第23話 おねだりする王女

 そうだ、テスト勉強といえば。美波さんに聞いてみたいことがあった。


「今度の土日のテスト勉強のことだけどさ」

『楽しみですね』

「うん、そうなんだけど、美波さんて勉強する必要あるの?」

『遠回しに来てほしくないと仰るならもう膝枕なでなでしてあげません』

「待て待て曲解が過ぎる落ち着け」

『すーはーすーはー』


 声だけ響いて本人の口は動いていない。意味あるのかそれ。


『落ちつきました』

「お、おう……ええと、美波さんて今年の期末テストを一度受けてるよね? 出題がわかってるなら別にいいんじゃないかと思うんだけど」

『その件でしたら心配には及びません。テスト内容は私が経験したものと違うはずです』

「そうなの?」

『未来というものは過去の積み重ねで出来ています。前にも言いましたが、過去を変えたことで間接的に色々なことが少しずつ変わっているんです。テストを作る先生だって当時と状況が違うかもしれない。一日前に戻ったならともかく、一年前に戻った影響は大きいでしょう』

「そっか。それが狙いで一年前に戻ったんだもんね」


 一年も前に戻れば自分が経験したこととは違うことが起きる、ゆえに新鮮な驚きや喜びを浴びて感受性を刺激することができる。

 その体験で笑顔を取り戻すのが美波さんの計画だったはずだ。


『といっても変わらないことはあります。多人数が関係していることや、覆すことができない、運命とも呼べる重大なことは特に』


 運命という仰々しい言い回しはよくわからないが、多人数の方は簡単にイメージが浮かんだ。


「多人数っていうのは、例えば学校の行事とか?」

『そうですね。運動会が延期になった事実があるとして、それはどれほどやり直しても変わらないんです。何らかの事象で必ず延期になります。テストも同じで、内容は変わってもテスト自体は絶対に行われます』

「なるほど。勉強はしなくちゃいけないってことか」

『というわけで土日はしっかり伺いますから』

「はいはいわかってます。お待ちしてます」


『んふふー♪』機嫌を良くする美波さんだったが『あ、一つ誤解を解いておきます』と続ける。


『説明していなかった私も悪いのですが、今回に限らず試験の類にはタイムリープを使わないようにしてきましたので、こーくん達より有利だなんてことはないんですよ?』

「え? だって、タイムリープで成績を維持してきたって……」

『そういう時期もありましたが、以前にお話したように父から厳しくされることがなくなったので、特に使う理由がなくなったのです』

「でも学年一位をキープしてる」

『普通に勉強してるだけなんですけどね』


 うっそだろおい。

 学年二位あたりが聞いたら嫉妬で気が狂いそうな台詞だ。

 勉強漬けの小学校生活があったとはいえ、やっぱり美波さんは規格外ということか。その上、心根まで清く正しいとは完璧すぎる。


「僕だったら勉強するのも面倒だけどなぁ」

『もちろんできればしたくないですよ? ただ、良心の呵責を感じるようになったと言いますか……笑えなくなってからは、特に』


 神妙な声だった。「ごめん」僕は聞いたことを後悔してすぐに謝った。

 美波さんは、能力でズルをしていたことの罰として笑えなくなったと、そう信じている節がある。

 実際はそんなことはないのだが、優しい彼女にとって自分の身に起こった異変は罪の意識を芽生えさせるに十分だったかもしれない。

 地雷を踏んだ反省の弁を考えていると『そういうこーくんだって』美波さんが聞いてくる。


『テストのとき能力で他人の心を読みますか?』

「僕は、できなくなったって感じだから」

『では、気軽に使えるようになったら?』


 どうしてそんなことを、と思うところもあったが、一応考えてみる。

 テストのときにこっそり隙を伺う自分を想像して、違うなと思った。


「……やらないだろうね」

『なぜ?』

「たぶん、それじゃ意味がない」


 心を読む能力は便利だ。小学校までは随分とその恩恵に預かって、ろくに勉強をしてこなかった。

 だけど人の心を読んで得た結果は僕の力にはならない。現に能力の使用を禁じてからの数年間は相当に成績が落ちた。ボッチになって勉強しかすることがなくなってからは持ち直したけど。

