第3話 王女と僕の修羅場
「私の顔になにか?」
「いえ、なんでも、ありません」
能力が発動してしまっている。名刺をポケットにしまって少しだけ距離を離してみたが、まだ一分間は能力が続いてしまっている。
(き、聞きたくねぇ……!)
こんなシチュエーション絶対内心は罵詈雑言の嵐に決まっている。これ以上メンタルに致命傷を負ったら立ち直れなくなる。
『どうするかな。ここで聞くのはまずいし。美波の奴も警戒してる』
お義父さんはどうやら僕に何かを聞きたがっている。罵詈雑言の類ではなかったが、十中八九お前らいま何をしようとしていた、と問い質したいのだろう。
意外と冷静さを保っているのが逆に恐ろしい。
「じゃあ仕事帰りってことでしょ。このままどうぞご帰宅を」
美波さんが強気に出る。
止めて刺激しないで聞きたくない声が聞こえちゃうかもだからぁ!
「そんなつれないこと言うなよ」お義父さんは苦笑する。
『やっぱり警戒してるな……まったく、悪い時に当たってしまった。そりゃ聞かれたくないのはわかるが、そっちじゃないって。いやこれも後で聞くけどさ』
(……ん? そっちじゃない?)
今の声を読み解くと、僕らが休憩場所に突入しようとしていたことは聞きたいことの二番目、という感じになる。
ではお義父さんはなにを聞きたいのだろうか。
「もし帰る途中だったならお父さんと一緒に帰らないか、美波」
「いいえ、私はまだこー……孝明くんと散歩の途中です。楽しんでから帰ります」
『おい楽しむって』
「楽しむってなにを」
「さ、散歩に決まってるでしょ……!」
美波さんが慌てて補足するが、お義父さんは疑いの眼差しになっている。
『仕方ない、誘導するか。父親の立場もあるし』
お義父さんはニコリと笑って僕の方を向く。
何を企んでいるかわからない営業スマイルが非常に怖い。
「じゃあ今日は先に帰るけど、その前に。ここで会ったのも縁だし、孝明君に一つ頼みがある」
「頼み、ですか?」
「明日は休暇の予定なんだけど、家でごろごろしていても何だから、これを機会に君と話がしたい。明日ドライブデートでもどうだろう」
「はぁ!?」
素っ頓狂な声を挙げたのは美波さんだった。彼女はずいと前に出る。
「なにを言ってるんですかお父さん!」
「夏休みだからいいかなと思うんだが」
「そういうことじゃなくて……!」
「嫉妬してるのか」
「そんなわけないでしょ……!」
『なんなのこの鬱陶しいやり取り……!』
珍しく美波さんが嫌悪感を顕にしている。お義父さんは飄々としている。こうまで美波さんを手玉に取るとは。
もう一分が過ぎているので、お義父さんがなにを考えているのかは読み取れない。
『がるるるる』犬のように唸っていた美波さんはバッと僕の方を向く。
「意味不明なことは聞かなくていいですからね」
「そんなことはないだろ。なぁ孝明君?」
「えーと……」
なぜ僕はラブホテルの前で彼女と彼女の父親の間に板挟みになっているのでしょう?
