第3話 謎だらけの王女
彼女は相変わらず無表情でじっと僕を見つめている。その目つきにはニュートラルな柔らかさがあった。優位な立場にいる余裕、だろうか。
対する僕は、動揺のあまり息苦しさを覚えていた。
「どうして、知ってるんですか。誰にも教えたことないのに」
「無意識にアピールしていたのでは?」
「なるほどね~……って、んなことあるか! テープ起こしなんてどうアピールするんだ!」
「テープが俺を呼んで大変だぜとか」
「それはヤバい方のアピールだ!」
思わず突っ込んでからはたと我に返る。いかん、真面目に聞き出さないと。
「ちゃんと答えてくれ。君が知ってるはずない――まさか」
僕のことをこっそり調べたのか?
そんな疑問が浮かんだが、葛城美波はふるふると首を振った。
「なにか誤解をされているようですが、私はなにもしていません。聞いてしまったのです。不可抗力です」
意表を突かれて言葉が出せなくなる。
聞いた? 誰に? 僕以外で僕のことに詳しい奴なんているのか?
しかし彼女に嘘をついた様子はない。無表情だからそう見えるだけかもしれないが。
「ひとまずその話は置いておきませんか」
「いや重要なんですけど」
「書記の件が決まった後でお願いします」
淀みのない声で言い切られる。
やだ、僕のプライバシーの価値、低すぎ?
だが彼女は頑として譲らない雰囲気を醸し出している。
僕はため息を吐き、椅子の背もたれに深く身を預けた。
気になって仕方がないが、後で教えてくれるなら今は言うことを聞いておいたほうが無難か。
それにもう一つ、確かめたいことが増えていた。
「じゃあ、そっちの話に戻しますけど。仮に僕に適性があったとして、肝心な生徒会の活動に支障が出ますが、それはいいんですか?」
葛城美波に反応はない。はっきり口に出さないといけないのか。
面と向かって誰かに告げることは、たとえ嘘だとしても躊躇いが生じる。
でも言わないわけにはいかない。
「僕は接触恐怖症、だから……人と触れ合ったり、できない」
「知ってます」
即座の返事に、僕は絶句した。
その言葉に驚いたわけではない。僕のバイト事情まで知っている人間が、潔癖症のことを把握していないわけがない。
その汚点があってなお僕を誘う葛城美波の決断が、信じられなかった。
「役員にお誘いする方々のことはちゃんと調べています。あなたの病気も」
「なら、なんで僕なんかを。向いてないのに」
「そんなことありません」
柔らかく、それでいて迷いのない声だった。
「確かに生徒会の行事には他者との折衝や会合が多くありますが、矢面に立つのは会長の私です。それに野外活動などの仕事は問題ないですよね? あなたの病気は雑菌や汚れに神経質になるわけではなく、あくまで他人との接触に限定される」
事前に調査していると言うだけあって詳しい。
というか彼女は僕のどこまでを観察して、把握しているのだろうか。
「あなたにはちゃんと配慮します。できるだけ人と触れ合わない役割分担にします」
「そ、そうは言っても、きついものはきついし」
「お願いします。私のために、そばにいてください」
ちょう可愛い好き――そんな彼女の心の声が蘇った。
僕は視線をそらす。口元を手で隠して悩んでいるフリをしたが、胸の奥は心臓が飛び出そうなほどバクバクしていた。
「お願いします」
葛城美波がもう一度、丁寧に頼み込んでくる。
恐る恐る視線を戻す。彼女は唇を引き結び、僕の反応を待っていた。
表情筋はまったく動いていないのに、その目は一生懸命で、切実そうで、熱意が溢れていた。
「……僕じゃないと、駄目なんですか」
「駄目です」
清々しいほどの断言に、ほんの少し笑いそうになる。
そのときふと、懐かしい感覚が過ぎった。
まだ積極的に心を読んでいたとき。誰かの悩みや迷いを知った僕は、自分にできることを探そうとしていた。
「――仕方ないな」
斜に構えて肩を竦めながらも、高揚感に満ちていたっけ。
幼さゆえの万能感というか、僕はまるでヒーロー気取りだった。
今はもっと大人になって、自分の身の程を知っているけど。
「ありがとうございます」
葛城美波の声が聞こえて我に返る。
待て、僕はなにを言った。
「引き受けていただけるのですね、才賀くん」
「ちが、これは……!」
ぐあああしまった! 格好つけていた時代の名残りがぁ!
