第17話 王女の悔し涙
美波さんがすっと頭を下げる。
『みーちゃん……!』切なげな星野の声が聞こえた。
僕の位置からでは、美波さんの心の声は聞こえない。
でもきっと、彼女も僕と同じ気持ちだろう。
「僕も、言うとおりにします」
美波さんに倣って頭を下げる。謝罪の言葉は癪だったのでナシ。
息を呑む音が聞こえた。位置的には次郎からだろうか。
「いや、謝るのはこちらです。辛い思いをした君たちにこんなことを頼んで。頭をあげてください」
美波さんと一緒に頭を上げると、校長は冬子先生と目を合わせて頷いていた。
「文化祭の件は支倉先生にお任せしますが、我々学校側も、君たちの学校生活に支障がないよう全力でサポートし、ケアしていくつもりです。どうかその点は心配しないでください」
『嘘ばっかり。生徒のことなんかちっとも考えてへん』
辛辣な星野の声に、僕は苦笑いする。
(星野がそう考えてくれるだけで、僕は嬉しいよ)
本心を伝えられないのが、もどかしかった。
***
その後の生徒会の打ち合わせは淡々と進んだ。美波さんの引き継ぎを佐伯が事務的にこなし、雑談もなく終了する。
生徒会室を静寂が包んだ。僕と美波さん以外のメンバーは暗い表情で俯いている。
「皆さん、そんな顔をしないでください。校長先生の判断は正しいです。私も納得ずくで受け入れていますから」
見かねたのか美波さんが皆に声をかける。僕もすぐに追従した。
「皆には当日の仕事を増やしちゃうけど、負担を減らせるよう準備にはこれまで以上に力を入れるから。だから僕らのことは気にせず、文化祭を楽しんでほしい」
「冗談じゃないわ」
苛立ち混じりの言葉を吐いた佐伯が立ちあがる。
「希海」美波さんが声をかけたにも関わらず、彼女は生徒会室を出て行ってしまった。
「……お二人はそれでええかもしれへんけど、ウチは納得いかへん」
鞄を持った星野が立ちあがる。不機嫌そうな目の奥に激情がちらついていた。
「皆で一緒に参加したかったのに、楽しめるわけあらへん……!」
「あっ……」
美波さんが手を伸ばしたが、星野は構わず部屋を出て行ってしまった。
残された次郎も「わりぃ」と言ってそそくさと退散していく。
僕らの言葉は、気休めにすらならなかった。
二人だけ残された生徒会室は、痛いほどの無音だった。
僕はのろのろと、美波さんと顔を見合わせる。
彼女は僕に近づき、袖をつまんできた。
『……ごめんなさい、こーくん』
美波さんのテレパスは、震えていた。
『私がもっと早く、気づいていれば……避けられたかも、しれないのに』
その瞳には、涙が滲んでいた。
『あなたとの大切な思い出が作れるはずだったのに……ごめんなさい……ごめんなさい……』
僕はなにも言わず彼女の頭を抱きしめた。
美波さんは遠慮がちに、僕の胸に身を預けてくる。しゃくりあげる音が聞こえた。さらさらと細くて綺麗な頭髪をゆっくり撫でる。
……いまの自分の顔は、彼女に見せたくなかった。
きっと、憎悪と怒りで歪んでいるから。
そのときスマホが振動した。反対の手でポケットから取り出し確認する。
ディスプレイには、次郎からのメッセージ到着が表示されていた。
話があるから明日の昼休みに会いたい――という内容だった。
ちょうどいい。僕も彼に話があったところだ。
次郎の用件はわからないが、僕からは彼に、犯人を見つけ出そうと提案するつもりだった。
そんなことで僕らへの決定は覆らないかもしれない。
でも、犯人を校長の前に引きずり出して再犯の危険性を封じれば、学校側も考えを改めるかもしれない。
万が一の可能性だとしても、美波さんのため、生徒会の皆のためなら、やらない理由にはならない。
(次郎はなにか気づいている様子だったし……情報を得られれば、あぶり出せる)
だからこそ僕は、次郎に味方になってもらうつもりだった。
***
結論から言えば、僕の期待は初っ端からへし折られた。
「全部、俺がやったことなんだ」
わざわざ体育館裏に僕を呼び出した次郎は、開口一番そう言った。
「俺がカメラを仕掛けておいた。勝手に撮影するように設定して……本当に、すまん」
痛切な声を発して次郎が頭を下げる。
何が起こっているのかさっぱりわからなかった。いや、頭が理解を拒んでいた。
「……冗談、だよな?」
辛うじてそれだけ聞くと、頭を上げた次郎が苦渋に満ちた顔で首を振った。
「俺だ。俺がやったんだ」
残暑のせいだろうか。目の前がぐらりと揺らいだ気さえした。
「……なんで、だよ。次郎がなんで、そんなこと」
