第28話 王女に声は届かない
白、白、白。
真っ白な世界。
どこまでも曖昧でどこまでも続く世界。
ボクは、僕は、俺は、自分は、私は。
なんだ?
『微弱ながら瞳孔は反応がある。MRIとCTの検査結果も覚醒状態にあることを示している。やはり脳機能障害……しかし、この患者は心肺停止というが、一体どういう処置をしたんだ? 脳以外の後遺症がまるで現れていない……おかしいな』
声。
声が聞こえた。
『孝明、孝明……! なんでこんな……ランニングなんて止めてたら、こんなことには……寝てるなら起きて、母さんって呼んで、こーちゃん……!』
孝明。
こーちゃん。
『孝明……せっかく帰ってきても、お前がいないと意味ないじゃないか……ちくしょう、なんで、俺の息子だぞ、俺の大事な、孝明がっ……神様……どうか、どうかこの子を助けてやって、どうか』
懐かしい声。
どこかで聞いた気がする。
『こーくん。聞こえていますか』
こーくん。
『今日は二月一日です。面会謝絶が解かれて、あなたの病室に入れるようになりました。あなたは一月二十五日に訪れる死を回避しています』
死。
『あなたの考え通り、死に至るほどのダメージを受けたことで運命の条件が満たされたのか、それともまだ予断を許さないのか……支倉先生からはっきりとした説明はありませんでしたが、おそらくあなたは賭けに半分勝った。このままあなたの身体に異変が起こらないことを祈るばかりです。そして、早く目覚めてくれることを』
優しい声。
暖かくて、安心する声。
声が聞こえる。
いくつもの声が。
『……俺さ、お前と修学旅行に行くの楽しみにしてたんだぜ。どっちかの部屋に集まって馬鹿話したりさ。ちょっと聞いて欲しいこともあって……星野のことなんだけどよ……でもお前が倒れたから、できなかったじゃねぇか。親友のお前には打ち明けようって考えてたのに……俺たちの前から居なくなったりしないよな? なぁ、孝明……!』
『冬の早朝だから心臓に負荷がかかったんだろうって医者は言ってた……なんでそんな不運に巻き込まれんのよ。どうすんの、これから。三年生の卒業式があるのに。生徒会メンバーが一人欠けてるとかあたし嫌だから。全然完璧じゃないじゃん。絶対起きて。絶対、ぜった……ふっ、うぅ、うぅぅっ、やだよ、あんたが居なくなるとか絶対に嫌だから……!』
『才賀くん、ウチは絶対、あなたがまた元気になってくれるって信じてる。みーちゃんにはあなたが居らんとあかん。絶対だよ。ウチは二人を応援してるし推してるんやから。こんなバッドエンド認めへんから。あの人のために帰ってきて。お願い。次郎くんも悲しんでる。希海ちゃんも泣いてる。ウチも、ずっと、泣くの我慢してる……帰ってきて……』
たくさんの声はボクの、僕の、俺の、自分の、私のなにかをかき混ぜる。
熱くて冷たくて痛くて苦しくて楽しくて興奮して寂しくて嬉しい。
これは、なんだろう。
『こんにちは、こーくん。今日は二月十四日です。何の日かわかりますよね? そう、バレンタインデーです。あなたのために手作りチョコを用意してみました。と言っても食べられないでしょうから、お母様に渡しました。きっと喜ぶと思うって、笑ってくださいました……あなたのお母様もお父様も、少しずつ落ち着きを取り戻してきています。私がお二人を支えていますから、心配しないで』
『こんにちは、こーくん。今日は卒業式の予行練習がありました。あなたがこうなってから希海はずっと塞ぎ込んでいたのですが、やはり目標があるといいですね。先輩たちに恥をかかせられないと人一倍頑張っていました。彼女の強さを私は尊敬します。私も、情けないところは見せられません。あなたが居なくても、生徒会最後の仕事は必ず成功させてみせますからね』
『こんにちは、こーくん。今日はホワイトデーでした。あなたはどんなお返しくれるんだろうって想像しながら過ごすと一日があっという間でした。耳元で好きって囁かれながらチューされてなでなでされたらやばいなぁでへへへへへへ……はぁ。早く起きてくださいね? したいこと、してもらいたいことが、いっぱいあるんですから』
楽しげな声が聞こえる。
それはボクの、僕の、俺の、自分の、私のなにかを刺激する。
なにか、もやもやする。
