第31話 真相 -冬子side-

 その日、大学病院の屋上庭園には車いすに乗る才賀孝明と、その車いすを引く葛城美波の姿があった。

 二人が進む先には三人の男女――生徒会メンバーであった太郎丸次郎、佐伯希海、星野三優鈴がいる。

 才賀孝明が破顔して手を振ると、三人は一斉に駆けだした。彼の元に集まり、太郎丸次郎が彼に抱きつく。が、すぐに慌てて身を離す。

 病人だから、というより、彼の接触恐怖症という体質を気遣ったのだろう。

 しかし才賀孝明は笑いながら首を振り、太郎丸次郎になにかの説明を始めた。おそらく接触恐怖症の症状が和らいだ、とでも語っているのだ。

 驚き顔の太郎丸次郎に対し、彼は手を差し出す。触れても大丈夫だと分からせるために。

 太郎丸次郎はその手をおっかなびっくり握りしめて――涙を堪えるように、笑った。

 その様子を感極まった面持ちで眺めていた星野三優鈴は、才賀孝明の後ろに立つ葛城美波を見て声を上げた。佐伯希海も驚き指を指している。

 葛城美波は自分の頬を触った後、ニコリと、とても柔らかく笑った。

 誰をも魅了する素敵な笑顔だった。

 その様子に佐伯希海と星野三優鈴はぷるぷると身体を震わせ、堪えきれなくなったように彼女に抱きついていた。二人の女子を慌てて抱き留めた葛城美波は、微かに涙を浮かべる。

 集まった五人は、それぞれが満面の笑みを浮かべていた。


***


 その場には、五人の他に彼らを知る関係者は居ない。

 だが遠く離れた場所にはもう一人だけ、彼らをよく知る人物が居た。

 大学病院の真向かいにある商業ビルの屋上には一人の女が立ち、双眼鏡で病院の屋上を観察している。黒いスーツを着込み、口元には電子煙草を咥えている。

 彼女が双眼鏡を下ろすのとほぼ同時に、スーツの内ポケットに入れていた携帯電話が鳴った。女はそれを取り出して耳に当てる。


『撤収作業は完了しました。関係者の配置転換および情報改ざん隠蔽工作は滞りなく進んでますんで、姐さんも撤収してくださいな』

「わかった。ご苦労」

『いえいえ。ところで学生さんたちのご様子はどうです?』

「元気にしてるよ」

『はー、そうですか……しかしまぁ何というか、こう言っちゃなんですけどほんとラッキーボーイですねぇ、彼』


 電話の声からは、呆れと揶揄する響きがあった。


『プロフェッサーの理論通りに生き残れるかも賭けだったくせに、ああして目を覚ましちゃうんですもん。めちゃくちゃ幸運ていうか。奇跡って起こるんですねぇ』

「……幸運、ね」


 女は含みを持たせて呟く。確かに電話主の言葉の通りかもしれない。

 才賀孝明は幸運だった。彼の推理は間違っていたにも関わらず、結果的にこうして目覚めることができた。

 なにせ、

 組織が彼に薬を投与しようとしたのは、彼を被験者とすれば能力が消失したかどうか判別できるから、という理由であった。


 組織には、運命の強制力を数式として表し事前予測する方程式を導き出したプロフェッサー天才がいた。

 その方程式で算出された才賀孝明の運命は、

 その算出結果から二つの必須条件が想定できた。

 一つは能力の消失。

 もう一つは存在の消滅。

 これまでは後者の結末が彼に訪れていた。能力が自然になくなることはなく、死以外の方法では役割を終了させられないから。

 では、人為的に能力を消せばどうなる?

 おそらく才賀孝明は死を免れる。運命はかくも曖昧で、結果が同じであれば生死すらどうでもいいほどの拡大解釈を許す存在だから。

 そこで組織は考えた。

 逆説的に、彼が一命を取り留めることは能力の消失を意味するはずだ、と。

 能力消失の効果がわからないという大きな問題を抱えていた組織は、解決の糸口とするため、才賀孝明への薬の投与計画を進めた。


 一方で、植物状態に陥るという副作用も厳然とした課題ではあったが――そちらは主目的にはならなかった。

 才賀孝明が目論んだ通り、<心読み>の力で脳を刺激することは自己回復効果があるという調査結果が出ている。愛する者との関係性も生き残ろうとする強い意志も、目覚める可能性を高めると考察されている。