「お前らが妬ましかったんだ。すげぇ楽しそうで……それで、ちょっとイタズラのつもりで撮れた写真を友達に流したら、あっという間に拡散しちまって。まさかこんな大事になるなんて思わなくて」
にへら、と、次郎が気の抜けたような苦笑いを浮かべる。
しかし僕の反応が薄いと見るや、気まずげに表情を崩していた。
「イタズラ、って。本当に、そんなことで、次郎がやったのか」
「ほんの出来心ってやつでさ。今ってAIで人間を感知して自動撮影できるカメラがあんだよ。そういうので隠し撮りしてみたくなったんだ」
もっともらしい説明をする次郎の目が僕から見て左斜め上を辿る。
たしか人が嘘を付くときは、そういう目線になる。
頭の中をかき乱すような混乱は、次第に疑心へと変化していった。
(……嘘だ)
僕は次郎の本性を知っている。彼はそんな人間じゃない。
たとえ魔が差したとしても、隠し撮りをして悦ぶような性質は持ち合わせていない。
僕は次郎の元へつかつかと歩み寄る。僕よりも背の高い巨体は、びくりと肩を振るわせていた。
「隠し撮りする趣味なんて持ってたんだな」
「あ、ああ……俺はそういう人間なんだよ。知らなかったろ」
「それで僕と美波さんのことが鬱陶しくて、隠し撮りしてた」
「……そうだよ」
「いつから設置してた」
語気を強めながら能力発動範囲に入る。
30センチ以内の距離まで詰め寄られて、次郎はたじろいでいた。
「いつからって」
「僕らのことが嫌いだったらもっと前から隠し撮りしてたんだろ」
「い、いや、あの夏合宿のときだけだ」
「なぜ? 僕らを貶めたいのにそんな一日だけで事足りるのか?」
『ぐ、しまった……』
次郎の慌てる声が聞こえる。僕はすぐさま畳みかける。
「そもそも自動撮影って言うけど、どういう設定なんだよ。顔認証? 赤外線?」
「え、えーと」
『やべぇあいつなんて言ってたっけ! くそ忘れちまった』
(あいつ、ね)
確定だ。次郎は誰かを庇って僕に嘘をついている。
その誰かとは、おそらく犯人だ。
なぜそんなことをしているのか理解に苦しむし、信じられない。胃の奥がムカムカしてこれ以上無いくらい気持ちが悪い。
だけど、その荒ぶる感情を抑えて、次郎を信じようとする自分がいた。
次郎のことだからなにか事情があるに違いない。
苛つく必要は無い。今から聞き出せばいいのだから。
「次郎。本当はやってないんだろ?」
「えっ」
「誰かを庇ってわざと嘘をついてる、違うか?」
『嘘だろ、なんで信じねぇんだ……?』
それは心が読めるからだ。僕の前で虚言は通用しない。
「ち、ちがう! 本当に俺がやったんだよ!」
次郎が一歩下がる。それに合わせて僕は一歩踏み込む。
「答えてくれ、次郎。誰に頼まれた」
『微塵も疑ってねぇなんて、どうして』
「僕は、友達のことを信じてる」
「っ……!」
次郎の顔がくしゃりと歪んだ。
彼は痛みで呻くのを我慢するように、うつむく。
『……馬鹿じゃねぇの。どんだけお人好しだよ、お前』
ぎゅっと握られた拳が、わなわなと震えていた。
『でも、でもごめん、孝明。俺はあいつを裏切れねぇ』
「……わりぃな、俺が犯人なんだわ」
次郎は笑った。僕をせせら笑うように。
だけど僕には、泣き笑いを必死に誤魔化しているようにしか見えなかった。
「俺はお前が思ってるような奴じゃねぇから。生徒会に入ったのだって単なる暇つぶしだしよ。まぁ隠し撮りがバレちまった以上、もう生徒会には残れないな」
「次郎……!」
「つってもここで俺が謹慎食らうと星野と佐伯が大変だろうから、今は黙っててくれねぇか。文化祭が終わったら冬ちゃんに白状しに行くから、な?」
「……なんで、僕にだけ先に言った」
「俺のこと友達と思ってる奴には早めに言っとかねぇとさ。後でショックで倒れられても困る」
『放っておくと犯人探ししちまいそう、とは言えねぇよなぁ』
庇っている人間のために僕を牽制しようということか。
……ほんと、
「ま、友達ごっこもここで終わりだ。同じ生徒会のよしみで仲良いふりしてたけど、気遣うのほんと面倒だったんだよな」
吐き捨てた次郎は踵を返し、僕を置いてさっさと去って行く。
『これだけ言っときゃ俺のことも忘れるだろ』
姿が見えなくなったころ、一分間の持続のおかげで声が届く。
「……不器用すぎだろ、くそったれ」
爪先で地面を蹴り飛ばし、奥歯を噛みしめる。胸の辺りがちくちくして、僕は自分のシャツの胸元を握りしめる。
「お前がそうでも……僕は、諦めるつもりないからな」
誰にでもなく独白する。
絶対に犯人を暴き出す。そして次郎も、生徒会を辞めさせたりしない。
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