『こんにちは、こーくん。今日は卒業式でした。ばっちり成功です。これで私たち生徒会の仕事は全て終わりました……なんだかあっという間でしたね。一年前に戻って、あなたを生徒会に引き込んで、もう一度同じ仕事を繰り返したはずなのに。飽きることも面倒だと思うことも、ありませんでした。なにもかもが新鮮で、輝いていた。最高の思い出です。ありがとう、こーくん。あなたが私の生徒会に居てくれて、本当に良かった』
『こんにちは、こーくん。支倉先生の転任が決まりました。どうも私達の監視から手を引くようです。説明していませんでしたが、実はあなたが倒れてから何度か組織の検査を受けました。その結果、私の能力はやはりあの日記がなければ発動しないことが判明しました……支倉先生曰く、大きな力にはそれなりの制約がつくことが多いのだそうで。私の過去に戻れる力は、日記に書き込める範囲という限定条件だから成り立っていたのでしょう。
ですから、ディバイダーとしての力をほぼ失った私の監視も緩むか、無くなると告げられました。これであなたと遠慮なくイチャイチャできますね。元から遠慮してませんけど』
『こんにちは、こーくん。今日から三年生です。クラス替えがあって、私はみゅーちゃんと一緒になりました。ラッキーです。新しい生徒会も発足して、後輩達がしっかりと仕事をこなしてくれています。それで、こーくんは……残念ながら、三年生の中に席はありません。いま目覚めてもきっとリハビリがあるし、私たちとは学年が違ってしまうと、思います……だから早く起きてください。私たちと二年も三年も学年が違っちゃったら嫌でしょう?』
声が聞こえる。
いつも聞こえる。
ボクを、僕を、俺を、自分を、私を呼ぶ声が聞こえる。
だから、答えたい。
答えてあげたい。
伝えたい。
君に――さんに、伝えたい。
『こんにちは、こーくん。聞いてください、生徒会の後輩達がスペシャルあいさつ運動を真似していました! 希海なんか盛り上がっちゃって、言われてもいないのに手伝ってあげてるんです。おかしいですよね』
『こんにちは、こーくん。今日はお姉さんがお見舞いにいらっしゃってました。初めてご挨拶してドキドキしました。お綺麗な方ですね。こーくんともやっぱり似ていて、姉弟なんだなぁって感じます。ここのところお母さんも調子が戻ってきて一安心です。でもやっぱり寂しそう。なにか反応してあげません? あ、やっぱり最初は私がいいなぁ……なんて』
『こんにちは、こーくん。結構暖かくなってきました。そのうち夏がやってくるんですね。そうだ、今度こそ二人で海に行きませんか? 生徒会の皆でプールに行ったときも楽しかったですけど、次は二人きりで。こーくんのためならちょっと大胆な水着も着てあげちゃいますから。ね?』
『こんにちは、こーくん。早いもので受験シーズン到来です。私は親の薦めもあって自宅から通える大学を希望しています。なによりあなたに会えなくなるのは嫌ですから……父は、病院に行くのを控えたらどうかと言います。あ、成績のための苦言じゃないことは分かっていますよ? きっと心配なんでしょうね。でも、余計なお世話です。私はあなたが起きるまで通い続けますから』
そうだ、――さんだ。
初対面なのに僕のことが好きで、強引に生徒会に勧誘してきて、実はタイムリープ能力者で、僕と一緒に死のうとまで考えていて、そして、僕との未来のためにもう一度抗うと決意してくれた人。
大好きな人。初めて、心から愛した人。
『こーくん。また来ます。明日も、声をかけますからね』
僕を、こーくんと呼んでくれるただ一人の女性。
思い出す。彼女の名前は
――葛城美波。
同時に僕は、自分のことも正しく認識した。
心を読む能力者で。
一月二十五日に死ぬ運命を持ち。
彼女と一緒に運命を変えようと奔走し。
その結果、植物状態になった男。
では、ここはどこだ?
自分の姿もなければ境界面もない。自分という意識だけがある。
寝ている最中に声を聞いていたときとまるで同じだ。
彼女の名前を呼ぶ。
呼びかけても口が動いたかどうかわからないし、自分の声も聞こえない。
この白い世界は肉体と繋がっていないようだった。
曖昧な感覚のまま、ひたすらに彼女の名を呼ぶ。
でも、どれだけ彼女の名前を呼んでも届かない。伝えられない。
白い世界に囚われたまま、僕は、身動きが取れなかった。
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