたいに振る舞ってた。そんな態度を続けてたらどうなるかなんて、あたしはもうとっくに知ってたはずなのに」

「……」

「でね、確認しておきたくなったの。ミューだと美波とはそこまで喋れないでしょうし、太郎丸は隠し事できそうなタイプでもないから、あんたならいいかなって」


 佐伯がなぜ僕を誘ったのか、なにを求めているのか、わかった気がした。

 僕はどう答えるべきか、一瞬のうちに計算する。


「わかった。じゃあ教える」


 佐伯はごくりと唾を飲み込み、頷いた。


「佐伯のことは、戸惑うこともあるけど頼りにしてるって言ってた。それに筋が通っていて格好良いとも」


 美波さんが言った評価をそのまま告げる。

 佐伯はポカンと間の抜けた表情をした。

 それから眉をひそめる。


「……本当に?」

「嘘は言ってない」

「あたしに気を遣ってんならやめて」


 怒気が込められるほど、佐伯は不快感を示していた。

 僕の言葉を嘘だと捉えているからだろう。喜ぶ素振りなど一つもない。

 佐伯は最初から、褒め言葉なんて求めていない。

 やっぱりと腑に落ちる。


「佐伯」

「なに?」

「本当のことを言ってくれ」


 僕は手を伸ばし、テーブルの上の佐伯の手に重ねた。


『ひぇっ!?』


 脳内に佐伯の声が響く。目をまん丸にして凍ったように硬直しているが、内面はものすごく慌てふためいていた。


『なにこれどうなってんのあれ才賀の手って意外と大き――』

「佐伯は僕の言葉で満足なのか?」


 誘導したいがため僕は問いを始める。

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