第36話 王女と僕らは浴衣を纏う 上
(う~ん。どうなんだろ、これ)
映し鏡の前に立ち、自分の姿をしげしげと確認する。いつもと違う格好と店の中という環境も相まって、気持ちがそわそわと落ち着かない。
いま僕は呉服店の店内にいる。しかも浴衣を着ている。
紺色の浴衣は派手な装飾もなく体型にしっかり合っているので、不格好ではない。ないのだが、僕に似合ってるかどうかは別問題だ。
のっぺりとした髪型もパッとしない顔つきも変わらないから、せっかくの浴衣を台無しにしていないか不安になる。
鏡を見ていると「良くお似合いですよ」背後から男性の店員さんが声をかけてくる。僕は苦笑いして軽く頭を下げておいた。
ふうと息を吐き、時計を確認する。午後四時を過ぎている。僕以外の生徒会メンバーはまだ着付けが終わっていないようだ。
人の邪魔にならないように隅の方へ移動し、壁にもたれかかる。
(急だったなぁほんと)
暇なのでつい、午前中のやり取りを思い返してしまう。
***
「――このように、大峰北高等学校の先輩方から受け継がれてきた校風を、私たちもまた受け継いでいるのです。私たちは、あなた方と共に自由闊達な高校生活を送れることを願っています。来年の再会を心待ちにしています。以上をもちまして、生徒会執行部からの学校説明を終わります」
視聴覚室の壇上で美波さんがぺこりと頭を下げる。彼女の後ろのスクリーンにも『大峰北高校の全校生徒一同がお待ちしています!』という大きな文字が表示される。
画面が白くなると、観客席から盛大な拍手が送られた。学校説明会だけあって観客は中学生ばかりなのだが、彼らは一様に感動と憧憬の眼差しを美波さんに送っている。
大袈裟でも何でもなく、彼女の演説はたとえ凡庸な内容でも聴く人の心を動かす。否応にも視線が彼女に釘付けになる。一体何人が美波さんファンになったことやら。
それに手前味噌だが、僕が用意した学校行事や部活を紹介する資料映像も良い出来映えだったと思う。次郎たちに手伝ってもらったおかげだ。これをきっかけにして校長が喜ぶほどの受験者数が集まってくれれば、生徒会も鼻が高い。
壇上から美波さんが降りてくる。教職員の後ろに控えた僕らは拍手で彼女を出迎えた。
「ばっちりよ美波。さすがね」
「ありがとうございます」
佐伯にそう答えた美波さんはすっと僕の隣に寄ってくる。
『こーくんから見てどうでした?』
澄ました表情とは異なる、くすぐったさを覚えるような声が脳内に響いた。
僕がこそっと親指を立てると『えへへ♪』美波さんはご機嫌になる。
その後、視聴覚室から中学生の子達が退出するのを見送る。別室で教師の説明を受けていた父兄と合流した後も彼らの学校説明会は続くのだが、僕ら生徒会の仕事はここで終了だ。
テキパキと片付けをこなし、冬子先生からも帰っていいと了承を得た僕らは、身支度のために生徒会室まで戻った。
「よーし時間通りに終わったわね急いで帰りましょ!」
佐伯がパンパンと手を叩いて帰宅を促す。次郎はやれやれと笑う。
「そんな焦るなよ。花火大会は逃げやしねーから」
「ち、ちがうわよ! 夏場だし体力温存しないと危ないしあんたら男と違って女子は身支度に時間がかかるのよ!」
顔を赤くした佐伯が必死に反論する。ツンデレ具合はもう隠す気ないなこいつ。
「ええと、五時に駅集合、やんね?」
「そうですね。花火大会会場まで徒歩十五分程度ですので間に合うと思います」
「出店で買い物すること考えるともうちょっと早く集合してもいいかもね」
美波さんと佐伯と星野が段取りを確認する。彼女らが話しているのは、今日行われる花火大会の待ち合わせについてだ。
天虎川の花火大会に生徒会メンバーで行くのは既定だったけど、ちょうど学校説明会の日と被っていた。なので僕らは午前中は学校に集まり、解散した後にまた再集合するという変則的な行動を取る必要がある。
慌ただしい一日だけど、祭りの前の興奮というか、四人から高揚感が伝わる。あの美波さんですら傍から見ていて楽しげだった。
だからこそ僕は確認をしなければいけなかった。
「なぁ、やっぱりさ。四人だけでもっと見やすい場所に行けば――」
「「「だめ」」」
