第16話 王女の嫌な予感

 そんな馬鹿な、と一笑に付すことはできなかった。

 内容は違えど時期が重なっている。そしてどちらもとして発生している。

 偶然と片付けても良かったのだが、美波さんが幾度もタイムリープして見つけた法則の強度はちょっとやそっとじゃ揺るがない。

 となると、非常に厄介な予測が出てきてしまう。

 僕らの写真流出は大きな事件だったけれど時期が違うし、文化祭にはなにも影響を与えなかった。

 ということはあの件は運命に記されたイベント――星野の暴走とも突風の発生とも別種の出来事になる。

 つまり、これから文化祭に影響を及ぼす事件が起こってしまう。


『……こーくん。私は、嫌な予感がします。盗撮の件がすんなりと終わったと思えません。まるでタイミングを見越して潜伏しているだけのような、そんな邪推をしてしまうんです』

「美波さん……」


 彼女の吐露した不安になんと応えようか迷っていると、コンコン、とドアがノックされた。


「二人だけか」


 生徒会室のドアを開けたのは顧問の冬子先生だった。

 先生は僕と美波さんを見比べて「他のメンバーは?」と聞いてくる。


「それぞれクラス企画の準備に参加していると聞いています」

「じゃあそれ中断させて。五人集まったら校長室に来なさい」

「えっ……」


 冬子先生の口調は常と変わらない。が、その眼光はいつもより厳しい。

 美波さんは、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 まるで、死神に名を呼ばれたかのように。


***


「美波と才賀を文化祭不参加にするですって!?」


 校長を前にして佐伯が声を荒げた。しかし校長の鼻白む気配を察して「失礼しました」とすぐに謝罪する。

 それでも、彼女の不満の気配はまるで消えていない。


「どうしてそのようなお話になるのでしょうか」

「順を追って説明しましょう。これが校内の代表メール宛に届いているのは先程教えたとおりです」


 校長の立派な執務机には数枚のプリントが置かれてある。

 それはメールを印刷したものだ。

 印刷物には長々とした文字が並んでいるが、そのうちの一つには僕と美波さんの流出写真――キス寸前の写真が添付されていた。


「全て保護者からの問い合わせや苦情です。このような盗撮写真が出回っているが本当か、と」


 僕が立つ場所からは文字が小さくて読めない。けれど、ヒステリックな感情が込められているようには感じられた。


「現実に二人の写真が出回ってしまったのです。説明しなくとも事情を察し、親御さんに相談する生徒も居たでしょう。問題は、セキュリティに対して問題意識はあるのかという指摘、そして、今度の文化祭は大丈夫なのかという不安の声です。校内だけでなく近隣からも様々な人が集まるイベントですから、神経質になるのも無理はありません」


 生徒会メンバー全員が沈黙する。顧問の冬子先生も、腕を組みながら黙って眺めるだけだ。

 美波さんとは離れているので、いま彼女がどういう心持ちなのかわからない。


「学校側としては、文化祭の中止も視野に協議しました」

「そんな……!」


 次郎が即座に反応するが、校長がすっと手を上げて追及を止める。


「慌てないように。既に開催間近であること、なにより生徒の皆さんの気持ちを考慮し、開催する方向で進めることにしました。親御さん方には学校から真摯に説明するつもりです」


 次郎はホッと息を吐く。そんな彼の額には玉のような汗が浮かんでいた。


「……それで、盗撮があったことは認めるんですか」


 佐伯が鋭い声で問うと、校長はプリントに目を落とす。


「そこは結論が出ていない部分ですから。調査中と言う他ありません。しかしながら保護者の方々の不安を看過することもできません。従って、開催中は警備員を増員し不足の事態が起こらないよう警備体制を強化する方針をお伝えします。残念ですが、一部のクラス企画やステージ企画の内容、立ち入り可能場所の制限は設けることになるでしょう」


 となると、僕らのクラス企画も修正せざるを得ない。クラスの皆は大騒ぎするかも。

 ……そんな風に他人事みたく捉えている自分は、ただ現実逃避しているだけなのだろう。

 でも体は正直で、呼吸が浅くなり手先がジンジンとしている。

 それは、能力のせいで過呼吸になって倒れる前兆と同じだった。


「わかりました。学校の決定に生徒会がなにか言うことはありません。ですが先ほど校長先生が仰った、生徒会長と書記を参加させないことはなんの対処になるのですか」

「お二人はいわば被害者です。その立場の人間が文化祭で堂々とステージに立てば、余計な注目を集めてしまう。知らなかった人たちの耳にも情報が入ってしまうかもしれません」