「正直なことを言えば、前から孝明君に聞きたいことがあったんだ。いつか、と思っていたんだが、丁度いい」
「はぁ……?」つい生返事してしまう。前から聞きたいこととはなんだろう。身に覚えがないのだが。
「だからといってこんなときに誘うのはどうかしています」
「明日じゃなくて今日、夕飯一緒に食べながらでもいいんだぞ? そのときはきっちり色々と聞かせてもらうとは思うが」
「っ……」
「ちなみに最近は歳のせいか忘れっぽくなってな。明日までは覚えてないかもしれない」
きっちり色々、に今の状況のことが含まれているのは如実だった。つまりお義父さんは、詰問を諦める代わりに提案を飲め、と実の娘に迫っているわけだ。とんでもない腹黒やんけ。
押し黙った美波さんは『この狸親父め』心中で忌々しげに呟く。娘も娘で負けていない。
美波さんとお義父さんの視線が交差する中空には、火花がバチバチと散っているようだった。
……二人が過去に色々とあったことは知っている。遺恨や確執があるのは仕方ないし、美波さんが萎縮していないだけマシかとも思う。
それでも、彼女と親が揉めているのは見過ごせない。
「わかりました。明日ですね」
『こーくん!』
「お、そうかい。良かった」
お義父さんが爽やかに笑って頷く。
『明日もお家デートするつもりなんですけど!?』憤懣やるかたない美波さんが僕の脇腹をドスドス突いてくる。やめて地味に痛いから。
「じゃあ明日、マンションまで車で迎えに行くよ」
「わ、わかりました」
「それと美波」
「……なんですか」
「孝明君にあまり迷惑をかけないように。あと今日は遅くならないようにしなさい。母さんが心配する」
「……わかっています」
『あなたに言われたくないんですけど』
むくれ面を隠そうともしない娘に対し、お義父さんはかすかに頬を緩める。
……なんとなく、今のは外面ではなくて、娘を愛でる親愛が滲んでいる気がした。
お義父さんは僕らに頭を下げ、駅の方向へと歩いて行く。
姿が見えなくなったところで僕は弛緩した。気が抜けてその場に崩れ落ちてしまいそうだった。
「っっっくりしたぁ……! 死ぬかと思った……!」
『っっっんなのあの人は! いきなり現れて邪魔してお説教して!』
僕の震え声と美波さんの怒声が重なる。
「ま、まぁね? でも父親だから、さ」
『だとしてもあんな嫌味ったらしくネチネチと追い詰めるような言い方をしなくてもよくないですか!? それとこーくんもあっさり受けないでくださいよ!』
「ご、ごめん。ああしないと場が収まらなさそうだったから」
『むうう』地団駄を踏み出しそうなくらい頬を膨らませていた美波さんだが、ふっと気が抜けたようにため息を吐いた。
『……こちらこそ、ごめんなさい。父の行動範囲を調べていなかった私の落ち度です』
「それは、しょうがないよ。取引先までは知らなかったろうし、偶然だから」
フォローしても美波さんが肩を落としてずーんとなっている。よほど堪えているらしい。気持ちは痛いほどわかる。
「とりあえず移動しようか」
僕は美波さんの手を引っ張ってそそくさと移動する。周囲に人気はなかったが、大の大人と口論まがいのことをしていた後だし、さすがに留まるのは気まずい。
足早に移動する間、休憩できる場所はどんどん遠ざかっていった。
……後ろ髪を引かれる思いはあったが、今日はさすがに諦めるしかない。無理にチャレンジしても、たぶん失敗する。その、僕の一部の元気的な意味で。
美波さんは怒りの尾をふりふりしながらご機嫌斜めで歩いている。このまま帰っても一悶着あるんじゃないかと心配になってきた。
「その、大丈夫? 家に帰った後とか」
「心配いらないと思います。あの人は、なんていうか打算的な人間なんです。明日の約束ができているのですから、母を無闇に心配させたり私の機嫌を損ねることは避けるでしょう」
「……そっか」
美波さんは人の数が増え出すと口での会話に切り替えていた。判断力は落ちていないが、前を向く彼女の眉間には深い皺が刻まれている。
「……こーくんは、あの人を見てどう思いましたか」
「え? えーと、まぁ、頭の良さそうな父上、だね?」
悪口にならないよう評すると「親としては酷いものです」美波さんは一刀両断する。
彼女の歩く速度が上がった。駅前に出ても止まる気配がない。その目は前を向いているようで違う何かを見ている。
「美波さん」僕は彼女の手を引っ張って立ち止まらせた。それから少し抱き寄せ、彼女の頭を撫でる。
ハッとした美波さんは、ややあって、溜まっていた鬱憤を押し出すように溜息を吐いた。
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