 だがそれでも、組織は目覚める方に賭けていなかった。

 起き上がるのは奇跡のような確率だった。


 つまり才賀孝明の立場からすると、間違った判断を下してしまったといえる。

 確かに死は回避できたかもしれない。が、自分の推理の拠り所にしていた植物状態の回復は組織にとって二の次であり、自分の運命を託すべき相手ではなかった。

 しかし、例え正解を推理できていたとしても、彼はきっと違う手段を選べなかっただろう。

 愛する者の自決を食い止めるには、自らを植物状態に陥らせるのが最適解だった。結局のところ奇跡のような確率に縋るしかなかった。 

 だが――彼は奇跡を起こした。

 プロフェッサー天才すら驚愕させるほどの、凄まじい確率を勝ち取ったのだ。


 そこには、才賀孝明の幸運が絡んでいる。

 組織に所属するある女が、組織の計画以上に彼に肩入れをして、目覚めるための確率を少しでも上げようと独自に動いていた。それは少なくない影響を与えている。

 何より最大の幸運は、葛城美波が取った行動だ。

 そもそも葛城美波が一年前に戻らなければ、組織は今回の行動を起こさなかった。もとい、起こせなかった。

 なぜなら、運命の方程式を導き出すためにが理論構築に必要だったから。

 そして、これを元に方程式を算出するまで十ヶ月の月日もかかった。

 つまり、こそが、才賀孝明が助かるための必須条件だった。


 そのことは、葛城美波の幾度ものタイムリープで組織が手伝った形跡がないことが証明している。

 おそらく組織は、葛城美波と才賀孝明の運命を把握できたとしても、その時点では薬を投与して死の運命を回避させる方法を導けなかった。だから従来の理念通り傍観に徹していただけだった。


 こうした幾度もの幸運の末に、彼は生きている。


 女は風になびく髪を手で押さえながら肩をすくめる。


「理由はなんでもいいさ。プロフェッサーの理論が証明され薬の効果も確定し、あまつさえ目覚める成功例にもなってくれた。この貴重なデータがあれば他の患者連中を起こしてやれるかもしれん。いいことづくめだ」

『まぁそうですね。彼の幸運に感謝しないといけないな』


 間延びした声を聞きながら、女は病院の屋上を見つめる。

 遠目ではっきりとは確認できないが、きっと楽しげに談笑しているのだろう。


(……だが、その幸運を呼び込んだのは紛れもなく才賀孝明、お前の力だろうよ)


 女は内心でほくそ笑む。

 葛城美波がタイムリープを繰り返したこと、彼と心中するために一年前に戻って思い出作りを始めたこと――そのどちらも、才賀孝明が葛城美波の心を救ったことで紡がれた結果だ。

 そして、未来を諦め真相を隠していた葛城美波の本心を看破し、共に生きようと誓うまで持ち直させたのも、彼の誠実さと思いやりと少しのお節介のおかげだろう。

 何より、葛城美波を救いたいという一心が彼をこの結末へと導いた。

 もしも彼女の未来より自分の命を優先して別の手段を選んでいたら、怖気づき植物状態になっていなかったら、おそらく才賀孝明はこの世にはいない。

 死が訪れるその最後まで他人のためを想い行動したから。

 そんな男を心から愛した女の声が、彼の渇望の力を引き出したから。

 運命は二人に微笑んだ。

 この奇跡は起こるべくして起こったのだ。


「……まったく、君たちは本当に面白い生徒だよ」

『え? なんか言いました?』

「いいや何でも無い。では切るぞ」


 そうして通話を切った女は一息吐き、スマホを内ポケットにしまう。

 冷たい風を受けながら、女は双眸を細める。もう冬の気配がする。

 脳裏を過ぎるのは、これまでの教師生活だ。


 組織の思惑とは別に独自に動いていたのは、別に同情や憐憫があったからではない。

 ただあの二人が、数奇な運命に抗う姿を好ましく思った。ただそれだけだ。

 それに、生徒会の顧問をしている時間も、悪くはなかった。


「君たちのことは忘れないでおくとするよ」


 スーツの裾を翻して女は出口へ向かう。

 こうして、支倉冬子という名物教師は、彼らの元から完全に姿を消した。

 

 ――その女も、最後まで真相に辿り着くことはなかった。

 能力消失の薬が効いていたのならば、なぜ、才賀孝明は昏睡状態にあっても他人の心の声を聞くことができたのか?

 一月二十五日の時点で能力は維持されていたはずなのに、なぜ、彼には死という辻褄合わせが起こらなかったのか?

 誰も答えはわからない。

 運命の考えなど、誰にもわかるはずがない――。

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