しかし葛城美波が座ったまま深々と頭を下げる。既に了承と捉えられている。
僕は額を押さえて天を仰いだ。ここに来たのは葛城美波の好意の理由を知りたかっただけで、生徒会に入るつもりなんてさらさらない。
さっきのは間違い――そう言おうとして、顔を上げた葛城美波と目が合う。
言葉が喉に引っかかった。
きらきらと輝く大きな瞳が僕への信頼に満ちている気がして、失望に曇らせることに怖気づいた。
(…………ま、まぁ、心の声を聞く機会が増えると考えれば)
断る勇気が出ず、情けなくも自分を納得させる方向に舵を切ったそのとき。
葛城美波が立ち上がり、ボールペンを持って僕に近づいた。
「では改めて、同意書にサインを」
「う……どうしても書か――」
『ぎゅーしたい』
「ぎゅっ」
「ぎゅ?」
変な声が漏れた僕を、葛城美波が不思議そうに見つめた。
「どうしました?」
「な、なんでも、ない」
咄嗟に目をそらす。自分の心臓の音がやたらと耳の奥で響いている。
ボールペンを置いた葛城美波は僕のそばで立ったまま離れない。同意書にサインするのをじっと待っている。
だから心の声は容赦なく聞こえてくる。
『はぁ、予定通りいって本当に良かった……それにしても楽しみです。間近でこーくんの活躍を見れるなんて、嬉しすぎて鼻血でそう』
誰かに撫でられたみたいに背筋がぞわぞわした。
僕のどこを見てそんな風に期待できるのか、さっぱり理解できない。あと鼻血は普通にまずい保健室に行ってくれ。
だけど――疑問の中に得体のしれない熱が混ざる。
恥ずかしいとも照れくさいとも違う、妙に浮足立った感触だ。
「書かないのですか」
ボールペンを持とうともしない僕を不審に思ったのか、葛城美波が覗き込んできた。細い黒髪が彼女の肩を流れて僕の手元に当たる。甘い香りが鼻孔をくすぐる。
不意に気づく。今は心の声を聞き出すチャンスじゃないか?
「あの!」
「はい」
振り向いたとき、葛城美波の顔面が目の前にあった。
いや近いな!?
「なんでしょう」
「じ、実は」
『可愛いなぁこーくん』
「書記に誘ったのは、本当に」
『ずっと見てられます。大好き』
「ぉ……!」
僕の手は即座に動いた。同意書に名前を書き入れボールペンを放り投げてドアへと逃げる。
「じゃあ僕は用があるんで! 失礼します!」
「え、あ、ではまた後日――」
話を聞き終わる前にドアをしめる。背を預けながら、全力疾走した後みたいに荒い息を吐いた。
無理だ。彼女の甘い声を聞き続けるには僕の精神はあまりに耐性がなさすぎる。頭が茹で上がってしまう。
『しまった、忘れていました……まだ耐性がついていなかったのに。反省です』
離れても一分間は心の声が聞こえてくる。どうやら葛城美波は、病気のことを忘れて近づきすぎたことを悔いているようだ。
僕は深いため息を吐き、その場をゆっくりと離れる。
「……時間が必要だな」
葛城美波の好意に慣れないと、とてもじゃないが話もできそうにない。
バイトのことも聞き忘れてしまったが、今日は諦めるしかなかった。
でも、機会はまだある。
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