第19話 王女を傷つける奴を僕は許さない 下
『……次郎のやつ。ほんと使えねぇ』
優男な風貌からは似ても似つかわしくない汚い声が聞こえる。
いま、たしかにこの男は次郎の名を出した。僕を見て彼の名前を出すということは、つまりそういうことだ。
「ええと、確か生徒会の人だったよね? 俺になにか用?」
嘯いた藤堂は人の良さそうな笑みを浮かべる。反吐が出そうなほどの甘いマスクだった。
「……ああ。あんたに、話がある。今日の放課後、時間をくれないか」
口を開くと喉奥から胃液がせり上がってきそうだった。しかしこいつの前で弱みは見せたくない。僕は表情筋を固定しながら、ジッと藤堂を見据える。
「放課後?」困惑する素振りを見せた藤堂から、声が届く。
『つっても、こいつほんとに俺だとわかって来てるのか? 次郎が俺をすんなり見捨てるわけがないし』
自信満々な声だった。どこからそんな自信が得られるのかわからないが、次郎との仲の深さが伺える声に、僕はひたすら腹が立った。
『教師を連れてきてる感じもない。あいつのド下手な演技で勘づかれたって線が高いな……確かめるか』
「うーん。今日は文化祭の練習があって」
「じゃあ、明日は?」
「明日は予備校があるんだ。ていうかこの先も放課後は予定が一杯なんだよ。ほら、文化祭が近いからさ。文化祭が終わってからならいいけど、それじゃ駄目かな?」
まともな応対のようだが、僕にははっきりとわかる。
藤堂はこちらの目的を探ろうとしている。
「……できたら、早いほうが良くて。昼休みとかは?」
「むしろ今じゃ駄目なわけ?」
「今は、その」
「今なら全然相手になれるんだけど」
僕が黙ると、藤堂は愉快そうに目尻を下げる。
『なるほど。俺を疑ってるが、教師に密告するほどの情報はないから呼び出して自白させようって魂胆か』
頭の切れる奴だ。僕に揺さぶりをかけて的確に状況を把握してやがる。
「話は、二人きりがいいんだ」
「えー……俺ら喋ったこともなかったよね? なのに急に呼び出しとか。なに、俺ってシメられちゃう? 怖いんですけど」
冗談交じりながらも教室の隅まで届く声だった。
自然と他の生徒の注目が集まる。藤堂と喋っていた友人も僕を無遠慮に睨み始めた。
「とにかく、一対一で話がしたい」
「いやいや、まず用件言ってくれないと。こっちも忙しいし」
怒りで鼻面に皺が寄る。『誰が従うか』嘲りが届く。
『あの無愛想な女に格好いいところ見せたかったんだろ? わかるよ才賀くん。でもお前みたいな勘違い野郎に何ができるんだか』
「もしかして言えないの? 余計に怖いからそれ」
『言い返す度胸も、言いくるめる頭もないだろ』
「生徒会なんでしょ君。人に頼むならそこは誠意を持ってほしいな。さっきから態度変だし、妙な与太話の類だったらそれこそ迷惑だから止めてほしいんだけど」
僕はなにも言い返せなかった。『決まりだな』藤堂が内心でほくそ笑む。
『証拠は持ってない。そりゃそうだ、実行はあいつらなんだから、俺の周辺を探したって出てくるわけない。ま、これだけ言っておけばこんな奴、ビビって引き下がるだろ』
「……わかった、もういい」
僕が投げやりに言うと、藤堂はわざとらしく眉をしかめる。
「そんな機嫌悪くされても。俺が言ってること間違ってるかなぁ」
自分が迷惑なことをされている立場を装い、同意を得やすい言葉を投げかけて周囲を味方に付ける――それが藤堂という男のやり口なのだろう。
彼の見た目も相まって、この教室では僕が悪者のような雰囲気になっていた。
ふぅと溜息を吐く。
薄ら寒いやり取りは、うんざりだ。
「いや、間違ってない。悪かった」
「あ、そう? わかってくれるなら――」
「他の人に聞くことにするよ」
「……は?」
藤堂が呆気に取られる。
「聞くって、誰に」
「関係者」
藤堂の目が徐々に見開かれた。余裕ぶる顔色が消えていく。
『か、関係者って誰のことだ? 次郎か? それとも浩介? 久住先輩……違うそんなわけない次郎はともかく学校が違う二人のことは絶対に知らないはず……』
「あの、なんのことかわからないんだけど」
反応を伺うように聞いてきたので、僕は肩を竦める。
「関係者だよ。校外に二人いるでしょ。順に聞いてくだけだから」
「っ……!」
青天の霹靂が起こったように、藤堂は目を見開いて愕然としていた。
隣にいた友人も反応の違いに「純? どした?」と訝しみ始めている。
無理もない。この学校の外にいる共犯者の存在を掴まれていたとは思わなかっただろう。
それもこれも、心に思い浮かべてしまった藤堂、お前自身のせいなんだけどな。