「で、でも。お二人が普通に参加できはるなら、もう安全やってアピールにならんですか?」


 星野が気丈に声を挙げると、校長は眉根を寄せる。


「……メールには、生徒会のメンバーがこんなことをしていても構わない校風なのですか、という内容も含まれているのです」


 その返答だけで僕は事情を悟る。

 形だけでも謹慎のような対応をしておかないと保護者に示しが付かない、そういう思惑なのだろう。親族や近隣住民が来るイベントなら尚更、恥を晒したくないわけだ。

 佐伯も星野も察したようで、ぐっと言葉を飲み込んでいる。


「お二人が互いの親御さんに認められた健全なお付き合いをされていることは承知しています。学校側はプライベートに口を出すことはしません。ですが、生徒会のメンバーである以上、厳しく身を律していただく必要はあります」


 僕は横目で美波さんを確認する。彼女は真っ直ぐ前を向いている。

 その手は、ぎゅっと拳に握りしめられていた。


「申し訳ないと思いますが、文化祭は自宅待機としてください。あなた方も好奇の視線を受け続けたくはないでしょう? 二日だけ我慢していただければ、あとはいつも通りに登校して頂いて構いませんから」

「ですが……! 文化祭は生徒会の仕事もたくさんあります。二人に休まれると仕事が回りません」


 佐伯が声を荒げる。それは僕らを助けるための方便なのだと、心を読まなくてもわかった。


「開会と閉会の宣言は副会長の佐伯さん、あなたにお願いします。仕事は大変になるでしょうが、頑張っていただくしかない」


 佐伯は尚も反論を試みていたが、口を開くだけで言葉が出てこないようだった。


『うううう、なんとかせんとなんとかせんと……!』


 声が聞こえてビクリとしてしまう。隣の星野がそわそわと身じろぎしていたせいで、能力発動範囲に入ってしまった。

 彼女は慌てつつもプリントを見て『あんなん絶対怪しいのに……そや、それを言えば』キッと校長を見据える。


「あ、あの、そのメール、ほんまに保護者からなんですか?」


 その言葉に、意表を突かれたように校長が眉を上げた。


「いまどきメールアドレスなんていくらでも取得できますし、送ったんが保護者と言えるんかなって」

「では、あなたは偽装メールだと言うのですか?」

「だって、その、自分の名前も生徒の名前も出してへんですし」

「このご時世、匿名にしたい事情は色々あるでしょう。それに全てが匿名でもありませんでしたよ」

『確認せんなんて怠慢や』

「せやけど素直に信じてええんですか? もしかすると盗撮犯の自作自演の可能性だってあるんちゃいますか」


 大胆な推理に校長は面食らった。ややあって呆れたように首を振る。


「なにを馬鹿なことを」

「可能性はゼロやないと思います。保護者の方には意見を聞きたいとか言うて実際に学校に来て頂いたらええやないですか。来ぉへんかったら単なるイタズラかもしれへん。そんなん鵜呑みにしてみーちゃんさんと才賀君が悲しい思いするなんて間違ってるとウチは思います!」


 星野は怯まず、どんどんヒートアップしていく。

 さすがにまずいかもと思ったとき「星野」冬子先生が割って入る。


「口を慎みなさい。君のそれは全て憶測でしかない。可能性の問題を論じているわけでないことはわかるだろ?」

「うっ……でも」

「もし君の言うとおりであっても、今から確認して可否を判断する時間的余裕はない。であれば他の生徒のために、危険性を排除する方向で動くのは当然だろう」

「……」

「校長先生も寛大に考えてくださっている。余計に引っかき回すことは生徒会のためにならないよ」

「……すみません、でした」


 星野がしゅんと肩を落とし『……しもうた、なにしてるんやウチは』内罰的な声すら聞こえてくる。

 次郎は唇を噛みしめながらうつむき、佐伯は今にもはち切れそうな激情を必死に抑えて微かに震えていた。

 三人が三人とも、僕と美波さんのために悔しがってくれている。

 だから、なのか。

 さっきまで僕の胸中を覆っていた霞のような陰鬱さは、すーっと霧散していった。

 怒りも悔しさも無念も、三人の想いが嬉しくて、どうでも良くなった。


「わかりました」


 澄んだ声が聞こえた。全員が振り向く。

 五人の真ん中で立つ美波さんは、いつもと変わらぬ冷静な様子で告げる。


「校長先生のご意向に従い、生徒会長の役目を副会長に委任いたします。このたびはご迷惑をおかけし、大変申し訳ございませんでした」

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