第20話 王女と僕らの過激なあいさつ運動 上
彼女の通告で集まった生徒達がざわめく。
顔を見合わせて困惑したり、面倒くさそうにため息を吐いたり、マジかよと露骨に失笑する奴もいた。
「もちろん強制ではありません。なにもせず通り過ぎても構いません。早く校内に入りたい方もいらっしゃるでしょうから、引き留めもしません」
「しつもーん!」聴衆の中から男子生徒が手を上げた。
「俺が会長にお触りしてもいいんですかぁ?」
「男子は男子に、女子は女子にお願いします」
質問した男子が露骨に残念がると周りの男子たちは冷やかし、女子たちは嫌悪感をこめた視線を送っていた。
「ねぇ、それって何の意味があるの?」更に上級生の女子が質問を投げかけてくる。
「広義の意味において、挨拶は言葉のみならずハグなどの身体的接触も含んでいます。よって私達はハイタッチも挨拶の範疇であると考えました。本来は言葉も一緒であるのが望ましいのですが、挨拶が習慣づいていない方は声を出すことに抵抗もあると思います。そこでどちらかの選択式としてみました」
「それなのに、してもしなくてもいいの?」
「はい。あくまで自発的なものですから」
質問した女子は分かったような分からないような複雑そうな表情だった。集まっている生徒たちも彼女と似たような反応だ。
一見屁理屈に聞こえるかもしれない。強制力がないだけ効果も疑問符がつく。
それでも僕らは、美波さんの説明を聞いた上でやろうと決めた。
――行動が伴うと一定の効果が上がりますし、何よりやってみようと思ってもらうには興味を引くのが一番です。アイドルも握手を通じて交流する時代ですし、生徒会も皆さんと直接触れ合うべきではないでしょうか。希海もみゅーちゃんもその触りたくなる自慢のお手々を使うのです。
最後の一言で大反対が起きたわけだが、前半はその通りだと思う。
だらだらと挨拶をしている風景を見せたところで誰もやろうとは思わない。ちょっとした変化を混ぜてやったほうが皆の興味を引きやすい。
そうして生徒会メンバーに慣れてもらいながら、徐々に挨拶も交わすという算段だ。
「では時間もありませんし、皆さんどうぞ進んでください」
美波さんが手を掲げる。しかし困惑の方が大きいようで生徒達は止まっている。
(固まられても騒ぎになるな。もう少しリラックスさせたほうが良いか?)
なにか気の利いた一言をかけてやれないかと悩んでいたら、一人の男子生徒が歩み出てきた。
高身長かつ爽やかな容姿、イケメンと呼んでも差し支えないほど整った顔立ちをしている。
男子は一直線に僕の方へ向かってきた。まさかこちらに来るとは思っていなかったので僕は慌てて手を掲げる。
(あれ、どこかで見たことある人だな)
記憶を探ると、すぐに照合できた。確か今期の生徒会長選挙に立候補していた男だ。名前は藤堂純一郎、だったか。
生徒会長になろうとするだけあって品行方正で成績優秀、特に同学年の女子人気が高かった。でも美波さんの方が全学年から圧倒的に支持されて、敗北していた。
彼は微笑を浮かべている。好意的な雰囲気だ。生徒会長に立候補したよしみで僕らに理解を示してくれたのか?
藤堂は手を掲げた僕の前まで来て――なにもせず通り過ぎていった。
『はは、期待してやがる。馬鹿ばかりだな』
去り際の彼の声が、頭の中で反響した。
「あっ……!」
次郎が声を上げて振り返る。しかし彼もなにも言えず、口惜しげにため息を吐くだけだった。
すると、藤堂の真似をするように生徒達がぞろぞろと動きだす。
そして僕らの脇を通り過ぎていく。
『マジだる。勝手にやってろよ』
『今期の生徒会ってガキすぎない?』
『葛城さん変なこと考えるのね。ちょっと幻滅』
通り過ぎていく人たちの心が雪崩込んでくる。ほとんどが嘲りや失望めいた声ばかりだった。好意的な声もあるが、集団には冷めた気持ちが充満している。
この流れを作ったのは他でもない、藤堂だ。
有名人のあいつが率先して無視したことで、皆は僕らの取り組みを軽んじていいものと認識してしまった。
内心の声を聞いているからこそ、悪意を持った行動とわかる。
あんなに誠実そうな男なのに、どうして。
……いや、見た目と内面が食い違っていることなんてよくある話だ。あいつはクズかもしれないが、他の人間だって裏表はある。
吐き気がこみあげて、僕は奥歯を噛みしめた。
こういう二面性を知るのがたまらなく嫌で、僕は心を読まなくなった。
一人で勝手に傷ついているだけと分かっていても、胸が痛くて仕方がない。
吐き気を堪えている間、生徒たちが僕の脇を通り過ぎていった。佐伯と次郎、美波さんのところには気を利かせた知り合いや友人たちがハイタッチをしたり挨拶をしていたが、僕は手を掲げることもできず立ち尽くしていた。
予鈴がなる頃、周囲に人はいなくなっていた。
僕らの間には沈鬱な空気が漂う。
「ま、まぁ初日はこんなもんだろ! さすがに急に変わるわけねぇし」
「そう、ね。こういうのは継続が大事だから。次よ次」
次郎と佐伯は努めて明るい声を出しているが、二人の顔には気まずさが浮かんでいる。星野は黙ってうつむいていた。
なにも言えずにいると、美波さんが僕の前に来た。
「まだ、続けますか?」
試すような口調だった。
佐伯も次郎も星野も、僕をじっと見つめている。
その視線が、僕を咎めているみたいに感じて下を向いてしまう。
結局お前は駄目なのか。そう言われているようで、息苦しい。
「私を見てください、孝明くん」
ハッとして顔を上げると、美波さんと目があった。
彼女の目は真摯だった。瞬きすらせず真っ直ぐに僕を見つめていた。
心を読まなくてもわかる。
――あなたを信頼しています。
――どんな答えでも、必ず支えますから。
そんな言葉を秘めて、僕と向き合っているのだと。
彼女の声が容易く再現できてしまう自分に、僕は笑いそうになった。
「……当たり前ですよ。まだ始まったばかりだ」
「そうですか」
彼女の優しい眼差しを受けて、ふっと身体の力が抜けた。
僕は右手を見る。拳を強く握りしめて、手が白くなっていた。
「ですが、このままでは効果が薄いでしょう。新しい対策が必要です」
「対策、か。確かに」
「実はもう一つ案があります」
間髪入れず提案されて軽く驚く。興味を持った佐伯たちも近づいてきた。
「試したことがないので不確定な要素はありますし、皆さんにもっと負担をかけるかもしれません。それでもよければ、ですが」
妙な言い回しだ。生徒会になったばかりだし試したことがないのは当然だろう。
それとも美波さんは、これまで似たような経験をしてきたのだろうか。
「特に孝明くんが……きついかもしれません」
遠慮がちの声で僕は思考を戻す。
いま重要なのは、彼女が選択権を僕に委ねていることだ。
なら、告げる言葉は一つしかない。
「もちろん、やるよ」
自分を鼓舞するためにも、僕は彼女に笑いかける。
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