(違う学校の人間か……もう少しヒントが欲しいな)
悪いが、情報を引き出させてもらう。
「じゃそういうことで」
「ま、待てよ!」
藤堂に肩を掴まれた。僕は反射的にそれを振り解いてしまう。
唖然とした藤堂は『接触恐怖症の……』原因に気づいて毒づく。
『マイノリティの分際で……!』
マイノリティ。それを藤堂がどういう意味で使っているのかわからないが……確かに僕はマイノリティだ。
皆と同じ生活はできないし、藤堂のような人間からすれば人生失敗している存在かもしれない。
だけど、そんな僕でも――大好きな人くらいは守れるんだよ。
「なんだよ。もういいって言っただろ」
「いや、だから」
『くそ、こいつどこまで……! 俺はともかく二人は油断してるし、すぐ連絡しとかないと……!』
カメラかデータか、なにかの物証を隠滅するつもりか。
まぁ先回りされても別に構わない。
自白させようと思えば、どうとでも追い込める。
「ここで言えなかったのは、関係者のことを知られたくないだろうと思って気を遣ったんだ。でも藤堂がいいなら、この場で話してもいいけど」
藤堂は苦虫を噛み潰したような表情になった。
周囲の視線はもはや僕ではなく藤堂に注がれつつある。
「確か久住先輩、だっけ」
「え、純ちゃんまだあの人と仲良いの?」
「ばっ……!」友人が話に入ってきたので藤堂が慌てる。僕はすかさず聞く。
「知ってるんだ?」
「知ってるもなにも、中学んときの俺らの先輩で――」
「孝明!」
教室に響くほどの大音声は、藤堂の声ではなかった。
「なにやってんだよ……!」
入口からダンプカーの如き勢いで入ってきたのは、次郎だった。
驚いたのも束の間、彼は僕の腕を引っ張る。「ちょ……!」為す術なく教室の外へ引っ張り出されてしまった。遠目で唖然とする藤堂が見えた。
『どうしてもう純ちゃんのとこに……!』
焦りの声が聞こえてくる。そのまま僕は階段の踊り場に連行された。
「孝明! お前な……!」
壁際に押し付けられる。背中に鈍痛が走って息が詰まる。
「……なにしてた」
僕の腕を握る次郎の手に、痛いくらいの力が込められた。
「言えよ……!」
『くそ、くそ、どこまで気づいてんだよっ』
この乱入は予定外だった。あともう少しのところだったのに。
僕はため息を吐き、次郎を睨み返す。
「藤堂に用があったんだ。聞きたいことがあって」
次郎は、酸欠に陥ったように顔を歪めた。
『やっぱり純ちゃんのこと疑って……!』
「なにを聞こうとしたんだ」
「全部わかったら教えるよ」
「俺には言えないのかよ」
「今は、まだ」
「友達なのにか」
「……っ! お前だってなにも言わないだろ!」
僕が吠えると、次郎は絶句した。
そのまま数秒ほど経過して、彼は力なく手を垂らす。
『はは……俺が言えた台詞じゃねぇか』
じんじんと痛む腕を押さえていると、次郎はそこを弱々しく見つめる。
「……わりぃ、触っちまって」
「……いや」
互いに顔を背けると、予鈴が鳴った。
「ほれ、次の授業始まるぜ」
いつもと同じ口調にも、憔悴の色がありありと現れている。
次郎は緩慢な動作でふらっと僕に背を向けた。
「藤堂な。小学校のときから一緒で、友達なんだ」
「……そうか」
「ああ、そんだけだ。じゃあな」
次郎はゆっくりと去って行く。
『……俺には選べねぇよ、神様』
そんな呟きが届いた。
僕は廊下に背を預けてずるずると座り込む。
さっきの声はきっと、藤堂は裏切れず、かといって僕を攻撃することもできない葛藤の声なのだろう。
咄嗟に僕の病気を気遣ってしまうくらいには、まだ友達と思ってくれているらしい。
それが嬉しい反面、寂しくもあった。
ぼうっとしている間にも数分の時間が経過する。これからどうすればいいか。作戦を練ろうとしても、思考がうまくまとまらない。一旦教室に戻ろう。
(ぐっ……)
緊張が解けたせいか、吐き気に加えて目眩のように視界がぐらぐらした。
誰も居ない階段を、ゆっくりと登る。足がもつれる。
転倒する――寸前、僕の身体を誰かが支えてくれた。
「大丈夫か、才賀」
今の態勢からは顔が見えない。でも染みのついた白衣と薬品の臭いで、誰かはすぐわかった。
「肩を貸そう」
身体の感覚が薄れていき、瞼を上げていられるなくなる。
その間、頭の中は随分とクリアだった。
(……やっぱり、この人)
そう考えた瞬間、テレビを消すように、意識が途切れた。
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