第24話 王女、拗ねる

 野球部の部室から出た僕らはぞろぞろと歩く。

 すると星野が「あの、会長」と美波さんに声をかけた。


「みーちゃんと呼んでくださいね?」

「み……その、なんで賭け事のこと、隠しはるんです、か」


 美波さんは立ち止まり、星野の方へ振り返る。僕らも立ち止まって星野に視線を注いだ。

 確かにその話はまだ尾を引いている。この場で星野が指摘せずとも、誰かが言及していたに違いない。


「み、みーちゃんさんは、黙っておくんがあの野球部のためになると思うんですか? また同じことするかもしれへんのに」


 星野は訴えかけるような眼差しだった。挨拶運動のとき真正面から意義を問い質したときもそうだった。

 内気な星野の中にある激情――それはもう意外には感じない。

 彼女は確固たる自分というものを持っている。きっと美波さんも、星野のこういう強さを見抜いていたから生徒会に誘ったんだろう。そこは僕も一目置いているし、あの佐伯だって黙って耳を傾けている。


「みゅーちゃんの言うこともよくわかります。ただ、孝明くんが指摘した点は考慮に値する、ということです」


「ヘイト管理しろってやつ?」佐伯が聞いた。

 それは抜き打ち検査について話し合ったとき僕が伝えた内容だ。

 反感は溜めない、できるだけ分散しろ、みたいなことを話した気がする。


「ええ。権力を無闇に行使すると、やがて誰も私たちの言うことに耳を貸さなくなる。そういう過ちがきましたから」


 妙に実感のこもった台詞だ。まぁ美波さんなら中学時代から重要な役割をこなしてきただろうし、僕らにはわからない気苦労を経験していてもおかしくはない。


「ダメなことをダメという正しさは必要です。過ちを繰り返さないための罰も。だけど大切なのは信じてあげることですよ、みゅーちゃん」

「信じる?」

「きっと直してくれると信じて一度目は許してあげる。そういう信頼関係です」

「……裏切られたら?」

「そのときはそのとき」


 美波さんは澄ました顔で告げる。なかなかに懐の広い言葉だ。

 でも正直に言えば、僕はそういう性善説をあまり信じていない。過ちは繰り返されるものだ。

 僕と似ている星野も、やはり複雑そうな表情をしていた。

 だから僕は彼女に助け船を出す。


「星野、こういうのはさ。野球部じゃなくて美波さんを信じるかどうかだと思う」

「みゅーちゃん、さんを……?」

「僕は美波さんを信じてる。その美波さんが信じることなら、信じられる。そういう風に考え直せば納得できないか?」


 野球部の連中はよく知らないし、ぶっちゃけ信用してやる自信はない。

 でも僕らのリーダーである美波さんのことは心から信頼できる。

 だから彼女の判断を支持する。それだけだ。


「ありがとうございます、孝明くん」


 美波さんは静かに礼を言った。

 その身体はふりふりと小躍りするみたいに動いている。

「どうしたの美波?」佐伯が心配そうに聞くと「なんでもありません」美波さんは素に戻る。

 心は読んでいないけどたぶん、嬉しさを抑えられなかったんだろうな。

 でも無表情でくねくねしてたらそりゃ心配されるよ美波さん。


「……そう、やね」


 刺々しさの抜けた顔で星野は頷いていた。納得してくれたようだ。


「物は考えよう、ってこと、やね。確かに、生徒会が弱みを握ったと考え直せば、精神的にも楽やんね?」


 いやそこまでは言ってねぇよ。

 しかし星野は「裏切ろうもんなら目に物見せたる、ふふふ」などと任侠の人みたいなことを呟き、暗黒微笑を浮かべながら歩いていく。

 

「星野って怒らせるとヤバそう」

「わかる。深い闇を感じるわ」


 次郎と佐伯が恐々と会話しながら星野に続いて歩き始める。

 僕はわざと三人とは動き出すタイミングを遅くした。予想通り近場には一人分の気配が残っている。


「お疲れ様でした」

「はい」


 彼女はそっけなく答えた。いつもと態度は変わらない。

 少し心配していたのだけど杞憂だったろうか。

 でも美波さんは筋金入りのポーカーフェイスだ。念の為にもう少し聞いておこう。


「美波さん、平気そうですね」

「なにがでしょう」

「野球部の部長に失礼なこと言われてたから。ムカついたろうなって」

「まぁ、そうですね」


 平然と答えている。やっぱり大丈夫かもな。これなら心を読む必要もない。

 などと考えていると美波さんがすっと近寄ってきた。能力効果範囲に入られたので思わずビクッとしてしまう。


「嘘です。本当はちょっと、ムカッとしました」

『……平気そうだなんて、こーくんは私をどんな人だと思っているのでしょう』


 美波さんは内緒話をするようにこそっと呟く。いつもどおりの声音だが、心の声のせいで拗ね具合が強調されていた。

 まずい、怒らせてしまっただろうか。

 でも自分の本音に気づいてもらおうと言い直すのは、ちょっと可愛らしい。

 

『そう取られてしまうのは、もう仕方ないのでしょうか。私が、笑わない王女だから……』


 ……いや、僕は馬鹿か。

 彼女を落ち込ませておきながら喜ぶなんて、どうかしている。


「とはいえ、矢面に立つのが生徒会長である私の役目ですから。同じことが起こっても気にしないでください」

「ごめん無理」

「どうして?」

「美波さんが悪く言われてるのを我慢することはできない。今日だって僕は死ぬほどムカついてた」


 言い切った後、じわじわと頬が火照って身体がむず痒くなる。

 こっ恥ずかしいことを言ってしまった。

 心の声に触発されたとはいえ恥ずかしすぎて彼女から顔を背ける。

 視界の隅で、美波さんが目をぱちくりとさせるのが見えた。


『あれ? 私いま告白されてます?』


 断じて違う。

 とは言えず黙っていると、美波さんがうつむき気味の僕を覗き込んできた。


「でもやっぱり我慢しててください。孝明くんに迷惑をかけたくありません」

「迷惑だなんて――」

「その代わり、私が頑張っていたら褒めて」


 今度は僕が目をぱちくりする番だった。


「褒める、だけ?」

「十分な対価ですよ」

『こーくんの褒めなんて最高のご馳走ですむふふふ』


 ご褒美と言わないあたりがいい具合に変態だ。


「ちなみに今日はどうでした? 我慢できて偉かったです?」

「う、うん。偉い。頑張った」

「ありがとうございます」


 彼女がイタズラっぽくぺろっと舌を出す。

 些細な仕草のはずなのに、いつも表情が一定な彼女がやると破壊力抜群だった。


『ふふ、嬉しいなぁ。生徒会長になって良かった、本当に』


 美波さんの心の声を隠すくらい、心臓の音がやけに大きく聞こえ始めた。

 ぐらりと身体が傾く。


「あの、孝明くんはなぜ小さく前にならえをしているのでしょう」


 ハッとする。気付けば僕は手を前に出して彼女に近寄っていた。

 あ、危ねぇ。理性を失って危うく彼女を抱きしめるとこだった……!

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