第23話 王女と僕らの初詣 上
年が明けた。世間はお祝いの雰囲気にすっかり包まれて、テレビからは晴れやかな映像ばかり流れてくる。多くの人が新しい一年の始まりを喜びと共に迎えている。
そんな様相と逆行するように、僕の胸中は暗澹たるもので染まっていた。とてもじゃないが浮かれ気分に浸れない。
自分の残り寿命が一ヶ月を切っているから――もちろんそのことも大いに関係しているが、更に重大な事態に苛まれている。
僕は、美波さんに無視されています。
あのクリスマスデートの翌日から、彼女は僕に会ってくれなくなった。
連絡をしても一切返事はない。冬休みに突入してから今日までずっとない。
流石に新年あけましておめでとうメールくらいは返事がくるだろうと高をくくっていたのだが、それすらも無視された。新年早々スマホを前に悶絶する羽目になった。
ショック過ぎて飯は喉を通らないしうまく眠れない。自分の寿命が尽きることより美波さんに無視されていることの方がよっぽど堪えていた。
まるで自分の半身を失ったみたいだった。
こうなってしまった原因は何となくわかっている。きっと、僕の提案のせいだろう。
運命を変えるために植物状態になってみるから起きるまで待ってて――なんて話は、相手の立場からすると許容できないものだろう。自ら危険に陥ろうとする頭のおかしさもさることながら、起きるかどうかまるで保証がないのに付き添えと頼むのも、あまりに無責任で独りよがりが過ぎる。
僕はそのことに気づけなかった。前のめりな考えで冷静さを欠いていた。
美波さんにしてみれば、こっちの身にもなれよ!なんて怒りが湧くのも当然だ。
……僕はどこかで彼女に甘えていたんだろう。美波さんだったらそういう無茶にも付き合ってくれるんじゃないか、なんてどこかで考えていた。
でも、美波さんは普通の女の子だ。どこにでもいる女子高生の一人だ。
無理なものは無理だし逃げたくもなる。
僕に愛想をつかすことだって、いくらでも起こりうる。
それならそれで別にいいとは思う。付き合いきれないと去っていくなら、美波さんは僕と心中なんて馬鹿なことをしなくなる。
それで目的の半分は達成する。
だけど、彼女を失ってまで生きる必要があるだろうか?
美波さんが傍に居ないとなると途端にやる気が失われる。光が消えた灰色の世界なんて何の魅力もない。
二律背反に悩み部屋の中で七転八倒を繰り広げ、いっそ彼女の自宅に行こうかと血迷い始めていたのが、つい先日までの話。
僕は踏みとどまった。そんなことをしなくても会える算段がついたから。
一月三日、僕は初詣のために神社に向かっていた。なぜかというと佐伯から、生徒会メンバーで初詣をしよう、と提案があったからだ。
天からの恵み、いや佐伯様からの救いの手に激しく感謝した。
生徒会メンバーということは美波さんも来るはずだ。
この日なら彼女と会って、会話ができる。仲直りも、できるかもしれない。
***
初詣は井伊矢神社という割と有名な神社に行くことに決まっていた。三が日なので人でごった返している。参道前の出店も賑わっていた。
約束の時間よりも三十分ほど早く到着した僕は、人と接触しないよう物陰になるところで皆の到着を待った。まだ早いとは思いつつもそわそわと周囲を見回してしまう。
美波さんと会ったら第一声に何を言うべきか、そんなことを延々と脳内でシミュレーションしていた。
三十分が経過した。僕は背伸びして、駅に続く方角の道を眺める。皆の姿は見当たらない。
次郎にでも連絡しようかなとスマホを取り出したとき、僕を呼ぶ声が聞こえた。
「おー孝明!」
振り返ると、スカジャンを着た次郎が小走りで僕に近寄っていた。
「あけまして。冬休み満喫してっか?」
「おめでとう。まぁ、ぼちぼち?」
僕は曖昧に返す。まさか彼女から無視されているので悶え苦しんでいるとは言えない。
それから、次郎が歩いてきた方向を眺める。彼は神社専用の駐車場がある方向から歩いてきていた。
「今日は車で送ってもらったんだな」
「ん? なに言ってんだよ孝明」
次郎が訝しむ。なぜそんな反応をされるのだろう。