 そのとき僕は身に沁みてわかった。能力に頼って得た成果は維持できるものではないし、それで全て解決できるわけでもないのだと。


「能力を使える場面ばかりとは限らないし、どこかで地力が問われると思う。結局自分でなんとかするしかないんだ」

『ふんふん』

「あとはそう、なんていうか……満足できない」


 能力を頼って成績が上がったときと、自力で成績が上がったとき。

 どちらが達成感があるかといえば、後者だった。

 その味を知ってしまった僕は、たとえ将来がかかっているとしても能力は使わないだろう。

 それに、能力を使って失敗したときは他人のせいにして未練が生まれそうだけど、自分の実力で挑んだら後悔しない気がする。

 『ふふ』美波さんの嬉しそうな声が聞こえた。


『あなたのそういう真っ直ぐなところ、とても好きです』

「……カンニングする勇気のない小心者なだけだよ」


 昔は子供だったせいか向こう見ずなところもあったが、今ではさっぱりだ。


『もう、またそんな風に言って』


 美波さんがたしなめるように言うが、どこか楽しそうでもあった。地雷を踏んだことは気にしていなさそうで少し安心する。


『でも、私もあなたと同じ気持ちなんです。ちゃんと自分の力にしておかないといざというとき不安ですから。能力だっていつも使えるわけではありませんし』

「それで結果を出してる君は凄いよ。僕なんか高校に入ってからほとんど伸びない」

『こーくんなら頑張ればすぐです。私が保証します。なんなら私がこーくん専用家庭教師になってあげます』

「僕の部屋に入り浸る口実じゃないよね」

『ちっ、バレたか』


 そうかなと思ったけど図星かよ。いついかなるときも僕との時間を増やそうとする王女だな。いや嬉しいんだけどね? 身が持たないからね?

 と、ポケットから振動が伝わった。

 スマホを取り出し、画面を見る。


(ひぇ……!)


 動揺の声が喉元まで迫ったが、声になる寸前で飲み下した。


「こーくん?」

「ごめん何でもない」


 すぐにスマホをしまう。美波さんは小首を傾げていたが、僕が世間話を始めるとすぐに相手をしてくれた。

 そうして普段どおりを装いながら歩いて自宅近くのバス停に辿り着く。そのときちょうどバスが来た。

 ぷしゅーと音を立ててドアが開くと


『お別れのキスは?』


 美波さんが訴えてくる。

 僕は笑顔で彼女の頭を撫で「さぁどうぞ」と促す。


『キスしてくれなきゃ帰りません』

「ば、バス行っちゃうって」

『そのときは次のバスを待ちます』


 なんでいつもこうなるんだ! 毎回キスする身にもなってくれ!

 しかし言う通りにしないと美波さんがいつまでも粘り続けることは体験済みだ。それでバス五台くらい通り過ぎてとっぷり日が暮れたこともある。

 誰もいない場面なら恥ずかしさを堪えてするけど、今はバスの乗客の目がある。

 でもこちらからしないと美波さんはてこでも動かない。

 ええいちくしょー!

 僕は仕方なく、わがままな王女のほっぺたに軽くちゅっとする。


(ぐおお乗客たちの好機の視線がビシバシ突き刺さる……!)


 微かに頬を赤らめた美波さんは『唇じゃないのは不満ですがまぁいいでしょう』いたずらっぽく告げてバスに乗り込んだ。

 そうして扉が閉まり、バスは発車していく。

 見えなくなったところで僕はぐったりと脱力する。


(ほんと、別れ際はすんごいべったりだな)


 離れがたいと思ってくれるのは嬉しいが、公衆の面前でイチャイチャするのは非常に恥ずか死ねる。

 そりゃ美波さんはいいよ。テレパスでおねだりしてるだけだから、誰にも甘えた姿は伝わらないんだし。たぶん周囲からは、別れ際に急にキスする大胆な彼氏と照れている大人しい彼女、みたいに見えているんだろうなぁ。

 僕はため息を一つ吐き、スマホを取り出す。問題はこっちだ。頭を切り替えよう。


 ――今度の土曜、時間ある? 二人きりで話がしたいんだけど。


 メッセージの文面は、佐伯の音声で再生された。

 例の相談、というやつだろう。

 まだ時間はあるのに、僕は今から緊張を覚えていた。

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