女子三人の声が重なった。揃った反応に圧倒される。
「……でも」と続けても「だめっつってんでしょ」佐伯にギロリと威嚇される。
「前に話し合って決めたじゃん。生徒会メンバーで花火見ようって約束してんだから、全員一箇所にいないと意味ないの。あんただけ離れて楽しいわけ?」
「それはわかるけど……僕に気を遣って不便な場所にすることはないし」
花火大会は、いや人が集まるイベントは僕にとって不都合な部分がある。
大勢の人が密集する場所では他人との距離も近くなりやすい。そうなると僕の能力は否応なく発動し、おそらく多人数の思考が津波のように流れ込む。
僕はその負荷に耐えられない。これまでだって人混みを避けて生きてきたし、急に我慢できるとも思えない。
生徒会メンバーで花火大会に行く約束をしてみたはいいものの、途中で気分が悪くなったりぶっ倒れては台無しだ。
そこで僕は接触恐怖症の建前を利用し、自分だけは人混みから離れた場所で見ているよと提案した。
意外なことに、美波さんが真っ先に反対した。
彼女は僕の能力を唯一知っている人間で、トラウマを克服できていないことも知っている。だから我慢しろとは決して言わなかった。
代わりに、方法を考えるから五人で揃って見ようと僕を説得し始めた。
熱心な彼女の態度はすぐに皆を感化させ、僕を除く四人が知恵を絞りあった。
そして出された方法が、天虎川を渡る鉄橋から眺めようという案だ。
川を横断する鉄橋の歩道からは花火がよく見える。ただし交通の妨げにならないよう鉄柵に沿って一列に並ぶことを強制される。座ることはできないし、河原に居並ぶ出店も遠いので場所取りが発生するほどの人気スポットではない。
次郎たち曰く、逆にそこが狙い目だという。生徒会メンバーが僕を挟んで一列に並び、かつ僕との距離を開ければ耐えられるだろうと彼らは踏んだ。
確かにそれなら僕は人酔いしない。心を読んでしまっても、友人達の思考であればパニックを起こしにくい。
その案を僕は一旦は承諾した。というのは、顎を縦に引かないと美波さんが物凄く不機嫌になりそうだったからだ。
でも、僕のせいで生徒会メンバーに苦労を強いているという苦々しさはやっぱり残っている。
「言っとくけど、一度成立したこのプランを変えるなんてよっぽどのことじゃないと完璧主義のあたしは納得しないから。それにあんただっていいって言ってたじゃん」
「なんかこう、今ならまだ変えられるなって」
本心だ。せっかくの花火大会なら皆に満足してもらいたい。
佐伯は腰に手を当てて溜息を吐く。
「こんなこと言ってるけど、あんたの彼氏」
「こーくんのおばか。優柔不断」
うぐ。美波さんの言葉がナイフとなって突き刺さる。
「みゅーちゃんからも言ってやってください」美波さんは星野にも振る。
「ええっ……さ、才賀くんのおばかさん!」
色んな意味でクルものがあった。もっと罵倒してもらいたいかもしれない。
ちなみに美波さんにも影響があったらしく彼女は星野をそっと抱きしめる。星野は顔を真っ赤にしながら「えっえっ」と困惑していた。
「あんたのせいでなんて考えてないわよ。満場一致で決めたんだからうだうだ言ってんじゃないの。ねぇ次郎?」
「佐伯に名前呼びされるの慣れねぇ」
「いまそこ関係ないでしょ!」
「ははは悪い悪い。まぁ、のぞみんの言うとおりだと思うぜ孝明。俺達は生徒会メンバーで花火を楽しみたいんだよ。綺麗な花火が見たいなら一人で行けばいいだろ?」
美波さんと、彼女に抱きしめられた星野が首肯する。「……のぞみん」佐伯は困惑気味に呟いている。
それでも決心しかねて黙っていると、美波さんがすすっと近寄ってきた。
『こーくん。私やメンバーの誰かが、自分は皆と別の場所にいると言ったら、あなたはどうしますか?』
それはきっと、メンバー全員で見れるような対策を講じるだろう。
と考えて、彼女がなにを言いたいか理解してしまう。僕は苦笑いを浮かべるしかない。
「……わかったよ。皆、ありがとな」
***今週は水木金の3回更新です***
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