「聞いてんだろ? 女子三人はうちで着物の着付けしてから行くって」
「えっ」
「あ、いたいた!」
僕の間の抜けた声に被さるように、快活な声が響いた。
「ちょっとあんたなんでさっさと行くのよ。こっちは着物で草履なのよ? 少しは歩調を合わせなさいっての」
「あー悪ぃ。屋台の匂いにつられちまってつい」
「ふふ、次郎くんらしい理由やね」
次郎が振り返った先には佐伯と星野がいた。しかしその装いが普段とまるで違う。
彼女らは華やかな着物を纏い、髪型もバッチリと決め込んでいた。
佐伯は吉祥文様をあしらった赤色の着物を着て、ストールを首に巻いている。星野は麻の葉模様に水色の着物だ。二人とも派手すぎない程度に化粧をしている。
僕は、花火大会の時の浴衣姿を連想した。
「あけましておめでと、才賀」
「おめでとうございます才賀くん。今年もよろしゅうお願いします」
佐伯がフレンドリーに、星野が丁寧に頭を下げて新年の挨拶をしてくる。
僕はそれを呆然と見つめているしかなかった。
「なによあんた、人が挨拶してんのに返事なし?」
ムッとした佐伯は、しかしすぐにポンと手を打つ。「あっなるほど?」
「あたしの着物に見惚れて返事もできないわけね」
「いやそれはあり得ないんだが」
「なんでその返事は早いのよ!」
「も、もしかしてウチの着物、似合わん……?」不安になったのか星野が自分の姿を見回して聞いてくる。
「可愛い、よく似合ってる」
僕が拍手を送ると星野が照れ笑いをする。その横で佐伯が地団駄を踏む。「なんかこういうの夏にもあった気がする……!」
「お前もよく似合ってるけど、僕が気にしているのはそうじゃなくて……次郎の家で着付けしてもらってたんだな」
「似合ってるか〜でへへ〜」と相好を崩していた佐伯は、一転して不思議そうに瞬きを繰り返した。
「だって、その予定だったじゃん。次郎の家で着付けしてもらって、あんた以外は送ってもらうってさ。美波から聞いてなかった?」
「…………」
沈黙が過った。僕が真顔になると女子二人は何かを察したようにハッとする。次郎は理解していないのか首を傾げている。
「お待たせしました。ちょっと慣れなくて手間取ってしまいました」
鼓膜を撫でる涼やかな声。
ちょっと前までは聞きたくてたまらない声だったのに、今は恐怖心を掻き立てられてしまう。
恐る恐る振り向くと、果たして美波さんはそこに居た。
松竹梅をあしらった白を基調とした着物で、彼女の艶やかな黒髪と相まった清楚さと上品さがより強調されている。和風美人そのものと言える風貌に、道行く人たちも彼女をチラ見していた。
僕は一瞬見惚れて、すぐに現実に引き戻される。無感動かつ平坦な両目には冷たさが内包されている。
いつもだったらその真顔にも心安らぐような優しさや愛情を感じたのに、今は小さな棘が発射されてきている感じだ。
なにより、美波さんは僕と三十センチ以上の距離を開けて立ち止まっている。心を読ませるつもりはない、と言外に語っていた。
「あけましておめでとうございます」
来客に挨拶するみたいな無味乾燥の声だったから、僕に対するものだとすぐに理解できなかった。
一拍遅れて僕も返す。「あけまして、おめでとう……」
間が空いた。何か言わなければいけないのに、頭が真っ白で言葉が出てこない。
妙な雰囲気になりかけたところで「さぁ行きましょうか」と美波さんが明るい声を出した。そして彼女は僕を迂回し、女子二人の元へ寄っていく。
女子三人は楽しげに談笑しながら参道を歩き始める。
そのとき見えてしまった。彼女の両手どちらとも、僕があげた指輪がはめられていない。
「……地獄かもしれん」
呟きを聞いていた次郎がことさらに笑う。
「人が多いからって心配すんなよ! あんま触れないように移動するし、なんなら夏祭りんときみたいに俺らでガードすっからよ!」
「……ありがとな、次郎」
彼は大いに勘違いしている。それでも友人の気遣いは、僕の傷だらけのハートにとても染み入るのだった。
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